青森の話

先日、急遽青森へ行くことになった。

大病を患っているわけではなかったものの、なんとなく入退院を繰り返していた高齢の祖母が亡くなった。そんな連絡を、ある日の昼下がりに受けた。

前兆も何もなかったので驚きではあったものの、人はいつか死ぬものだし、こういう日は突然来るものなんだな~と、ぼんやり思う。もし私が喫煙者なら、ここで一服行っていただろう。やがて葬儀関係のスケジュールが確定するのを待ってから、3日間の休暇と新幹線のチケットを確保した。



◼️一日目

まずは通夜の前日に青森入り。

東北新幹線「東京→新青森」間の所要時間は3時間以上。東京駅ではサーモンとバッテラの押し寿司と、メルヘンのサンドイッチを嬉々として買い込む。弁当選びで散々浮かれておいて何だが、遊びに行くわけじゃないのでお酒は控えた。

車中では電気グルーヴの30周年アルバムを聴いたり、買い集めている最中のHUNTER×HUNTERカラー版を読んだりして過ごす。今回は今まで乗った新幹線の中でもダントツで空いていて、快適さがすごい。あと車内販売のお兄さんがえらい美声でよかった。山を越えるたびに雪の厚みが増していく。

いろいろ堪能しているうちに新青森駅へ到着。めちゃくちゃ雪が積もっているが、想像よりは寒くない。同じ新幹線に乗っていた母と妹と合流して在来線を乗り継ぎ、最寄り駅へ迎えに来てくれた叔父の車で祖父母宅へ。なんやかんやでドア・ツー・ドアでは6時間くらいかかる。

久しぶりに会った親戚たちに混じって、新顔の5歳の男の子がいた。いとこの子、つまり彼から見れば私が「いとこおじ」にあたる。彼は居間でプラレールを広げて遊んでいたが、プラレールは昔と規格が全く変わっていないから何となく安心感がある。その後、きれいに化粧を施した祖母に手を合わせた。

とうとう元の主を失ってしまった祖父母の家は、微妙に記憶の中よりもマイナーチェンジしていた。浄水器が変わっているとか、食器が増えているとか。あと、古くても寒冷地の家なので、思いのほかぽかぽかしている。何と言ってもコロナの石油ストーブが圧倒的に信頼できることがわかった。

テレビでは東京と同じようなCMの合間に、ローカルCMが流れる。ローカル枠は基本的に、融雪槽→パチンコ屋→公民館のイベント→融雪槽、というローテーションになっていた。ちなみに私は融雪槽のことが何だかよくわかっていない。

基本的に家ではやることがない。まだお互いに距離があるいとこの子(以後、便宜的に「Pちゃん」と呼ぶ)の挙動を微笑ましく眺めたり、錦織のテニスの試合が始まったらみんなで見たり、そのうち夕食の時間になったりした。

食卓では近所のおばちゃんやおばあちゃんの方々が差し入れてくれたらしい漬物類が異様に豊富。大根漬けが3種類、かぶ漬け、白菜漬けなど。どれもめちゃくちゃ美味くてコメが進むが、塩気がかなり強い。これが青森だ。

祖父母宅は風呂が壊れているとのことで、みんなで近所の温泉へ。大人数だからこれはこれで良い。シャワーのお湯まで温泉でしょっぱかった。帰宅後は布団をやり繰りして10人以上の寝床を形成。こんなに大量の布団どこにあったんだ、というほどの毛布や布団が発掘されて、超助かる。

どこからともなく出現したウイスキーで一杯やってから就寝。ちなみに晩酌の横で、現代っ子のPちゃんが延々とYouTubeでプラレールの動画を見ていたので夜更かししすぎなのと、お母さんの通信費が心配になった。(翌日たずねたところ、こういう日はそう滅多にないので月7GBでも足りるとのことだった)



◼️二日目

布団がかなり充実していたため、寒すぎて寝られない懸念は杞憂に終わる。その代わり、外の猛吹雪の音で深夜に何度か目が覚めた。朝起きたら、部屋で吐いた息が真っ白だった。

この日の予定は「出棺」と「火葬」、そして「通夜」である。前回の祖父のときも不思議に思ったが、こちらではどういうわけか火葬のタイミングが妙に早い。もともと私は東京で予定を消化したあと青森に来ようとしていたが、そうすると祖母がお骨になった後で到着することになってしまうため、こちらを優先してリスケして間に合わせた。

持参したスーツに着替える。私のスーツは無事に入った。これには本当にホッとした。家にお坊さんがやってきてお経を唱える。祖父のときと同じお坊さんだったため、この表現はどうかと思いつつも言うなら、このお坊さんのセットリストは毎回2曲で、合わせて30分弱。おおよその時間が読めるのは有難い。

ところで、この日に炊いていた1升炊きの白米を朝食で全部食べてしまっていたため、葬儀屋さんから「お供え用のコメをもらえますか?」と言われた瞬間、全員で凍りついた出来事があった。これは……今から炊いても間に合わない……そう観念しかけたところで、Pちゃんが手をつけないまま残していた小さなお茶碗の存在を誰ともなく思い出し、ダッシュで確保。紙一重でお供えを用意できて思わずみんなで爆笑した。この家は葬儀だろうと明るいのがいい。猛吹雪の中を出棺。棺は重かった。

火葬場も祖父の時と同じところで、さらに係員さんも同じだった。この町で亡くなった人はみんなこの人のところへ来るのだろう。最後のお別れのあと、待合室で大坂なおみの試合を見てくつろいだ。その後、収骨する。祖父の時は骨が丈夫な上に量がかなり多く、ハンマーでガンガン砕いて骨壷に無理やり格納するというショッキングな光景が繰り広げられたが、華奢な祖母は余裕で収まったため内心ホッとした。幼いPちゃんがいるので、あの光景を見せたくないなと思っていたので。箸で骨をつまんで骨壷に収める風習は相変わらず何なんだろうと思う。

お骨を携え、別会場に移動して通夜。お坊さんがお経を唱え始めたタイミングでPちゃんがグースカ寝息を立てて眠りだし、私はその様子と必死に抱っこするお母さんのすぐ後ろにいたため、思わず笑ってしまいそうになる。叔父いわく、(寝てしまったのはともかく)ムードメーカーとして居てくれて助かったと後から褒めていた。たしかに、小さな子どもが一人いるだけで雰囲気がかなり丸くなる。

本日のイベントを全てこなしたあとは、家に戻って夕食。仕出し屋さんのオードブルと寿司の盛り合わせが届いていた。私はPちゃんと同じ卓にいたところ、気になっていたイクラやサーモンやマグロの寿司をほとんど食べられてしまったが、しょうがない。代わりにPちゃんが全然好きじゃない、貝類とかイカとかウニとかをめちゃくちゃ食ってやった。最高。でもイクラも食べたかった。イクラ……。

食後、誰ともなく昔のアルバムを引っ張り出してきて祭りになった。アルバムに一切登場しないPちゃんが段々つまらなそうになっていく。こんな時、同年代の子どもがいたらよかった。我が家にも少子化の波が来ていて、祖母から見た曾孫世代の子どもはPちゃんだけだ。この日も昨日とは別の温泉へ行き、戻ってきてからはサッカー・アジアカップを観ながら、部屋に転がっていたホタテの貝柱をむしゃむしゃ貪った。いつの間にか500mlのビールが1ケースあったので無限ビール空間となった。



◼️三日目

初日の晩について「敷布団が薄くて寝にくかった」という意見が私を含めて何人かから出ていたため、希望者は葬儀で使用した分厚い座布団を床に敷き詰め、その上に布団を敷いて寝ることにした。すると寝心地が最高になった。深夜にはものすごい轟音を立てて除雪車が通った。

この日は青森に来て初めての快晴。町一面が真っ白く輝いていて気持ちがいい。家の正面にそびえる「岩木山」という山が神々しく荘厳な様子で、非常に美しかったが、写真を撮り損ねているうちに分厚い雲に隠れてしまった。

朝食のあと、すぐに着替えて「本葬」へ。今日はPちゃんが最後まで眠らず、お母さんと一緒にお焼香までしていてえらかった。通夜と本葬は同じ会場で、私はともに同じ席にいたのだけど、お坊さんの足元が見えるのでお経を読むときにどうやってリズムを刻んでいるのかをずっと見ていた。ちょいちょい刻んでた。このお坊さん、かなり美声なので一緒にカラオケへ行ったら絶対に楽しい。

本葬が終わったあとは、その場で会食。懐石とでかい包み(持ち帰り用)の仕出し弁当。そして飲み切れないほどの酒。隣には、私の「いとこおじ」にあたる方が座っていたので少し喋った。母のいとこだ。いとこおじは昔、東京の阿佐ヶ谷に住んでいて荻窪のライブハウスに入り浸っていたことがあるらしい。いとこおじから趣味を聞かれた際には、うっかり「酒」と答えてしまった。たしかに間違いではないが……。

景気良く栓を開けてしまった瓶ビールを私たちで何とか処理したところで、今回の葬儀系イベントはひとまず完了。帰宅後は、着替える前にみんなで集合写真を撮った。最も良いスマホを持ってる人のを使おうという話になり、iPhoneXSを持っていた人のを採用。式の最中に留守番をしてくれたり何かとお世話になったおばちゃんに撮ってもらうことになったが、どうも自信なさげだったので「最近のスマホは誰が撮ってもうまく撮れるようにできてるから大丈夫!」と説得した結果、かなり上手に撮ってくれた。

その後は各自、今日も泊まる人たちは早めの温泉へ、青森に家や実家がある人たちは一旦帰宅、そして私はやることやったし身支度してそのまま帰京という流れ。スーツを脱いでいたらPちゃんが初めてだっこをせがみにやってきたので、酔っ払ってるから危ないよ〜と言いながら豪快に振り回してあげた。子どもと仲良くなるのは楽しい。次に会う機会があればずいぶん大きくなっていることだろう。

あと今回は、何と言っても「つけ」のタクシーをフル活用しまくった日々だった。大人が10人以上いるものの冬場で足が無いので、葬儀の各会場への移動や温泉への行き来に駆使しまくった。一体全部でいくらかかったんだ。私も最寄り駅まで帰るタクシーを「つけ」にしてもらった。外を全く出歩かないので、東京の電車生活のほうがはるかに健康にいいんだなと実感した。

新幹線に乗り換えるための新青森駅では意外と時間に余裕がなく、サクッと一周しながら有料試飲日本酒を飲み、そこで味見したカップ酒を恋人へのささやかな手土産に、あとは帰りの食事用に鯖寿司とビールを選んだ。もうちょっとゆっくり見て回れるスケジュールを組んでもよかったかもしれない。帰りの切符はなんとなくノリで取ってしまった。

そうして、また電気グルーヴの30周年アルバムらへんを聴きながら帰る。東京で仕込んでいったHUNTER×HUNTERカラー版は、行きの電車とその日の夜までにすべて読んでしまっていた。また、帰りの新幹線はたまたま停車駅が多い列車で、東京まで3時間半以上かかった。とうとう何もやることがなくなってきた頃には「強い女メーカー」が大活躍した。夢中で理想の女性をつくっていると時間が蒸発する。

東京着。けっこう寒い。ただ、青森のように生命が脅かされる雰囲気はあまり無いから、東京はやっぱりいいな~と思った。そもそも10分も待てば電車は来るし、とにかく店がたくさんあるので、欲しいものは大抵そこらへんで手に入る。東京は素晴らしい。私はこれからもここでやっていく。



数年前に祖父の葬儀へ行ったときにも思ったことだけど、今回のような場ではなんとなくみんな「親戚スイッチ」が入った状態というか、適度なパブリック感とプライベート感の共存した雰囲気になるので居心地がいい。普段一緒に過ごすことの多い家族同士でもパブリック要素が入ることで、むしろ円滑にコミュニケーションできるようになる部分がある。

冬の青森をずっと避けてきてしまったけど、結果的に大人になって初めて体験できたのもよかった。大量の雪が当たり前にある暮らしを垣間見れたし、もし極寒の地へ遊びに行くならどういった装備が必要か、肌で理解できた。翻って、東京で暮らすことの良さも切に感じたし、トータルで言えば東京のほうが凍えている時間が多いこともわかった。(北海道出身の友人が「東京の家は寒すぎる」とキレていることを理解した)


そして最後に。

今回、祖母は急に亡くなってしまった。思えばその日は「スーパームーン」だった。女性の場合、満月の日に月経が来たり、出産したりしやすいと言われているけど、今回はスーパームーンという物理的な力の作用によって、祖母のお迎えがほんの少しだけ引き寄せられたのかな、という気が何となくしている。とはいえ、天の運行やその時のコンディションを含めて、一つの運命なのだろうというのが私の解釈でした。

「どうかゆっくりお休みください、私はまだまだ好き勝手やって生きていきます」ということを、私はお焼香のたびに、合掌するたびに思っていました。



雪で埋まって使いものにならなくなった「二輪車用押ボタン」の様子。

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zenpoly

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