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綺麗な字の子、歪んだ字の子。 6

【初回】

【前回】

 *

 美山朝子が、字を書けなくなった。

 それを知った時、あたしはとってもびっくりした。
 学校を卒業した後のことだ。友達から、不意にそんな噂を耳にしたのだ。

 あたしと美山さんは、あの日以来、疎遠になっていた。
 学校で会っても話をせず、目も合わせず、互いを避けて生きていた。
 あたしは彼女に怒っていたし、彼女はあたしに、何も言えないようだったから。
 きっかけがないまま学年が上がり、クラスが変わって。
 そしていつの間にか、美山さんの事が頭から消えて。
 卒業した後になって、知った。

 あの美山さんが。
 綺麗な字を書く美山さんが。
 字を書けなくなった。だとしたら理由はきっと……あたしにある。

 どうしようと後悔する気持ち。当たり前だ、と冷淡に思う気持ち。
 二つがあたしの中で入り混じって、どうにももやもやしてしまった。
 悪いのはあたしじゃなくて美山さんだ。
 だけどあたしは。あんな風に突き放してそれきりで、良かったのか。
 考える日々が続いて。結局、美山さんが悪いじゃないかと思って。

 それでも、会いに行った。

 美山さんは家に籠りがちになっているみたいで、美山さんのお母さんは、あたしが来たことに凄くびっくりしていた。
「朝子が友達を呼んだ事なんてないから」
 そうだろうな、って思う。
 美山さんはいつも一人だったから。友達がいるようには、見えなかったから。
 でも。だったら。あたしはなんだ?
 美山さんの部屋の戸の前で、あたしは一瞬悩んで、このまま引き返したいと思う気持ちが胃を重たくして。
 それを押しのけて、戸を開いた。

 初めて見る美山さんの部屋には、一切の文字が無かった。
 想像していた彼女の部屋とは、雰囲気が違った。
 そしてその部屋の端っこに、美山さんはぼんやりと座っていた。

「……どうして、来たのですか」

 蚊の鳴くような声。
 あの頃の、優しく染みるような声じゃない。喋るのが精一杯だ、って感じの声。
「聞きに来たの」
「何を……」
「あの日。美山さんが、何を考えてあんなことをしたのか、全部」

 美山さんは一瞬泣きそうな顔をして。
 唇をわなわなと震わせてから……こくり、と頷いた。
 それから彼女はベッドに座りなおして、背筋を正し、けれどあたしとは一切目を合わせないままで、語り始めたんだ。

 *

「ここまでが。……あの日、私の感じた全てのことです。
 ……でも、どうしてそんなことを聞くのですか……淀川、杏さん」

 そしてあたしは、ペンを止める。
 書いたメモにもう一度目を通して、整理する。
 あの日の美山さんの気持ち。それから、あの日あたしが何を思っていたのか。

「……美山さんは」

 色んな言葉が、口から出掛けた。
 身勝手だ。馬鹿だ。許せない。許したい。もういいよ。可哀想だ。気にしなくて良いのに。一生そのままでいろ。自分を責めないで。自分が悪いって分かってるんだよね。言ってくれれば。自分勝手。大っ嫌いだ。……。

「……あたしの事、友達だとは、思ってなかった?」

 最初に出たのが、それだった。
「あたしは、思ってたよ。美山さんと字の練習するの、わりと楽しかった」
「……。なら、どうして練習を止めようとしたんです」
「上手くなったらしないでしょ、普通。っていうかさ」
 何度だって誘ったんだ。
 あたしは。美山さんと仲良くなろうとしていた。
 遊びに誘った。色んな話をした。言いにくい話だって。
「美山さんは断ったじゃん」
 私は良いです、って、遠慮みたいな顔して、あたしに距離を詰めさせなかった。
 ああ、口にして思った。
 あたしが何に怒ってるのか。
 何を許せなかったのか。
「美山さんは。あたしが字ぃ上手くなったら、全部無駄になると思った?」
 だったらあの楽しかった時間はなに?
 美山さんのこと、友達だと思ってたあたしの気持ちは?
 それも全部、意味のない事だった?

「あたしは、美山さんのおかげで変われたのに」

 字が綺麗になって、自信がついて。
 手紙を出していなければ、先輩に告白はどのみち出来なくて。
 勉強が上手くいくようになって、大学に進んで。
 先輩とは別れちゃったけど、別の彼氏も出来て。
 なんか毎日、楽しくて。

「そういうの全部に、美山さんが関わってたのに」

 喜んでほしかった。一緒に笑って欲しかった。
 別に大の仲良しじゃなくても、あの時頑張ったよねーって言い合える仲でいたかった。
 なのに美山さんにとっては、それが全部暗い思い出。
 それが許せないんだ。
 あたしも大概自分勝手だな、って思う。
 だってそれは、ただあたしが楽しくないからだ。
 あたしが気にせずすっきり楽しい気持ちでいるために、美山さんにも楽しい気持ちになっていてもらわないと困るってだけだ。
「……でも。美山さんが勝手な事したから、あたしも勝手なこと言うよ」
 ラブレターのお返しだ。
 一番嫌なことを要求してやる。

「字を書いてよ、美山さん。またあの綺麗な字を、あたしに見せて」

「……無理です」
 美山さんは首を振った。
 字が、気持ち悪く見える。きっと想像以上に、辛いことなんだろう。
「だったら、あたしが字を教える」
 ちょっとくらい歪むかもしれないけど、まぁそれも良いでしょう。
 いくらでも付き合ってあげる。だから、もう一度字を書けるようになってほしい。
「それで、あたしに手紙を書いて。ごめんなさいの手紙」
 綺麗な字で。あの美しい凛とした字で。
 そうしたら、きっとあたしは美山さんを許せるから。

 それでもって、許せたら。
 今度こそきっと……友達に、なろう。


【終わり】

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