MMS175一原さん

第175回MMS(2019/1/17対談)「アスレティックトレーナーとしての身体のケアから発展して、心のケアまで手がけるウェルネスデザイナー」前編 Aligne(アライン)一原克裕さん

●ご挨拶と出演者紹介

 三木:本日もマイクロモノづくりストリーミング始まりました。本日はAligne(アライン)さんのほうにお邪魔して、一原さんに色々とお話を伺っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

一原:お願いします。


●enmonoとの出会いについて

三木:一原さんと我々の出会いがzenschool殿町で、川崎の殿町というところです。

慶應義塾大学の医学部さんとSDM(慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科)がコラボレーションをして医療系の方達と一緒に新しいビジネスを起こしていこうということで昨年第3期と4期が行われまして、そこで一原さんも参加いただいたという経緯になります。どういった経緯でこちらのzenschool殿町にいらっしゃったんですか?

一原:元々は自分で健康ヘルスケアとかスポーツ業界だったのでパーソナルトレーニングとかそういった事業をやってたんですが、できることをひたすら仕事にして色んな仕事をかき集めてみたいな、やりたい仕事っていうよりかはできることを仕事にしていたところがすごい多くて。

宇都宮:それは何年ぐらいですか?

一原:それは2年ぐらいです。

宇都宮:2016年ぐらい?

一原:そうですね。僕が帰国したのは2015年なので、2016年ぐらいから自分でやり始めて、結局周りから見ると何をしている人かよく分からなくて、本当に自分がやりたい「これだ!」と思ったものを情熱を持ってできるのって何だろうっていうことで少し考えようとしていた時に、前野先生の記事とかを拝見する機会が多くありまして、色々探していたところ辿り着いたという。

三木:情熱というところで来たんですか?

一原:そうですね。あとはその時期から瞑想にも毎週通っていたので、zenschoolの禅と対話みたいなところの全部合致した点があって、すごく興味があって行ってみようと。


●トレーナー業を目指すきっかけと学生時代

 三木:一原さんの簡単なご経歴をちょっとカメラのほうに(パソコンを)向けていただいて。

一原:元々高校までずっと野球をやっていて、高校野球を目指してやってたんですが、怪我がものすごく多くて、高校時代からトレーナーがいるスポーツに対応できる接骨院に通いながら何とかプレーできてたところがありまして、高校ぐらいまでやるとだいたい将来プロになれるかどうかって意外と自分でどのレベルかって分かってしまったりするので、これでやるよりかは同じように怪我でうまくできなかった人を助けられる立場になりたいっていうので、高校3年の時にそういう…

三木:結構早い段階で決意されたのですね。

一原:そうですね。その時にちょうど今のソフトバンクの監督の工藤公康さんっていう方がまだ現役でバリバリピッチャーで投げてた時代で、筑波大学の先生がその工藤さんのサポートをしていることが案外メディアにたくさん出てたんです。選手トレーナーっていう仕事があるのを分かった時点でそれをやりたいということで、その先生がいらっしゃる筑波に行こうと頑張ってたんですが、結局叶わず早稲田に入ったんです。早稲田に入っても結局トレーナーをやりたいっていうことで、ちょうど浪人中に早稲田もトレーナー学科っていうのがスポーツ科学の中にできたんですがそこも受からず、人間科学部っていう全然別の学部だったのでスポーツは全く関係なくて、トレーナーの知識は部活の中で自分で勉強して、学校はまた別の勉強をしているっていう状況でした。

三木:早い段階で目標を見つけられて良かったですね。

一原:そうですね。やりたいことがはっきりしてたので、早稲田で4年間学生トレーナーっていう形でアメフト部でずっとトレーナー業をやっていました。

宇都宮:専属でですか?

一原:選手と同友で学生トレーナーっていう部員として入って4年間やるっていう形式が多いんです。

宇都宮:それはそういうオファーをしたんですか?

一原:そこは入った後に気づいたんですが、鹿倉二郎さんっていう日本で初めてアメリカのトレーナーの資格を取った方がそこのヘッドトレーナーで25年とか30年やられていて。

宇都宮:すごい幸運ですね。たまたまですか?

一原:たまたまですね。それは中に入ってから気がついて、本当にすごい良い環境で4年間やらせていただいたんです。

三木:卒業後は?

一原:その4年間で本当に仕事にするのか普通に就職をするのかっていうのを見極めようと思ってたので、4年間やってみて自分でそれを仕事にしたいって思って、でもトレーナーで何をしたいっていう具体的なものはなかったんです。卒業した後にいくつか現場を踏んで臨時で色々高校のラグビー部とか国際大会とかサポートとか色々やったんですが、その時に「現場にいるトレーナーが一番できることって何なのか?」って言った時に、予防とか緊急事態が一番の仕事で、それをアメリカのトレーナーが目の前でサササッと何の躊躇もなくできたっていう現場に遭遇を…

三木:たまたまアメリカのトレーナーがそこにいらしたんだ?

一原:そう。日本対アメリカのアメフトの国際親善試合で選手が意識がなくなってバタッと倒れた時に、アメリカの代表チームのトレーナーと監督さんの対応がものすごくテキパキされていて、もう当たり前のように…

三木:練度が高いですね。日本だとあたふたしちゃう。

一原:日本はまだまだそこに対する…

三木:恐怖というかどうしたらいいかみたいな。

一原:そこでの衝撃がものすごくて、僕もこれをできるようになりたいって強く思って、アメリカでそういった安全環境をどうやって作るかを学びたいっていうのと、あとは大学で違う学部にいたので、しっかりしたカリキュラムで勉強したことがないっていう自分の中のちょっとしたコンプレックスもあって、アメリカに大学院留学っていう形で行きました。

三木:そこでまた衝撃的なことがあったんですか?

一原:そうですね。元々安全な環境を作るためにはっていうので特に高校の時に怪我をたくさんしていて、そこにちゃんとケアできる方がいなかったのが日本のどこを見ても同じ状況だなっていう、甲子園とか色んな話を聞いても「壊しちゃって選手生命終わってしまった」とかよく聞く話だと思うんですが、その時のアイデアとしては高校に1人トレーナーを付ければ全てが解決するっていう一番シンプルな考え方だったので、アメリカでそういうことをしているところがないか調べた時に、ハワイのハワイ州が条例で高校に全部付けなくちゃいけないっていう法の力を使って整備しているのが分かって、ハワイで何でそれができたのかっていう歴史的背景を全部学びたいっていうのでハワイにしたんです。

三木:ハワイ大学?

一原:ハワイ大学で最初大学院に行ったんです。そこでも色々ありまして、転入をしなくちゃいけないっていうのでボストンに…

三木:学部がなくなっちゃったんでしたっけ?

一原:今また元に戻って存続してるんですが、その時ちょうどアメリカの財政がうまくいかないっていうので先生が何人かカットされるっていうので、「卒業はできるけど大学院2年じゃなくて何年かかるか分からないよ」みたいに言われてしまって、「じゃあみんなで別の州に行こう」って言ってクラスメート半分ぐらいで一緒にボストンに編入をしたんです。

三木:すごい。ボストン大学?

一原:ブリッジウォーター州立大学っていうボストンから南に30分ぐらい行った田舎町のちっちゃい大学です。そこで残りの3学期を終わらせて、2011年に大学院修士を卒業しました。そこで同時にアメリカだと米国公認アスレティックトレーナーって言って、国家資格なのでそれがあるとそこからアメリカで働くことができる状況になるので、ひとまず2011年でそれを得て就職活動と。

三木:でも結構お金もかかりましたね。色々移動したりとか。


●アメリカのアメフトチームでのトレーナー時代

一原:アメリカではその後独立リーグのプロのアメフトのチームが最初の仕事で…

三木:いきなりそういう現場に叩き込まれたみたいな(笑)。どうでした?最初の経験は。

一原:大学院を卒業すると1年間だけ働けるビザが下りるので、ビザの問題は1年間なかったので仕事さえ取れれば働けるっていう状態だったんですが、おそらく100以上エントリーシートを大学とかチームに出して、電話面接まで行ったのが4つです。

三木:そんなにやったんだ。すごい。

一原:もう声さえ掛からないんです。100通送っても4件しか「興味がある」って言ってもらえない。それはインターナショナルっていう面もありますし、どこまで英語ができて仕事ができるかが分からないっていうところもあるので、もうあと1ヵ月仕事が取れなかったら日本に帰国しなくちゃいけないっていう感じだったんですが、たまたま独立リーグのアメフトのトレーナーの人が声を掛けてくれて、ボストンの反対のカリフォルニアのチームだったので、「カリフォルニアに来れるんだったら契約してあげる」みたいな感じで言われて、もう僕は失うものは何もないのでホームステイさせてもらってるところに車とか物とか全部置いて体1つ行って、4ヵ月ぐらいチームとずっと帯同で最初のシーズンやって、終わったらまたボストンに帰って。

三木:取りあえず体1つで。すごい。最初のシーズンどうでした?

一原:そこはNFLっていうプロのアメフトのリーグにはずっといられなかった選手が流れ込んでくるマイナーリーグみたいなプロのアメフトで、僕のチームはほぼ7、8割黒人選手のチームで、監督さんも黒人の監督さんだったんです。その中には初めてのアジア人を見たっていう選手もいるぐらいで。

三木:すごい状況で行きましたね。

一原:そういうのを重ねてどんな状況に行っても対応できる術は習得できたのかなと思うんですが、とてもコミュニケーションが取りやすいチームで、初日行ってスキルでは色々できることを見せられるので、ある程度は信頼はしてもらえるんですが、最初の日にヘッドセットとミュージックがいっぱい入ったiPodを選手から渡されて、「これを聞け」と。中にラップとか彼らの大好きな曲が全部入ってるんです。「これを全部聞いてくれたら俺らはブラザーだ」って言うので、最初からそういうテンションで聞いて、「これいいね」って言いながらテープとか巻いてたりすると、彼らも「ああ、いいじゃないか」って言って受け入れ感が強まってきて。

宇都宮:ミュージックなんですか?お酒とかより…

一原:「この音楽どう思う?」とかそういう感じのところからで、そのチームはリーグ自体も新しくできたところだったので、ホテルに全員が住んで、その中にトレーニングルームを作って4ヵ月やるので、朝から晩までそこにいるわけです。食事の時も同じところでしますし、遠征だと飛行機に乗って別の州に行って支援をしたりとかっていうのがあるので。

宇都宮:ブラザー、ファミリーみたい。

一原:でもすごくそこの経験は良かったです。

三木:すごいインパクトがある。


●シアトル・マリナーズでのトレーナー時代

一原:その時ってビザがあるので気にせずにできたんですが、もう終わりがあるのは分かってるので、働いてる時から次の就活をしないといけなくて、たまたま大学4年の時にインターンをシアトル・マリナーズっていうチームとサンディエゴ・パドレスっていうチーム2つやらせていただいたんですが、そのヘッドトレーナーにずっとその頃から連絡を取らせてもらってたんです。仕事も終わるし次のシーズンから「インターンでも何でもいいからやらせてください」っていうことで、すごく縁をいただいて、インターンっていうところからまず採用していただけたので、そのままその後はマリナーズで3シーズンやったという。

三木:3シーズンというと…?

一原:3年です。

三木:すごい幸運ですね。普通はマイナーのアメフトからいきなりそういうところに行けない。

一原:そうですね。

宇都宮:マリナーズはイチローがいたところですよね?

一原:そうですね。ちょうどヤンキースに移られる前の1年間はそこで同じ…

宇都宮:イチロー選手と一緒に居たんですか?

一原:キャンプの時はメジャーもマイナーも同じところでやるので、そういった意味では同じところでやってたんです。

三木:イチローさんのケアもされた?

一原:それはメジャーサイドに日本人トレーナーは別にいるので、僕はマイナーリーグのほうで逆に日本人は1人もいないです。日本人は関係なく雇ってもらえたので、半分ドミニカ、ベネズエラとかの選手で、半分アメリカ人みたいなところで3シーズン。

三木:そこでの経験はどうでしたか?

一原:そこも選手と一緒でだいたいアメリカだと8軍ぐらいまで1球団にあるんです。日本だと2軍、多くて3軍ぐらいまでしか持ってないんですが、8軍からベネズエラとかドミニカ入れたら10軍まで、全部で250人から300人ぐらいを1球団で抱えてるので、トレーナーもルーキーといわれる8軍からスタートなんです。仕事を評価されてポジションも空いてくれば1年ごとに上に上がって行く感じなので、メジャーリーグでトレーナーをするのは下から叩き上げで行くトレーナーにとってはそんなにスッとはできるものではなくて、10年やってても行けない人もいるような世界なので、僕は最初ルーキーボールっていう15、6歳から22歳ぐらいの若い子達を担当するトレーナーをやらせていただいて。そこでトレーナー兼生活指導係みたいな、野球のスキルはものすごく高いんですが、日常生活だとかどうやって身体を自分でメンテナンスしていくかみたいなところはまだ分からない子達が多いので、すごいトレーナーが介入する度合いが大きいのが下のカテゴリーなんです。上に行けば行くほどもう自分で自分のことはできるので、本当に必要な時だけトレーナーが手を貸すっていう。

三木:学校の先生みたいな感じ?

一原:そうですね。3年の間に1個1個上がっていくんですが、たまたまスポットが緊急事態的に行かなくちゃいけないとか色々出て、2年目4軍で、3年目2軍だったんです。だからメジャーと行き来するところに最終的には行けたので、マイナーリーグでも全部のカテゴリーをほぼ見れたのがすごい良かった。

三木:仕事を評価していただいたっていうことですね?

一原:どうなんですかね?少なくとも年更新なので、「いや~もうちょっとやってほしかった」っていうのがあれば契約更新にはならないという世界なので。

三木:厳しい世界ですね。

一原:はい。1年でどれだけ自分がこれができるよ、きっちりやってきたよっていうのを見せられるかどうかが次の年につながっていくので、3年できたっていうことはすごく良かったかなと。

三木:3年を経て帰国?

一原:2014年のシーズン2軍でやらせてもらって、年末に終わったので2015年の頭に帰って来たっていう形です。丸々4年ですね。

宇都宮:それは区切りっていう?

一原:そうですね。元々トレーナーになりたかったっていうところの安全な環境づくりを日本でやりたいっていうのが僕の一番最初のゴールだったので、そのためにハワイにも行ってどうやってやってるかを学んで持ち帰って来たいっていうのがあって、プロですごく良い経験をさせてもらって、プラス日本で安全っていうところを訴えかけるにはある程度のバックグラウンドだとか誰がそれを言っているっていうのがすごく重要になるっていうのを今一緒にNPOをやってる代表から渡米前から言われていて、「できるだけ上を見て帰って来なさい」と。

三木:色んな経験をしながら?

一原:そしたら日本で安全っていう面を啓蒙するっていう立場になった時も色んな人にある程度しっかり話ができるはずだっていうので、たまたまその年にマリナーズも来年度1チームなくなるのが決まっていたんです。結局同僚を含めて誰かが1人辞めなくちゃいけないっていう状況もあったので、それも良いタイミングだっていうので日本に戻ると。でも仕事は何も決まってないまま戻ることだけ決めて、後はそっちでどうするかっていう感じ。

宇都宮:まずは実家に転がり込む感じですか?

一原:まずは実家に転がり込んだんです。

宇都宮:どちら?東京?

一原:千葉の野田市っていうところです。

三木:その時はおいくつでした?

一原:その時は31です。

三木:まだ35?

一原:僕35です。こう見えても35です。

三木:45じゃなくて(笑)?

一原:35です(笑)。

三木:貫禄ありますね。

宇都宮:年上に見られるっていう(笑)。

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●現在の事業紹介

三木:帰国後どのような経緯を踏まれて今のお仕事に移られたのかを聞いていきたいと思います。

宇都宮:仕事探しは?

一原:1つのチームに帯同して年間を通してそこの選手に何かできることをするっていうのが今までの仕事だったんですが、帰国した後はNPOのスポーツセーフティージャパンという活動をしたいのと同時に、

チームにべったり付いて仕事をするっていうスタイル以外のことをしようと決めていたので、自分は何ができるのかっていうのでパーソナルトレーニング事業を始めたり、まだどこかの会社にお世話になって社員という形でトレーニングサポートを提供することを最初の1年ぐらいは、やってた感じです。

三木:一般の企業?

一原:はい。企業というかトレーナー派遣で。募集しているところにも整形外科で働かせていただいたりとか、週何回どれぐらいみたいな形でそれを2つ3つやるっていうのが最初の1年間のフェーズだったんです。

宇都宮:それは千葉県ですか?

一原:いや、東京都内中心です。でもスポーツ現場でやってきたからこそ自分が受けてきた教育が一番出せたっていうのがこれまであったので、なかなか病院の中だとかパーソナルトレーニングっていうところはゼロベースから全部自分で考えてやらなくちゃいけないと。そこで自分でやり始めて必ずしもこれは自分じゃなくてもできる人はたくさんいるし、これまでの経験で考えるとあまり生かしきれてないっていうのが1年ずっともやもやしながらやってきていて、2年目から健康経営事業っていうのをやり始めたんですが、それと海外のスポーツ留学事業っていうそれぞれパートナー企業と一緒に組んでやらせていただいてるんです。

一応事業としては4C事業と言ってるんですが、メインはCHALLENGEっていう海外スポーツ留学事業と、あとはCONSULTINGは健康経営の企業さんの従業員の健康管理をどうするかっていうところのコンサル業です。今までやってきたことをそのまま出すっていう意味ではこっちのCONDITIONINGでジムで一般の方とかプロのアスリートにパーソナルトレーニングを提供したりとか、今大学のスポーツも見てるので、大学スポーツのチームのサポートをするっていう主にこの3つの事業でやっています。

三木:CRIATIVEってどういう?

一原:CRIATIVEはホームページとかトレーナーでも自分を集客でマーケティングしていかなくちゃいけない人がたくさんいるんですが、そういった方へのホームページ制作とか宣材写真とか色々メディアのほうでのサポートもやっています。

三木:最近は健康経営みたいな言葉が出てきたりとかしてますが、一般企業向けに何か健康経営のアドバイスとかもされようとしている?

一原:そうですね。今いくつかの企業と健康経営事業に関して行っているんですが、今コードブック株式会社とパートナーとして健康経営の事業を一緒にやらせていただいていて、

コードブック側は元々メインでITコンサルをやられている方がいらっしゃるので、そういった企業の中で健康経営事業をどうやって進めていくかはその方がデザインをされて、僕のほうはどちらかと言うと専門家で、中でどういったプログラムをやって、どういった効果測定をやっていかなくちゃいけないのかっていうところのコンバイン型みたいな形で企業のサポートをすることが多いです。今サービスプロバイダーって言われる「アプリも作ってます」とか、「もうフィットネスプログラム、このパッケージで持ってますよ」っていう企業は5万とあるので、僕達は企業にお伺いして、その企業さんが持たれている問題だとか解決したいことと、あとは5万とあるコンテンツの中からどれだったら御社に一番フィットするのかっていうのを間に入って少しアドバイスすることが最近は多くなっています。

三木:一般企業の話もzenschoolの中で色々出ましたが、今の日本企業が抱えてらっしゃる大きな課題、一般的にどんなことがあるんですか?

一原:健康経営っていうところでは今様々な企業がすごい取り組まれていて、すごく熱心なところはもう従業員がお仕事されるオフィス環境から全部再設計してしまおうっていうので…

三木:オフィスの内装とか?

一原:内装とか人がどうやって動くかとか、どうコミュニケーションが取れるかとか、そういったところからアプローチされてるところもありますし、あとはやはりメンタル的な問題のほうが…

三木:メンタルがかなり多い。

一原:顕在化しているところも多いので、ストレスチェックが義務化されたりだとか、そういったことは国からも整備が進んできているんですが、なかなかそこに対するソリューションというか、「じゃあ検査で何か出た場合にどうやったら解決していけるんだろう」みたいなところがまだまだどこも色々トライをしながら「何がいいんだろう」ってやっているのが今の段階だと思うんです。

三木:一般的な企業でメンタルヘルスカウンセラーみたいな方がいる部屋とか場所はあるけど、なかなかそこに人が来ない。

一原:そうですね。産業医の先生とか色々な受け皿としては一応企業さんは持たれていて、あとストレスマネージメントセミナーとか色々やってるんですが、まずそこに行きづらい。行った時点で「私ストレス抱えてるから行ってる」って見られてしまうとか…

三木:会社の雰囲気とか制度を変えていかないと。

一原:会社はある程度そちらをオープンに積極的に介入していかないとなかなか難しいなっていうのがあって。

宇都宮:日本はカウンセリングとかもないですもんね。

一原:そうですね。カウンセリングもどういった人に聞いてもらうかっていうのがすごく大事だと思うので、「カウンセラーです」って言っているところにいきなり行けるかっていうと、どちらかと言うとお友達とかよく分かってくれてる知り合いとかに話すのがカウンセラーの代わりになっているような形が日常の中では多いのかなっていうところで、僕達はスポーツ現場で身体のケアをずっとやってきて、同様にメンタル面のモチベーションをどう上げるかとかもやってきたので、どちらかと言うと身体からアプローチするほうが色々と引き出しがあります。まず健康になるために運動をしなくちゃいけないっていうことはみんな言われていて分かっていることなんですが、いきなりモリを持ってガツガツやるのをみんなができるかっていうとなかなかできないです。企業側もそういうのを少しやりたいと思っていても、サービスプロバイダー側が意外とガツガツ系のパッケージばかりだったりするとなかなかそこが合致しないっていう…

三木:ガツガツ系のパッケージ(笑)。

一原:ちょっとやってみたい、もしくは20分、30分でスッキリするくらいのものからでいいからやってみたいっていうところに対してパッケージを作って、女性だったらスカートで普通に仕事をされてる格好でフラッとお昼休みに来て、20分、30分そこの場で身体を動かして、午後またスッキリした状態でいきましょうみたいなのを最初やり始めたところ、ニーズがすごくあるっていう…

三木:ちょっと軽い運動?

一原:はい。「こういうのをやりたかったんだけど、どこでやればいいかも分からない」「1人でやるとなかなか続かない」っていうので、意外とそこに興味を持った方が同じ部署の中の他の方を引き連れてファンになって毎回来ていただくっていう流れができ始めて。

三木:どんな運動なんですか?具体的には。

一原:具体的には20分ぐらいでその都度トピックを変えて、例えば女性限定で冷え性がものすごくひどかったり血行が悪い方にホットストレッチみたいな感じで身体がポカポカするようなゆっくりストレッチをする回もあれば、男性も加えてもう少しスクワットだとかアクティブに身体を動かして、翌日多少筋肉痛がきたとしても少しそういった機会を作りましょうっていうのでいくつかトピック別にやらせていただいて、1つの企業では「その後にスムージーを無料でプレゼントします」とかも付けたりして、そうすると朝もちょっと早めに出てこられて、働く前の20分でもちょっとお得感と身体がスッキリした状態で1日をスタートできるっていうので、案外それは継続できたかな。


●zenschoolで生まれたウェルネスデザイナーというコンセプト

三木:そういう色々経験を積みながら、zenschoolで出てきたコンセプトがウェルネスデザイナー。

一原:ウェルネスデザインみたいなところを、今言っていた色んなコンテンツがある中で、その人それぞれに必要なものが違うのが大前提っていうのがすごく僕は今まで一人ひとりを見る中で思っていて、全員がウォーキングをして歩けば同じぐらいベネフィットがあるかっていうと決してそうではないと思っているので、それをどうにか形に今後はできないかなっていうのが今やりたいことの1つです。

三木:ウェルネスデザイナーとしてはフィジカルな運動の提供をすると同時に、メンタル面とか栄養面とかトータルで…

一原:そうですね。できたら各スペシャリスト、メンタルのところの先生がいて、栄養だと食事の栄養士の方がいて、それぞれ違うアプローチができる方がつながって、そのもう1歩前の段階で、何か分からないんだけど調子が悪いっていうところをカウンセラーのトレーナー版みたいな感じで…

三木:病院だと3分しか話ができないから。「はい、じゃあ薬出しておきますから」じゃなくて。

一原:それをもう少し深掘りをして、それが身体のことであれば僕はそのまま何かを提供することはできますし。

宇都宮:医療行為ではないんですよね?

一原:医療行為ではないです。逆に医療行為が必要であった場合にはその専門家にしっかりと紹介して行っていただく、いわゆるレッドフラッグと言われるようなこれはもう明らかに何かの病気のサインを出しているとか行き過ぎている場合には必ず病院に行っていただくっていうようなところもできたら作りたいです。

宇都宮:でも自覚してない場合がありますよね。

一原:そうですね。特にメンタル面に関しては本人が一番たぶんそれを分かってなくて、周りがすごい同じぐらいのモチベーションでやっていたりとか、すごいストレスが高い仕事環境の中でずっと頑張ってこられた方とかは、意外とその空間にいると当たり前になっているので、もう本当に疲れ切ってしまっている状態で初めて気づくっていう。僕の周りにも30代半ばぐらいである程度実績も積んできて責任も持てるっていう年齢になってきた仲間が案外そういう形で一線を退いてるケースが最近すごく多いので、それを言う場所とかあとはそういうことが起こる可能性がありますよっていうこと自体をなかなか気づけないので、どうやったらそういったことが早めに分かるんだろうっていうのが1つ今…

宇都宮:病気になる前に気づくといいんですけどね。


●身体と心とイノベーションについて

三木:日本企業の大きな課題は特に産業面ではイノベーションなんですが、幸福感があって安心、安全な環境がないと良いアイデアってなかなか出ないですよね。そういう意味でストレスもメンタルも見ながら安心、安全な環境を作っていくっていうのはすごい重要で、イノベーションの観点から見てもこれからやっていこうというところが非常に意味があるかなと思っています。どうですか?イノベーションと心と身体のそういうバランスというか…

一原:心と身体はすごくそういった事業をやる中で色々関連のサービスをやられていたりとか、大学でそういった研究をされてる方とも話す中で…

三木:そういえば慶応大学のプロジェクトに参加されてるんですよね?

一原:年に1回スポーツXっていうのをやられていて、

そこにスピーカーという形で過去2年は安全面に関してのことと、あとはヘルスツーリズムみたいなところの話をさせていただいたんです。大学の研究の中で出てる話で、喫煙をしたりだとかお酒を飲んだりだとかそういった方よりも亡くなってしまうリスクが高いのはつながりがない方、お見舞いに1人も来てくれない方なのか、1人、2人毎回来てくれる方なのかで生存率が全然変わってくるっていうデータが出ているんです。もちろんお酒をものすごい飲んだり、タバコをものすごい吸ったり、それは体に悪いことではあるんですが、それ以上に人とのつながりがあるかどうかっていうのがものすごく影響があるっていうのが論文でも出ていて。社会的につながっているとか、誰かとつながっているみたいなところがすごくそこに影響があるのがもう分かってるので、そういった意味でzenschoolに行って対話をしてどうするかとか、本当に自分のやりたいことを突き詰めていくみたいなアプローチが僕はそこともつながっているんじゃないかっていう。だから何か身体の検査をしてこの数値が悪いからこれをやろうっていうだけのことをやってても、今後難しいんじゃないかな。

三木:関係性とか対話とか…

宇都宮:対話できる場づくりもできてこないと、安心、安全じゃないと対話にならない。議論とかできるっていう感じじゃない。そこの違いがなかなか日本の企業にいらっしゃると気づけないですよね。安心、安全が足りないですよね。

一原:引き出す側というかそういった環境を作る側の方がどれぐらいいるかにもよるとは思うので、会社によってはそういうのをすごく注力されてオープンにっていう場所もあると思うんです。今会社としても「その辺をケアしてますよ」っていうのが新入社員を採る上でも1つのブランディングにもなるので、その必要性をどこまで感じているかは別にしても、社会がそういう方向に行っているのでやらなくちゃいけないっていうところはたくさん出てきてるんです。

宇都宮:人口が減ってきてますしね。新入社員も。

一原:そうですね。でもいざ何をやったらいいんだろうっていうところはまだどこも模索している段階で、それは僕達も何が提供できるんだろうっていうのは同じなので。

宇都宮:健康経営っていう言葉はあるけど明確な何かあるんですか?

一原:生産性を向上させるみたいなところが健康経営の先の投資として…

宇都宮:生産性の向上なんですか?

一原:そうなんですよ。でも「ROI(Return On Investment)を出しましょう」っていった時に、すごく難しいのは運動をして健康になったらそれが仕事の生産性にどれぐらいインパクトがあったかっていうのを出すのがすごい難しいんです。色んな要因があるので。

宇都宮:それは投資できないっていうことですかね。

一原:まだ投資という概念までたぶんいってなくて、福利厚生の延長っていう形になっているので…

宇都宮:徐々にですかね。明らかにパフォーマンスは違うと思うので。

三木:return on investmentじゃなくてreturn on healthとかreturn on happinessとかROHっていうのがこれからたぶん先進国、日本を含めて…

一原:そうですね。部署的にもCHOみたいな、ヘルスオフィサーみたいなのも出てますし、パーパスマネジメントみたいなのも出てきてるので。

宇都宮:そういう領域もウェルネスデザイナーの…

一原:その一部にはなれるかなと思ってるんです。

三木:でもこれからやろうとしていることはすごい意味があるかなと思っていて、特にイノベーションを起こすっていう意味だと社員がまずハッピーでコンディションが良くないと無理なので、イノベーションと社員の幸福度とか健康度って両輪だと思うんです。でも今まで会社は数字でしか見ていないというか、幸福度ってなかなか測定できないので。前野先生もそっちの方向を探求されてると思うので、みんなでその流れを作っていくと日本の企業も変わってくるんじゃないかなと。単純に「お金をあげるからイノベーションを起して」って言っても無理じゃないですか。だからどういう人達と一緒にどうやってつながってどういう対話をしながら何を生み出すのかっていうところをやっていくと、それ自身が企業コンサルティングに非常に深く入っていく必要があると思うんです。期待しております。

一原:はい。ありがとうございます。


●zenschoolを受講した後の変化

三木:今まで色々ご経歴とか経験を聞かせていただいて、zenschoolの中で何か生み出されたものとか感じたことがあれば感想をいただきたい。

一原:zenschoolの中でワクワクトレジャーハンティングチャートだとか、たぶん一番良かったのは色んな別の業種で別のことをされてるすごい個性豊かなメンバーがいて、同じことをするプロセスをある意味横で聞いている時間があったと思うんです。その時に無意識のうちに「自分はこう思う」とかその人に対して「これもっとこうしたほうがいいんじゃないかな」とか色々反芻するプロセスがすごい面白くて。

三木:リフレクティングトークっていうやつですね。

一原:自分は自分でプレゼンというか話をしなくちゃいけないので、そういった意味ではそこがすごく面白かったっていう。

三木:その経験したことで何か自分の発表に影響を与えられましたか?

一原:その方々に言われていた視点で、こういう視点があるんだったら自分の場合はどうなるんだろうっていうのをその場で考えて、自分の発表の時にちょっと乗せてたみたいなのはたぶんあると思います。

三木:アイデアが重なっていったみたいな。

一原:すごいアイデアが広がっていくところはそこですごい感じられたのかなっていうのと、あとは僕も企業に所属をして働いたっていう経験が逆にないので、チームっていうのは一企業であるんですが、でもスポーツチームなのでちょっと違うと思っていて、そうすると周りがどういう方向に進んでいるから自分もそっちに行こうっていうようなものからは最初からちょっと違う路線ですでに仕事をしていたんです。日本に帰国してからどういった仕事をするってなった時に、どうしても同じ業界でも周りがどういったことをやっているかとか、周りからどう見られるかって思った以上に影響を受けるって思っていて、そうすると「この業界だったらこういうのをやるのが当たり前だから」っていう枠の中でどうしても考えてしまうんです。zenschoolに行った時には結局自分の中であったものからそれをやりたいっていうのが出るので、その時に別に誰に否定されるものでもないみたいな話もあったじゃないですか。

三木:素晴らしい。

一原:「それって結局この中から出てきたものだから」みたいな、それってすごいパワフルというか、別にそれは他の方がやっている○○を「それは違う」って言ってるんじゃなくて、自分がただそれをやりたいっていうのでやっているので、そこがあってからはさらに自分が何をしたいのかっていうところを基準に、それでなおかつ周りにどう影響を与えられるかみたいなところで何をやるかを決めていけるようになったので。

三木:卒業後はその自分のやりたいことの想いで今進んでるっていう感じですか?

一原:そうですね。逆に周りから「何でそれをやるのか?」とか「何でそっちの方向に行ったんですか?」とかよく聞かれるんですけど。

三木:そっちの方向(笑)。

宇都宮:ご自宅もそっちのほうに来ましたしね。

一原:場所も変えたりとか、周りから見てるとたぶん動きとしてはちょっと異質な動きに見えるかもしれないんですが、僕の中では全部筋が通っているというか…

三木:迷いが少なくなった感じ?

一原:はい。ストレスもすごく軽減されたというか、別に誰かの承認がないとそれができないっていうところからも解放されてるので、色々周りに言われたとしても一意見で「そういう考えもあると思うんですけど、僕はちょっとこれをやりたくて」みたいなのでうまくできるようになってきたので。

三木:いいですね。

宇都宮:2019年はどんどん羽ばたいて。

三木:色んなメディアにも登場されて。

一原:頑張って。


●一原さんの考える「日本の○○の未来」に対する想いについて

三木:「日本の○○の未来」みたいな、○○はご自身で入れていただいて、どういう風になっていったらいいかなとかそういう想いがあれば。

一原:日本の…世界の…ウェルネスデザイナーみたいな話もしてたので、ウェルネスみたいなところで、スポーツにしても、企業の従業員で一般の方にしてもたぶん共通することとしては、自分で自分のコントロールができるとか、自分の状態を把握できるっていう能力がどれだけたくさんの人が得られるかっていうのがたぶんすごい重要で、僕はだいぶ前からずっと常にこれがうまくいけばだいたいのことはうまくいくと思ってることが、“循環があるかどうか”っていうのを常に意識しているんです。循環って何かと言うと普通に心臓が動いてて血液が出て入ってるっていう血流も循環の1つですし、呼吸の吸って吐いてっていうのも循環の1つです。コミュニケーションも結局は言って相手のことを受け止めるみたいなのでこの循環が…

宇都宮:ボケとツッコミもそうですよね。

一原:はい。水とかも外見は何も波が立ってなくてピーってなってるのが安定しているっていうことだと思うんですが、でもずっとその状態だと濁って淀んでくるので動きがなくちゃいけなくて、常に回っているというか流れている状態も循環って言えるっていうことを考えると、何か調子が悪くなったりとか何か問題が起きる時ってだいたいそれも循環が滞っている時っていう…

宇都宮:血流が滞る肩こりもそうです。

一原:血流もそうだし、食べて出すっていうのも同じですが、そこに何かあった時に自分で戻れて、「あ、そういえば最近常にベクトル自分の中で自分のことしかひたすら考えてなくて、周りに何も相談もしてなかったな」とか、そういう気づきになることはできると思うので、何かそういうのをもっと簡単にリマインドしてもらえたりとか分かるような術みたいなのが今後ウェルネスデザインの事業の1つとしてもできるといいなと。

宇都宮:ウェルネスの循環みたいな感じ?

一原:そうですね。循環。

宇都宮:でも1人だと循環しないじゃないですか。

一原:そうですね。誰かがいてとか、コミュニティの中でとか、社会とつながっていなくて孤立してしまうっていうのもその循環の中に入れるかどうかっていう話だと思うので。

三木:循環ですね。

一原:動画でTEDのやつか何か見た時にすごいうまいなと思ったのは、心臓の拍動ってピコン、ピコンみたいに動いてるじゃないですか。それがなくなった時にある意味死んでいるという状態なので、人生もアップダウンがあるのが当たり前で、それがなくなった時点でそれはもう生きてるんじゃないみたいな話をしていて、だから底があったら別にそれは普通なことでっていうのになるともっと気持ち的にも楽に生きていけるというか、「私だけこんな目に遭って」みたいなところからそれはただの過程の話でっていうのになればすごくいいなと。

三木:循環万事塞翁が馬っていう、そういうことですね。

一原:(笑)そう。

三木:本日はありがとうございました。

一原:ありがとうございました。


対談動画


一原克裕さん

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