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渋谷の話

幼少の頃「お父さんとお母さんはどこで知り合ったの?」と、無邪気に母へたずねた。その回答が今でもけっこう忘れられない。

「お父さんとお母さんは渋谷で知り合ったの」

ただ一言、それだけで、幼い私は「ふぅ〜ん、そうなんだ」としか思わなかった。


その後、私が成長していく中で、この言葉を時々思い出しては、

「ちょっと待って、『渋谷で知り合った』とは?渋谷で知り合ったって一体なんなんだ?渋谷の、何だ?ほかに付け足すエピソードはなかったの?」

というような疑問に行き当たった。しかし、疑問がはっきりと言語化できた段階で、両親の仲はすでに崩壊しており、あらためてその先のエピソードをたずねるようなタイミングはなかった。


私の両親は、14歳の年の差がある。そこから逆算すると、30代後半の父と20代前半の母が「渋谷で知り合った」ことになり、30年以上も前の話だとしても、なんとも言えない怪しさがつきまとう。この二人の子どもとしては、あまり知りたくない情報を得てしまう可能性が高い。

そもそも、幼い私に話すような内容ではなかったからこそ、「渋谷で知り合った」以上のことを、母がすすんで話さなかったと推測できる。そんな思いに至って以来、この件についてあんまり深く考えるのはやめた。好奇心の先には、誰の幸福も待っていない雰囲気が感じ取れたので、冒険はここで終わりである。

私は「渋谷で知り合った」両親の子で、ただそれだけの話だ。


というわけで、私は幼い頃から渋谷には縁も親しみもある。

生まれた時から東急沿線に住んでいて、父は「こどもの城」に幼い私をよく連れていってくれた。父のやっているよくわからない自営業の事務所も、一時期たしか渋谷にあった。雑居ビルの一室で、革張りの父の椅子にどかっと座っている2歳くらいの私の写真がある。当時の父は、基本的にあのへん(渋谷区・目黒区・品川区)が大好きで、主に渋谷周辺に生息していた。

そんな父の影響を受けたのかはわからないが、引きこもりから脱する前も、脱した後も、私が一人で行動するようになってからは、基本的に渋谷を好んでいた。プレイステーション2を発売日に買いに来たのは当時開店して間もないSHIBUYA-TSUTAYAだし、音楽にハマってからはタワーレコード渋谷店をもっぱら聖地とした。SHIBUYA-AXや渋谷CLUB QUATTRO、O-EASTや渋谷屋根裏などのライブハウスにもたくさん通った。


Twitterを始めてからは、かつてそこで知り合った友人たちのパーティーも、渋谷で行われていた。「鎖骨ブチ折りナイト」という、見る人にとっては非常に懐かしく、あるいは忌まわしく思えるかもしれないイベントだ。「喫茶スマイル」という東急ハンズの少し先、大きなmont-bellの裏にあるお店へと毎月通っていた。それら友人たちの中には、今でも繋がりがある人もけっこういる。

「鎖骨ブチ折りナイト」にはハロウィンの回もあった。2012年。私は、zenpolyの名前の由来でもあるバンド、POLYSICSの当時の衣装を一式用意して向かった。当時の渋谷のハロウィンは何にも大したことがなく、その手のパーティーが散発的に見られる程度。どこかのパーティーからパーティーへと移動するような人以外、路上で仮装している人なんてほとんどいなかった。私はお店近くのコインロッカーそばでサッと着替えたが、ハロウィン当日ではなかったこともあって、そのまま店まで移動するのが非常に恥ずかしかったことを覚えている。きっと今なら全然そんなことはなくて、むしろ家から衣装のまま渋谷へ向かう選択肢だってあるのかもしれない。


また私は、渋谷で働いていた期間も累計で3年くらいある。その中で迎えた2015年のハロウィンは、道玄坂にある職場から出た瞬間、街の中が凄まじいことになっていたので思い出深い。まだこの年は109周辺が歩行者天国になっておらず、歩道に人が溢れていたものの、殺伐とした雰囲気はなく、ただの大袈裟なお祭りムードだった。その日は物見遊山的に一回りして帰ったが、私はそれなりに楽しめた。ただ、この年以降から、ハロウィン期間の渋谷にはなるべく近づかないようになっていった。

だから、今年2018年の渋谷のハロウィンについては、すっかり遠のいた私としてはあまり言うことがない。

ただ、渋谷という街の話をするなら、最近はロードサイド化が著しく、街全体がどっかで見た地方のモールみたいになってきている。公園通りにあったGAPが丸ごと「スーパースポーツゼビオ」になっていたのはさすがに笑ってしまった。資本や自治体が目指しているクリーンな渋谷と、人々が今でも渋谷に抱く「若者の街」というレッテルの中間で、今のところ渋谷は特に誰のものでもなくて、宙に浮いている。そこをハロウィン期間は、どこからかやって来た荒くれ者に占領されているように私には見える。


かつて道玄坂の職場にいた人とお昼に行った際、その人は「渋谷は巨大な田舎なんだ」とおっしゃっておられた。その言葉は本当にめちゃくちゃよくわかる。私も渋谷に勤めている間にそのことを感じていた。そもそも、別々の地方出身である私の両親が「渋谷で知り合った」頃から、ずっとそうなんじゃないかと思っている。

「渋谷は巨大な田舎」という前提を踏まえると、近年の大規模再開発が行き着く先は、なんとなく「イオンモール渋谷」みたいなものになりそうだなぁとはちょっと思っている。でもそれは嘆かわしい変化ではなくて、渋谷は元々そういう街で、自然な流れなんだよな、ということを最近は考えていた。

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