見出し画像

綺麗な字の子。歪んだ字の子。 3

【前回】

 *

 先輩に、手紙を出す。
 それはつまり、字の練習が終わりを告げるということです。

 私は内心必死になって止めました。
 まだこの字が汚い。歪んでいる。こんなんじゃ雑な子だと思われる。
 平然とした顔をして、残酷に相手の字を否定していきました。
 それから優しい声で、大丈夫ですよ、と語りかけました。
 私と一緒に練習すれば、もっと上手くなります。
 だからそれまで、我慢しましょう。そうしましょう。

 今にして思えば、なんて浅ましい真似をしてしまったのでしょう。
 字が綺麗になったなら、それを一緒に喜べば良かったのに。

 淀川さんはそれからも、私と字の練習をしてくれました。
 彼女の字は、最初のそれとは似ても似つかない、整った字になっていきました。

「最近さ、ちょい自信付いて来たんだよね」

 ある時、彼女はそう言って、日本史のノートを見せてくれました。
 最初の数ページは、かつての歪んだ字で殴り書きされていただけのノート。
 けれどページをめくる毎に、字は本来の姿を取り戻し、板書は正確になり……やがてはマーカーや簡単な絵によって、注釈さえ付け加えられるようになっているではないですか。
「美山さんのおかげでさ、字ぃ綺麗になったじゃん? それが嬉しくてさ」
 綺麗な字を見るのが楽しいから、ノートを取るようになった。
 すると今度はそこに工夫を施したくなってきた……ということらしいです。

 その成果は、次のテストですぐに現れました。
 それまで成績の下位をさまよっていた彼女は、一気に上の下くらいまで点数を上げてきたのです。
 流石に英語や数学はそうもいきませんでしたが、それらも、以前の成績と比べればずっと良いものになっていました。
 それは全て私のおかげだ、と淀川さんは言うのです。
 あんがとね、と嬉し気に語る彼女に、私はそんなことないよと謙遜しながら、内心鼻の高い思いでした。
 ……けれど同時に。焦りも覚えていました。

 私が誇れることと言えば、人一倍勤勉な事だけ。
 字の綺麗さもそこに含まれています。
 その他のこと……身体能力であるだとか、交友関係であるだとかについては、てんでダメでした。
 だからこそ、それらの能力を持つ淀川さんを、私は格上だと認識をしていたのです。

 そんな中で。
 唯一彼女より上であった字の綺麗さを。成績を。教師からの評価を。
 淀川さんは、手に入れ始めている。

 どうしよう、と思いました。
 このままでは、用済みになるどころではない。
 今この関係が無くなってしまえば、私は淀川さんに対して、何一つ勝てはしないのではないか。
 自分が、無価値な石ころみたいな存在になってしまうのではないか。

 ……やはり、この関係は出来るだけ続けないといけない。
 私は以前にも増して思うようになりました。

 でも淀川さんは、違いました。
 既に気付いていたのでしょう。字が上達していることに。
 放課後の時間はぽつ、ぽつと少なくなっていきました。
 用事があるから。トモダチと遊ぶから。ごめんね、と言って、断られるようになりました。
 なんなら美山さんも来る、と聞かれましたけど、私は首を振りました。
 彼女の友人たちと私は、きっと話が合わないだろうから。
 そして一人で家路に着きながら、思うのです。
 あぁ、もう、ダメかもしれない。

 そんな折に、彼女はもう一度宣言しました。

「もう、ラブレター出すね」

 それは相談ではなく、決定でした。
 自分の気持ちに早くケリをつけたいのだと。
 先輩が忙しくなってしまう前に、はっきりさせたいのだと。
「まだ字はちょっと不安だけどさ。少しくらい歪んでた方が、あたしらしいのかなって思うし。……大事なのは、気持ちだよねって」
 そんな正論をはっきりと言われて、私はもう引き留めることは出来ませんでした。
 頑張ってね、と、思ってもいないのに口にして。
 いつ出すの、と私は尋ねました。

 聞いた時は、特に何も考えていなかったのです。
 ただ家に帰って、ベッドの中で、淀川さんの事を思い浮かべる内に、ある計画が、私の中に立ち上がって来たのです。

 そうだ。
 手紙を、盗もう。


【続く】


サポートしていただくと、とても喜びます! 更に文章排出力が強化される可能性が高いです!