MBS186島田さん

第186回MBS(2019/7/28対談)「心のケアのためのものづくりから、海外への旅を経てマインドフルネスに出会う」ゆとり家 島田啓介さん

●ご挨拶と出演者紹介

三木:第186回マインドフルビジネスストーリーということで、本日はゆとり家の島田さんのほうに来ていただいて、7月1日に出ました『奇跡をひらくマインドフルネスの旅』という自伝を中心にマインドフルネスブームのこととか色々伺っていきたいと思います。

島田:はい。


●enmono三木との出会いについて

三木:島田さんと私の出会いというところから。2年ぐらい前マインドフル飲み会があって、そこでサナさんが「紹介したい人がいる」っていうことで私も参加して。

島田:そうでしたね。

三木:その時会話があまりなかったんですけど。

島田:あまり弾まなかったのかな?毎年やってるんですけどね。その時はそれで終わったんでしたよね。儚い感じでした。

三木:その後に“全ての分離から調和”っていうことで、横須賀の基地の方々向けのマインドフルワークっていうのをやりたいなと思って。

島田:「英語でやってくれ」って。

三木:突然の思いつきで。「できる人いないかな?」ってサナさんにお話ししたら「島田さんがいいんじゃないの?」っていうことで。

島田:そうだったんだ。カレーがおいしかったですよ。海軍カレー食べたりとか基地の中にも入らせてもらって一緒に売ったりしてすごい楽しかったです。それがご縁でしたね。その時はもう「Zen2.0でやってますよ」っていうことだったんですよね?

三木:そうそう。その後で「ご登壇いただけないでしょうか?」っていう話になって、去年Zen2.0にご登壇いただいてありがとうございます。

島田:ありがとうございます。うちの瞑想会にも来ていただいて。

三木:ゆとり家開催。

そんな感じでゆるゆると。その後Zen2.0にご登壇いただいて、歩く瞑想をしていただいて、建長寺の竹のところまで行って竹の音を聞くっていうのがすごい好評でしたね。

島田:ちょうど下に行った時に竹の音を聞いたらすごい水を吸い上げる音とか風の音が伝わってくるっていうか、中が空洞だからあそこに響くわけですよ。それをみんなで耳を澄ませて聞くっていうのはすごい良い体験だったなと思います。

三木:色々お世話になりました。


●島田さんのご経歴について

三木:ご経歴というかどういう経緯で今のようなお仕事を…

島田:長い!非常に長いので…

三木:今は翻訳家と著作業っていう風に申し上げれば?

島田:そうですね。うちにいる時は翻訳したりとか文書書いてますけど、講座で出かけてることも多いです。テーマはマインドフルネスが多いですね。そんなことで出かけるのとうちにいるのと半々ぐらいな感じかなと思います。うちではカウンセリングをしたり、瞑想会をやったりもしてるので、色んなことを寄せ集めてやっている感じです。

三木:どうしてこの道に入ったかと。

島田:どの道ですか?

三木:マインドフルネスです。

島田:やはりティク・ナット・ハンとの出会いに尽きますね。

三木:学生時代の頃から?

島田:私は学生時代は非常に大変で精神的な病気を持ってたので入退院を繰り返したりして、結局中退してるんですね。それで故郷に帰って体のほうから立て直そうっていうことで木工を始めたんです。無垢の木の家具(自然材から作った家具のこと)とか小物とかを手作りの家具工房で作ってたんです。

三木:なぜ木工職人に?

島田:結局精神的な病気って精神病って言うぐらいで心にくる。色々考え過ぎちゃうとか、色んなことを妄想することが中心的な症状になるわけです。そうすると体がどちらかと言うとおろそかになって体のことに意識がいかないんです。もちろん体も具合が悪くなるんですけど、柳宗悦(やなぎむねよし)っていう人間運動をやった方の本から知ったんですが、

とにかく体でもってする作業に打ち込んでいくと心が空になって禅的な状態になるわけです。

宇都宮:モノづくりとか?

島田:そう。それでモノづくりに打ち込むことで一種の瞑想であるっていうことです。そうすると自分のごちゃごちゃ考えちゃって思考でいっぱいになってた心も楽になるんじゃないかと思って治療的な意味でこの世界に入ったんです。もちろん何か手作業するのも好きと言えば好きだけども、それ以上に何かに打ち込むことで心が空になって安定していくんじゃないかと。実際に飛騨の高山に行ってその仕事を始めたんですが、非常に効果がありましたね。

三木:それで心のほうも落ち着いてきた?

島田:そうですね。いわば座禅して段々思考が落ちていって、ただそこに呼吸だけが残るみたいな感じの暮らしで、同時に収入にもつながるということが両立したわけです。その時期はまだマインドフルネスとかそういう言葉が日本に全くもたらされていなかったんですが、そういう状態を体験してたような気がします。

三木:何年ぐらい家具職人をやってらっしゃったんですか?

島田:合計で5年ぐらいでそれほど長くないんですよ。僕としては家具職人になりたかったっていうよりもむしろ治療的な効果を狙ってそれをやっていたので、結構スッキリしてきたので、もう僕旅が好きで好きでしょうがないと。この本も“マインドフルネスの旅”っていうぐらいで、世界中あちこち自由に旅行したかったので。

三木:すごい色んなところが…

島田:行きましたね。それがぎっしり表紙にも入ってる形ですが、それで最初に一番行きたかったインドに行ったわけです。色々入院中にも本を読んでました。

三木:なぜインド?

島田:かなり日本からかけ離れた色んな状況であるということとか、あと生きるっていうことが剥き出しになってる感じがあったんです。日本では道端に人が死んでないけど、インドではその当時の本や写真なんかを見ても道端で人が亡くなってるとか、そういう非日常的な風景がたくさん紹介されてるわけです。例えば道端で色んな商売をやってるとか、色んなヨガもやってるとか、全ての暮らしが道端で行われてると。そういうことに非常に興奮して、「これは人が生きてる。それが全部剥き出しになってる」って。日本のキレイな通りでおめかししてみんな本音を出してないみたいなのが息苦しくてしょうがなくて、そこから飛び出そうみたいな気持ちで旅に出てます。

宇都宮:観光っていうわけじゃないんですよね?

島田:観光っていうわけじゃなかったです。ついでに有名なところがあったら「あ、これは教科書で見たタージ・マハルだ。じゃあ近くだから行ってみよう」っていう感じで行ったとこはありましたけど、僕としては牛がそこら辺に歩いてたりとか、とんでもない田舎に行って乗ってるバスを突然降りてみたり。

三木:1人で行かれたんですか?

島田:1人だったんです。最初はね。

三木:どれくらい行かれたんですか?

島田:最初に行ったのがビザの限界で半年ぐらいだったんです。それから何度も行ってるわけですが、自分自身も症状はある程度出るんですけど放っておいてもらえるわけです。僕は躁鬱ですけど、みんな躁鬱みたいな感じで生きてる感じに見えるわけ。極端が許されると。躁状態になっても鬱状態になっても別に普通だという感じで放っておかれる感じでした。

宇都宮:本で得た知識と現地と同じような感じ……

島田:でもそれはその本を書いた著者とかカメラマンの視点で見てるので、僕は実際に行ってみないことがたくさんありましたし、なにしろ匂いとか体感する皮膚感覚とか食べ物とかそういうもので全体的にガーッと体験しているわけです。逃げ場がないような状態でそこの中にドーンと入ってるわけですね。

三木:最初のインドの衝撃みたいなのはありましたか?

島田:早速発熱しましたね。興奮して昼間から歩いてるので熱射病になったんです。

宇都宮:それは危ないですね。

島田:熱射病になってガーッて熱が出て、医者に行くと「マラリアだ」とか言われて、潜伏期も何もないのに適当なこと言われてマラリアの薬をもらうわけ。だけどそれで全然熱が下がんない。それでたまたま旅をしていた看護師さんに「これは熱射病ですよ」みたいなことを言われて、座薬を持ってたのでそれで助かりました。

三木:看護師さんって女性ですか?女性でインドに1人で?

島田:そうです。その看護師さんに座薬を入れられたのがうれしい…うれしくない、別に(笑)。

三木:旅先で会った看護師さんに?

島田:いきなり座薬ですからロマンスにならない。

宇都宮:日本人の方?

島田:その人は日本人で1人で旅してました。そういうことがあってまず洗礼っていうか一気にクールダウンしてそこから旅が始まったわけです。

三木:どういうところに行く?

島田:最初はカルカッタに行ったので、マザー・テレサがまだ生きてた頃で、マザー・テレサのところに行きたくてそれでボランティアを1ヵ月ぐらいしました。まずマザー・テレサの死を待つ人の家で死んでいく人達のお世話をすると。

三木:シーツを替えたりとか?

島田:そうですね。シーツを替えたりとか、食事を食べさせてあげたりとか、さすってあげたりとか、あとは掃除だとかそういうことを一生懸命やって1ヵ月ぐらい過ごしてました。

三木:色んな国からボランティアの若者が?

島田:当時からものすごいボランティアがたくさん行ってましたね。

三木:どういう国が多かったですか?

島田:欧米の方は多かったですね。アメリカの人も多かったし、西ヨーロッパの人が中心だったと思う。日本人の方も常にいましたよ。少数だったけど。

三木:1ヵ月ぐらい過ごされて?

島田:それから「インドはガンジス川だ!」と思ってまずベナレスに行ったかな。いわゆるガートっていう川に下っていく…

三木:死者を流す?

島田:そうそう。そして焼き場があって、川岸から遺骨とか遺灰を流すっていういわば生と死の全てが展開されてるような現場に行きたいと思ってたので、それでまずガンジスだと思って行ったんです。

三木:その時の印象はどうでしたか?

島田:もう「ここだ!」と思いました。“It’s now.”と思うんですよ。

まさに今ここみたいな。息を吹き返した感じですね。ずっと病院で数年間は病気な状態でいたので、それがようやく落ち着いてきて、インドに行ってまさにそれが今こことバーッと出会ったわけですよ。自分が今ここに生きてるっていう実感があったわけ。死体を焼いてるようなところを見たりとか、そういう生き生きとした命の感じ、今ここ状態みたいな感じですよね。ワーッとライブな感じ。

三木:すごいな。そこで目覚めた感じなんですか?

島田:そこでハッと「そういえば生きてるんだ」みたいなことに目覚めてきたっていうことですね。

宇都宮:生きてることを忘れてたんですか?

島田:忘れてたって感じですね。逆にそういう状態が長かったから、離人症っていう症状もありますね。実際触ってみてもあまり自分自身の身体感覚がなくてリアリティがないっていう症状も僕にあったんです。だからあんまり生きてる感じがしない。それから薬も強い薬を飲んでるとその副作用でボーっとしてしまうことがあったので、薬抜きができたっていうこともありますし、色んな刺激に満ちた毎日の中で、そして死というものも目の前で展開されてるところで「あ、今ここだ!生きてる!!」っていうシンプルな事実にすごく驚いたわけです。まさにそれがワンダーなんですよ。「えっ?!」っていう感じ。

三木:そこから症状がどんどん回復していくみたいな?

島田:そうですね。ある程度波はあっても気にならなくなったわけです。気にしないっていうことはすごく大きなことで、気にしないと実際症状も良くなるんです。もちろん気持ちも楽になる。躁鬱で今躁になってるなとか鬱になってるなっていうことは分かりますが、あまりそれにくっついていかないことができるようになったんです。今ここっていう現場に自分がいることにハッと気づくと、「あ、これだ!」と。「今悲しい」「今怒ってる」「今楽しい」っていうことになって直に現場とコネクトするわけです。現場とコネクトし続ければ体調が変化したり感情が変化してもそれに引きずられて飲み込まれないようになっていくっていうことです。

宇都宮:それって環境次第でもあるんですか?

島田:環境もすごく大きいです。環境を選んでそこに身を置くかどうかは自分が選択できるし、同じ環境にいても人の反応は違うから、それが同時に起こってきてるっていうか、啐琢同時(そったくどうじ)みたいにこっちからこう行くのと向こうとの出会い、

その出会い出会いの瞬間瞬間っていうものに敏感にそれを察知していく感じで、後から考えるとそういう風になってたかなと。でもそのためには思い切って何か結界を越えなくちゃならないけど、それを越えるのは怖いことですよね。例えば僕の場合だったら長いこと精神科の医療に守られていたので、その中で何とか自殺しないで済んだとか、自分の命を保てたということがあったんだけど、そこから出てインドに行く。薬も飲まなくなる。そしてそういったケアも受けない。躁になったら躁になりっぱなし。鬱になったら鬱になりっぱなしという状態に自分が踏み込んでいくのは非常に怖いわけです。そこで僕にはインドっていう引きがあったので、そこにグッと入って行った時にそこから引き返すわけにはいかないと。躁だったら躁なりに、鬱だったら鬱なりに、下痢したら下痢なりにそれなりにやっていくしかないっていう状況の中だと自分がむしろ開かれていくっていうか、1つ1つにコネクトしていく感じがあったんです。

三木:インドは“It’s now.”なんですね。

島田:“It’s now.”ですね。そう思って(Tシャツ)着てきたわけじゃないんですが、まさに“It’s now.”がずっと続いてるような感じだったんです。ものすごい面白い。

宇都宮:でもインドに住んでしまうっていう選択肢は?

島田:それはきついでしょうね。

宇都宮:それって期間限定みたいなイメージなんですか?

島田:長いこと僕は旅をしてたっていうのは前半は治療的な意味でやってたんです。だから木工の仕事もそうだし、自由に旅行することも何とかこの苦しさ、息苦しさから解放されたいっていうことです。だから四聖諦で行くと苦諦に最初出会って、仏陀の4つの真実ですよね。まず苦しいっていうドゥッカは思うようにならない、だから不満足であると。こういった生きることの思うようにならなさっていうのをどうしたらいいんだろうかっていうことで、その先に探求していることを仏陀はされたと思うんだけれども、それをすごく分かりやすく「じゃあこうするといいよ」「ああするといいよ」例えば「呼吸っていうものに帰ってごらん」みたいなこともそこから出てくると思うんですが、最初の生きるっていうことが思うようにならないどうにも行き詰ってしまって底を打ってるんだと。そういう自覚がないとそこから先に進まないと思うんです。だから僕の場合には精神病っていう形で苦諦、一番最初のドゥッカっていうものがガーンってやってきたので、それを何とかしなくちゃならないっていう時に最初木工があったり、それから旅、とにかくインドに行ってみようということでインドに行ってみたっていうことです。そこから次のステップで「じゃあ苦の原因って何だろうか?」っていうことを…

三木:次のステップの話を聞きたいんです。インドの次。

島田:次のステップ。この後メキシコに行った時に、苦しいっていうのは先のことばっかり考えてるからだっていうことにハッと気づいたんです。例えばそれが明るいことであっても暗いことであっても、その時の体験っていうのが苦しければ明るいことを考えて少しでも楽になろうと思うし、その時の体験がすごく楽しいものであればそれが終わってほしくない、ずっと続いてほしいなと思うっていうことで、そのどちらも結局苦しんだっていうことにハッと気づいたんです。歩いてる時にね。ピースウォークは毎日毎日30kmぐらい歩きますから。

三木:ピースウォークはみんなで歩くんですか?

島田:そうですね。だいたい20人ぐらいの人数でパナマからアメリカのワシントンD.C.まで7,500kmを10ヵ月。

三木:それはいつぐらいですか?

島田:1991年から92年にかけてです。ちょうどコロンブスの500年という記念行事があった年が92年で、アンチコロンブスっていう感じでやったんです。先住民は元々住んでた人達が侵略されたということで、アンチコロンブスイベントの一環として歩くっていうことをやったんです。

三木:メンバーは何人?日本人?

島田:結構色んな国から10ヵ国ぐらいの人が参加してましたね。日本の人では日本山妙法寺っていう日蓮宗系の海外布教をやってる教団のお坊さんが常に3人ぐらいはいました。旅人がそこに来たり出たり、僕はずっとそこに最後までいました。

三木:すごい。何か歩いてる時にメッセージを掲げながらとかそんな感じですか?

島田:こういうバナーっていうのをまさに(本の)表紙で持ってるこのメッセージね。

これは“命と平和のための諸宗教合同巡礼”ってスペイン語で書いてあるんです。それが1つのタイトルとなって命と平和のために一緒に歩こうみたいなことが一番中心的なメッセージだったんです。色々各地で取材もしながら500年の抑圧の歴史をもっと伝えていこうっていうのが趣旨だったので、毎日のように終わった後に地元の人とのミーティングがあったり、たまに新聞社の記者会見みたいなのがあったり、メディアに出たりとか…

三木:色々言ってくる人もいるんですか?アゲインスト的な。

島田:ありましたね。アメリカ合衆国に入ってからは南部を歩いたので、かなり保守的なところだった。

三木:危険な感じじゃないですか。

島田:そんなに身体的な危険は直接はなかったですけど、よくそういうことに関して抗議をしてくる人とか、自分の私有地意識がすごい強いですね。ちょっと踏み入るとライフルを持っておっさんとかが出てくるんです。すごい怖かったですね。「元々は自分達こそその地に入って来て侵略したのに何で自分の家だって言って銃を持って出くるんだよ」って僕らはすごく怒ったんだけど。

三木:そういう歩く活動を通して色々感じたことがいろいろあると思うんですが。

島田:身体的な行っていうのはすごく大切だなと思いました。平和活動とかは理念的にどんどんなっていきがちなんですよ。そしてどっちかって言うと自分達がやってることが正当で、侵略者であるヨーロッパ人達はけしからんみたいな議論になっていきがちなんだけど、とにかく歩くことが中心なので、ほとんど毎日8時間ぐらい路上で歩きながら過ごしてるので、その歩くこと=祈りみたいな感じになっていくわけです。だから身体性っていうのがすごく大事だなってつくづく思いました。これは木工でカンナがけするのと同じで、その結果としてこういう全く平らな面ができるのと同じように、ひたすら歩くことのその中に自分の心の平安とか平和とかそういう命の働きっていうものが表れてくると。それは言葉でもって議論したり考えることではどんどん理念的になって結局は敵味方とか何が正しい正しくないっていう話になっていってしまう。「どうしたらいいんだろう?」っていうとひたすら身体的な行をやっていくと。炎天下であっても雨が降ってもひたすら歩いていく。しかも一緒に歩いていくっていうことが分かっていくことになっていくし、それが最も強力なメッセージだと僕らも思ってやっていました。

宇都宮:身体性っていうのに気づかれてそうなっていった感じなんですか?振り返ってみてそうだったっていう感じなんですか?

島田:振り返ってみて分かってきたことが多いですね。その時ってその体験と一体となってるので、日記ぐらいはつけてましたけど、色々現場のことで忙しいわけです。もちろん歩いてるだけじゃなくて色々記録を取ったり色んな交流をしたり、それから色んな国の人が混じってるので、共通言語が英語とスペイン語だったんです。だけど特に日本人の人で英語とスペイン語ができる人がほとんどいなかったので、僕は両方ともできたから英語とスペイン語の通訳をやってたんです。しかもアメリカ人でスペイン語しゃべれないっていう人も結構いるので、英語とスペイン語の通訳もやらなくちゃならなくて。スペイン語は向こうに行ってから覚えたからそんな完全ではないんだけど、とにかく少しでもできる人間はどんどんやらなくちゃならないと。または色々各地の人とミーティングやったり色んな記者会見だとかがありますから非常に忙しかったです。

宇都宮:それは嫌ではなかったんですか?

島田:僕は退路が断たれてたので、良いとか嫌とか言える身分ではないんです。このいきさつが(本に)書いてありますが、イギリスまで行って婚約者が出家しちゃったので、日本に帰る計画がもうないと。それでお金もないから巡礼だったら食えると。タダでお布施で生きてるから、それで行って1年ぐらいはお布施で生きてたので選べないわけです。最後に帰るためのお金をお坊さんがお布施してくれたんですよ。僕だけじゃなくて何人か中心メンバーにお坊さんからお布施されたんです。それで帰ってきた。

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●ティク・ナット・ハンとの出会いとウェブ・オブ・ライフの活動について

三木:マインドフルネスに出会ったっていうのをこの本の中に書いてましたが、歩くプロセスで…?

島田:瞑想とは言わなかったけど、ピースウォークで…

三木:その中で「ティク・ナット・ハン老師の言葉をアメリカ人のお友達から教えてもらった」って言ってましたけど。

島田:「1歩1歩が平和そのもの。そこでクリエイトしているのであって、何かをすることによってその先に平和があるんじゃない」っていうメッセージがその本にあったんです。

三木:1歩1歩がピースの「ありがとう」「ありがとう」っていう…

島田:そう。「ありがとう」「ありがとう」でもいいし、「ピース」「ピース」でもいいし、そういう気持ちで「この1歩1歩が私が今踏んでるここが平和の地だっていうつもりで歩きなさいよ」っていうことが書いてあったんです。「そうなんだ」と思って7,500km先のワシントンD.C.を目指して歩いて、「この1歩1歩が平和でないとピースウォークだから巡礼をやってる意味も実現できないよ」っていうことが書いてあったんです。

三木:日本に戻って来た後くらいの話をちょっと…

島田:ちょうどニューヨークかどこかのすごく大きな書店に行った時に、ティク・ナット・ハンの本がものすごくたくさん置いてたんです。「こんな流行ってるんだ」と思って何冊か買ってきました。

三木:それは92年?

島田:92年の秋、巡礼が終わってから。それを何冊か買って帰って来たんです。

三木:30年ぐらい前か。

島田:30年近く前ですね。それで帰ってきてティク・ナット・ハンいいなってなってきた時に、知り合いのつてでティク・ナット・ハンを日本に呼ぼうとしている人達がいると。それがウェブ・オブ・ライフっていうこの(本の)推薦を書いてくれた中野民夫という人が中心になってやってる自発的なグループ。

三木:ウェブっていうとインターネットもない頃から。

島田:そう。インターネットのない頃にウェブです。すごく色んな試みをやってたんです。

三木:例えばどんな活動を?

島田:例えばだいたいアメリカから色んな手法が渡ってくる。色んな心理的なワークショップをやったりとか、当時は割とゲシュタルトワークだとかマインドフルネスもそのうちの1つだったんです。当時日本人がまだあまり知らなくて、バブルの後だったのでちょっと経済が落ちてきた頃に、何か崩したような感情が共有されてたっていうこともあって、「これからどういう方向に行ったらいいんだろう?」っていうのを探るのに単に頭で考えたり話し合ったり、もっと体を使ったりとかもっとオープンなコミュニケーションでみんなで共有していく中で何か新しいものを見出していこうみたいなそういう動きをやってた人達。

三木:かなり先駆的ですよね。今でさえそういう道の方が色々やってますが、30年前ってほとんど知らない。

島田:全く知らない。だけどポツリポツリとアメリカの留学から帰って来た人達がそういうのを紹介してる。

三木:中野さんはCIISに留学されてたんでしたっけ?

島田:そうです。色んな国の東洋と西洋の叡智を一緒にして学ぼうっていうそういった大学院大学があって、そこに行って…

三木:去年Zen2.0に来ていただいたパロマ・パベルさんはそこの教授だったんですね。

島田:そこの教授でパロマさんもそこで教えてたりしたわけです。そういう学びがカリフォルニアにたくさんあって、それを学びに行った人達が日本に持って帰って来たと。その中にティク・ナット・ハンも実はあったんです。ティク・ナット・ハンもアメリカですごく知られていて、毎年のようにアメリカツアーをやってたんです。それにたくさん人が集まって一緒に瞑想のプラクティスをやってたわけ。それで「ティク・ナット・ハンを呼ぼう」っていうことになって、実際に95年を目指して来日の招へい活動が始まって、それで僕もそれにドーンと加わって来日の1年以上前から瞑想会をやりながら…

宇都宮:場所は都内かどこか?

島田:井の頭公園の童心居っていう小さな茶室があって、そこを拠点に瞑想会をやってました。そこで歩く瞑想をやったりとか座る瞑想をやったり、ティク・ナット・ハンのテープをまだ当時日本語ないから英語で聞いたりして、そうやって勉強会をして…

三木:何人ぐらい集まるんですか?

島田:だいたい平均して10人ぐらい。

宇都宮:皆さん東京近辺の人?

島田:そうですね。

宇都宮:年齢層も近いんですか?

島田:だいたいその当時30代の人が中心でした。

三木:職業も色々?

島田:色々でした。僕は自然食の八百屋をやってたけど、民夫君は会社員で、他にも教員の人がいたりとか、心理ワークをやってるような人達もいた。

三木:すごい先駆的な研究会ですね。

宇都宮:濃い感じですね。

島田:濃かったですよ。例えば男が泣くとかそういうのあまりピンとこなかった頃、今でもあんまりピンとこないかもしれないけど、そこで泣いたりとか自然にありましたよ。「自分のトーキングをしていく」って言って自分の本当に思ってることをその安全な場でみんなに向かって言うと。その中で泣けてきちゃって「こんなこと家族にも言えなかったよ」みたいなそういう素直に泣けるとかはありました。

宇都宮:男性、女性は?

島田:同じぐらいの比率だったと思います。その中でティク・ナット・ハンの来日が95年にあったということです。

三木:まさにZen2.0のお手本みたいな感じですね。

島田:そういう場を必要としてる人達があちこちから集まってきたっていうことです。そういう安心な場であるとか、自分自身のありのままでいられてそれをちゃんと受け止めてもらえる場が極端になかったんです。そして時代の閉塞感が高まってた頃だったので、「この先どういう風にこれを打ち破って先に進んで行ったらいいんだろう?」という時に「じゃあティク・ナット・ハンだね」っていう話になって、「じゃあそういう話になったけど、ただそういう有名な人を呼んで学ぶっていうんじゃなくて、自分達がプラクティスをしていかなくちゃ」っていうことで今で言うマインドフルネスのプラクティス、全く今やってることと同じことを…

三木:その時もマインドフルネスっていう言葉を使ってたんですか?

島田:仲間内では使ってたけど、外向きには「何言ってんだ」って言われてるから、「気づきの瞑想」って言ってました。

宇都宮:まだインターネットがない頃だから情報がそんなに共有されないですもんね。

島田:一部では使ってたけどね。一般には普及しなかったですし。

三木:マインドフルネスの日本の黎明期ですね。コアな人達が集まる。

島田:それで来ていただいた95年がまさに阪神淡路大震災とオウム真理教の事件があったわけです。それがこの本でも中心になってるんです。オウムの事件っていうのは今につながる日本人の精神的な闇というのはダークネスの意味もあれば、本当に病気としての病み、病んでるっていうところがすごくはっきりと出たところで、それは今も類似したことは多く起こってるわけです。何か特殊化していくこととか排除していくとか差別していくとか、そういうことがみんな関わってるわけです。だから逆に僕らがやろうとしたことはつながって違いを乗り越えて出会っていくこととか、本当にそこにあるものを否定しないでありのままに見て受け止めていくっていうことを望んでいた時に、ティク・ナット・ハンが伝えてくれることってまさにそれだったんです。オウムはその逆だったんです。何かを特殊化してそれを崇めて先鋭化していく。排除していくとか自分達が何か特権意識を持っているとか、つながりではなくて分断していくと。一番はっきり出たのは地下鉄のサリン事件ですよね。そういう人達に対しても殺してしまうというようなことをやって切っていくという、そういうこととティク・ナット・ハンが来日したことっていうのはもうすごくコントラストがはっきりしていたわけです。ただやはり世間から見るとどっちも同じみたいな括りを…

宇都宮:宗教と?

島田:宗教、瞑想。宗教でさえも…

三木:宗教=瞑想みたいな感じ。

島田:そう。そして瞑想っていうのは何か洗脳だというようなことで…

三木:日本の社会があの事件以来ものすごい遅れてしまう。欧米に対して。

宇都宮:おじさん達すごい瞑想っていう言葉に対して拒否反応がありますね。

島田:まだありますよね。ただ全くやろうとしたことは逆のことなんです。そういう分断を乗り越えて出会っていこうとか、頭だけで考えてるんじゃなくて全体を通して、これが私全体なんだから、この個体である私が全てじゃなくて、全てが1つであるっていうことに向かって実際に実践を通してそこに入っていくことを体験するっていうことです。それがまさにマインドフルネスっていう言葉でもってもたらされたのが95年だったと思うんだけども、やはりオウムの事件があって、それが僕らから見ると鮮やかなコントラストとしてはっきりと見えてきたんだけど、世間から見るとあれは同じようなものだと。それでだいぶその後の停滞期ですごく伝えづらい時期が続きました。

三木:集まった人達は何人ぐらいで招へいを?

島田:実行委員会でコアになったのが民夫君と僕とあと2人の人4人が事務局になって、それプラス仲間を集めて20人ぐらいが中心的に働いてた人達だと思います。相当大きなツアーだったので、ずいぶん準備にも時間をかけて3週間やりました。各地方にも実行委員会みたいなのができたので、各地方に10人ぐらいずつとか…

宇都宮:日本中っていうことですか?

島田:そうですね。実際にツアーをやったのは大阪、京都と関東地方を中心とした部分ですが、全国的に色んなとこの人達が手伝って100人ぐらいは準備のために動いてたと思います。インターネットが使われてなかったので、電話、FAX、ハガキでやってました。茶封筒でやり取りしたりとか。

宇都宮:経費もかかりますよね。

島田:相当かかったと思います。そういう形で今インターネットでやってることの雛型みたいなのが、だからメーリングリストもあったんです。茶封筒でみんなで入れてコピーしてそれぞれに…全くメーリングリストと同じようなことでやって。

宇都宮:DMを送るんですか?

島田:インターネットができる前にそういう発想で共有していくことをやってたっていうことです。

宇都宮:それはオープンにつながるっていうこと?

島田:そうですね。だからマインドフルネスっていうのをキーワードに色んな試みをしていて、今はインターネットが使えるようになったのですごく楽にできるようになったし、そういう下地があった僕らは割と抵抗なくインターネットにパッと入っていけたんです。そもそも発想っていうのがインターネット的な発想って言ったらいいのか分かんないけど、そんな言葉もなかった時代にウェブ・オブ・ライフっていう名前が象徴するように、そういった発想で分断を乗り越えていこうとか、違いを認めつつも一緒に何かをやっていこうとか、本当の平和とかそういうものって何だろうっていうことを探求していく上でティク・ナット・ハンの来日もそうだけど、来日に向けての働きそのものが非常にマインドフルネスの働きだったし、それは非常にWeb的だったと思います。


●マインドフルネス合宿での毒草事件について

三木:95年に富士山に集まったって仰ってませんでしたっけ?

島田:95年は合宿をやったのは今僕が住んでる伊勢原市と清里だったんです。

三木:何かそこで事件が?

島田:そうです。清里で毒草事件っていうのがあって、ボランティアで野草を摘んで持ってきてくれた人がそれをみんなで一緒に食べようと。それで間違って毒草が入っちゃったんです。それで間違って食べちゃった人が大量に倒れちゃって、僕も倒れて入院したんですけど、参加者が100数十人で90人ぐらいはそれで倒れちゃったんです。

三木:それはすごいですね。

島田:すごいです。そういうこともあって、「あれはオウムだ」っていう評判もまた立っちゃったわけです。

三木:さらにそこで追い打ちをかけるように。

島田:そう。毒だったから、実際毒で何かやられたんじゃないかみたいなことがあって、非常に逆風になったっていうことはあります。それも1つのプラクティスとして僕がやっていかなくちゃっていうことを実際に言われて、そういうつもりで取り組んでいましたけどね。事後処理は1年ぐらいはかかりました。

三木:大変でしたね。本当に色々と。


●現在のマインドフルネスの流れと現在の活動について

三木:色々ご苦労をされて今ようやくマインドフルネスっていう言葉が言っても別に「あ、そうなんだ」ぐらいなレベルまで来たっていうのを見てどうですか?

島田:これは色々な条件が集まってご縁の中で起こってきたことで、こうなるとは全く思ってなかったです。

三木:どうなると思ってたんですか?

島田:もう瞑想とかマインドフルネスっていうことはあの時代に何とか広めようと試みたけれども、ちょっと早すぎたし、マインドフルネスが日本にまた知られるようになってきた2010年前後の頃は、僕は子供が産まれて主婦的な感じにやってたのであんまり社会に出てどうこうするっていう気持ちでもなかったです。ただ翻訳を頼まれてやったりしてましたけど、でもそこにマインドフルネスっていうのが全然別方向から来たと。「おっ!!」と思ったんです。

三木:何年ぐらい前?日本でブーム的になってきたのは3、4年前じゃないですか。

島田:2010年前後にジョン・カバット・ジン博士のほうとかビジネスのGoogleとかでもそういうことがちょっと言われ始めてきたっていうニュースが伝わってきたし、そしてティク・ナット・ハンがもう一度日本に来たがってるから呼ぼうっていうのが2009年頃に始まった。僕にも声がかかったからそういうミーティングに行ったんですが、その時に2011年に呼ぼうっていうことになったんです。それも決まってどんどん進んでいって、ところが11年またもや震災でキャンセルになっちゃったんです。でもその流れが今に続いてきてるっていうことなんです。ご本人は2014年に脳出血で倒れられたので、お弟子さん達が続けてやってきてますが、その流れとビジネスとか医療のマインドフルネスが一致してたんです。2011年に来たかった人達が集まって瞑想から始めたんです。それでそれがどんどん全国に広がってきた。ティク・ナット・ハンの本もどんどん翻訳されて出版されるようになったんです。僕もそれで毎年のように2、3冊は出すようになった。それと同時にビジネスのマインドフルネスとか医療関係のマインドフルネスがどんどん伝わってきたんです。

三木:そして昨年Zen2.0にご登壇いただき。

島田:ものすごく駆け足で話してしまいましたけど、この10年ぐらいですね。

宇都宮:すごく変化が激しかったですね。

島田:激変です。世の中は瞑想を怪しいものじゃなくて何をやろうとしてるのかっていうのが少しずつ理解されるようになってきて、私のようなものでも企業さんに呼んでもらえることが…僕も企業に就職したことがないので、ビジネスのマインドフルネスとか不得意だし、そういうのが得意な人にそれこそ三木さんとかにやってくださいっていうようなことを話したの。でもそのうちに行ってみて企業でこういうことを伝えられるようになったんだっていう感動があったし、とにかく担当者の人が熱心だし、全然知らないで来てる人もどういうことをしようとしてるのかっていうことを知って「あ~これか!」っていうようにちょっと目が開く感じがあってハッとするその通じる感がすごく良くて。医療関係は前からマインドフルネスの色んな講座とかやったりしてましたけど、企業さんに…

三木:いつぐらいからですか?企業からの依頼が増え始めたのは。

島田:僕は特にあまりそういうことに積極的じゃなかったんだけども、一昨年ぐらいから頼まれるようになってきた。

三木:人事の方という?

島田:人事の方または健康とかそういう部署の人です。または僕の講座を受けた社員の方がいて、「実はうちの会社でもやってくれないか」っていう風に頼まれることもぽつぽつです。

三木:どういう状況なんですか?何十人も集まってらっしゃる感じ?

島田:もう規模はみんな違います。それこそ会社の何周年記念っていう何百人もいるところでやることもあれば、小さな10人とか20人ぐらいの会議室で部門の代表者が集まってやるとかそういう小さな規模でやる場合もあります。でも本当少ないですけどね。

三木:マインドフルネスの歴史的なことをお話しすることが多いんですか?それとも具体的な…

島田:企業さんだと例えば労働時間を割いて1時間とかのワークでやるので、もうズバリ入りますね。「今何に困ってますか?」「今体どうですか?今日眠いですか?疲れてますか?」とか今の実感から入って、終わって職場に戻った時に「まずちょっとこれ試してみよう」みたいなことをやります。すぐ使えないと意味がないので。

三木:1回呼ばれてまた何回もみたいなのもあるんですか?

島田:「連続でやってくれ」って言われることもあります。実際に連続講座っていう形で関わらせてもらったこともあるので、本当に1回だけではなかなか実際に使ってみてフィードバックして「じゃあこうしたら?」っていうのができないので、できれば複数回やったほうがいいと思うんです。

宇都宮:それは企業に勤めてる人が心を病んできてるっていうこともあるんですか?

島田:そういうお悩みはだいたい共通してます。だいたい3年以内の離職率がすごい高いとか、あと「鬱予防を何とかしたいんだけど」と。できればもっと社員がやる気になってコミットしてほしいっていうのがあるわけです。

宇都宮:要求は厳しいけど。そんな1時間とかじゃね。

島田:なかなか難しい。だけど担当者の方だけでも「そうだな」って思ってくれれば、私を呼ぶ呼ばないに関わらずそこから先が変わってくる。僕大学でも教えてるからつくづく感じるんだけど、ここ10年ぐらい若者が社会に出て働いていくっていうことにやる気とか希望を持たなくなってきてる。こういう若者を引き受ける企業さんも大変だろうなと思うんですよ。

三木:何で希望を持てないんですか?

島田:何でこうなってるのかなって思うのは、体から見ると分かってくるんです。ちゃんと授業で座ってられない学生が昔よりも増えてる。そして居眠りしちゃう。「何でそうなるの?」って言うと「寝不足だ」「食べる物が○○だ」「人間関係が○○だ」、だから結局大学でも寝るワークとかやりますよ。いかに5分間で効率的にちゃんと寝てスッキリと授業を受けるようにリセットするかみたいなことでボディスキャンをやるんです。こういう突っ伏した形でそしてまず呼吸に戻って今眠いっていうことが分かって、それでボディスキャンをやりながらずっと自分自身に対して慈愛を向けるわけです。そして寝落ちしたとしてもすごくスッキリと寝られて、そしてまた鐘でチーンって鳴って目覚めてきて、それもちゃんと授業の一環だからレポートしてもらうんです。そういう学生を今度引き受ける企業さんも悩みがあるわけです。すぐに辞めちゃうと。嫌だったら辞める。鬱になる。鬱も1つの逃げですからね。僕もなったから自己防衛っていうのはよく分かる。社会参加できなくなるか、または社会参加でも逃げてばっかりいるみたいな状況になってる。

宇都宮:でも大学生ですよね?本当はもっと前の高校生、中学生、小学生とか。

島田:その通りです。だから子供プログラムをやるんですよ。ファミリーとか子供の…

宇都宮:親の世代とか?

島田:そうです。結局子供はその親と。「親となると親だけの自助グループみたいなのも必要だね」って言ってもうキリがなく発展していってる最中でございます。

三木:大発展中と。

宇都宮:僕鎌倉に越して来て、鎌倉って場所が結構いいなと思ったんです。他の東京とかだとちょっと混み混みしてるじゃないですか。環境もあるんじゃないですか?

島田:環境はすごくあります。どんな環境に身を置くか、それを自分がどこを選ぶか。

宇都宮:島田さん今お住まいのところ(伊勢原市)も良い感じの…

島田:もう引っ越さないです。僕はもう「ここだ!」と思ってそこに出会った時に膝の力が抜けて崩れ落ちたから、「俺はここで死ぬ!」って言ったんです。不動産屋がいる前で。

三木:素晴らしいところです。

宇都宮:都内じゃなかったんですよね?

島田:そうですね。僕は元々田舎の人間だっていうこともあって、すごくなじむ場所でしたし、幸いにしてその土地の人もすごくオープンで良い付き合いができてるから良い場所です。そういうご縁で作られるものでもあるけど、ご縁って自分でも作るものなので、作られる縁と作る縁がありますから、それこそenmonoじゃないですけど、自分がどういう縁を作っていきたいかっていう意図もちゃんと持ってないとならないと思います。

宇都宮:自分が必要ですよね。どこかからの情報ではなくて…

島田:そうすると啐琢同時なんですよ。こちらからつつくのと外側の殻からつついてもらえるその両方の縁が出会った時にパッと何かが生じるということがそこで起こるということです。

宇都宮:内発的動機っていうのが起きないと何も起こんないじゃないですか。どうしても外発的動機でみんな流されますよね。そこの切り替えって何かあるんですか?

島田:だからマインドフルネス・ベル(気づきの鐘)があるんですよ。今日も瞑想会ありますけども、こういう助けが必要なんです。

ただあくまでこれは方便なんです。なくても別にいいんだけど、方便としてこういうものを聞くことでリセットできるんです。こういう準備の音があって、そしてゆったりと呼吸に耳を澄ますようにこれを聞いています。いかがでしょう?

三木:あるだけでだいぶ違いますね。

島田:これを招くっていう風にティク・ナット・ハンは言ってますけど、でも招くのは私が招かないとならないわけです。でもやってくるわけです。このもたらされる縁と私が出かけて行ってつかむ縁とが出会ったところにこの音がある。これがマインドフルネスベルなんです。今日瞑想会やりますけど、みんなで聞くとみんながそこに戻ってくる。そこでご縁が結ばれるというこういうオチではいかがでしょうか?

三木:素晴らしい。


●島田さんの考える「日本の○○の未来」に対する想いについて

三木:最後に皆さんに伺っている「○○の未来」というのがあって、○○はご自身で入れていただいて、こうなったらいいかなっていう。

島田:○○の未来ね。モノでも人でもなく…呼吸の未来。最近よく父が亡くなってから思うんですけど、呼吸って今ここに起こっている。そしてずっとそれに集中しているのをマインドフルネスでやります。そして常に呼吸は色々変化してます。走れば速くなる。不安だったら不安定になる。吸っていくとスーッと落ち着いて深くなる。だけどいつかは止まるんです。呼吸の未来っていうのは行き先は決まってるじゃないですか。止まるんです。でも「止まらない呼吸があるっていうことを問いとして自分に向けてみてください」って言うんです。止まった後に止まらない呼吸があるっていうことなんです。これは神秘的な話ではなくて、どうしたらそれが分かるかっていうと死んでいく人と共に呼吸をするとそれが分かるっていうのは僕が感じたことなんです。先月父親が亡くなっていく時にその呼吸と一致せざるを得ないんです。亡くなってる人を見守ると本当に集中した最高にマインドフルな状態になるんです。親が死んでいく時にこの人の人生が閉じていく。その時に呼吸が一致するんです。そうすると相手の呼吸は弱くなっていく。でもこちらは呼吸している。でも相手の呼吸は止まる。でもこちらの呼吸は止まらない。でも一致した呼吸は続いていくんです。本当に1つになってるんです。呼吸の未来はずっと続いているっていうことです。それはご先祖からずっと続いてる呼吸もあるということです。

三木:すごいですね。

宇都宮:つながってる感じなんですか?

島田:つながるんです。だから呼吸がなぜそんなに重要かって言うと、止まっても止まらない呼吸があるから。そしてその息はずっと我々に受け継がれて、私もいつかは呼吸は止まる。だけど共有された呼吸は止まらないっていうことです。それと同時に呼吸は象徴的なんだけど、共有された想いとか共有された体験は死んでもなくならないっていうことなんです。その証拠に仏陀の体験はずっと続いてるでしょ。我々の先師の体験は続いてる。亡くなった身内の体験も実は続いてるわけです。そのようにして死んでもなくならないものっていうのは共有されたからこそなくならない。だから呼吸の未来は私の呼吸は止まるけど共有された呼吸は止まってないっていうことです。そう思って瞑想していただくと呼吸の意味が変わってきますよっていうことです。いつも言うようにしています。

三木:素晴らしいですね。その考え方は。

島田:マインドフルネスで呼吸に戻るっていうのはあなたの物理的な呼吸に戻ってるだけじゃなくて、死んでも続く呼吸に戻ってるっていうことが1つ、そして同時に共有されてる呼吸があるっていうことです。だからあなたが自分の呼吸に戻った時に、実は世界中の全ての存在とか微生物だとか動物だとか全てが一緒に呼吸してるっていうことを共有してるんだっていうことです。全てのつながりの中に還っていくっていうことだと思います。そのつもりで呼吸の瞑想をしていただくと。

三木:ありがとうございます。素晴らしい。

島田:ありがとうございます。

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島田さん新刊著書「奇跡をひらくマインドフルネスの旅」

島田さんも登壇予定:Zen2.0 Zen and Mindfulness global forum/禅とマインドフルネスの国際フォーラム - Kamakura, Japan (Sept. 21st-22nd, 2019)


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