Espressivo(伊:表情豊かに)
今回は音楽から学んだことを二つに分けて少し書き留めておきたい。
一、積み重ねと感情
私は興味のあることや目の前のことに対しては周りが見えなくなるほどの集中力を発揮するものの、
私は「なんとなくこれは私の第一優先順位では無いな」と感じるものに対してだったり、成果が目に見えない場合には、完全なる三日坊主と化す。
私は邦楽や洋楽を聞くことが大好きなものの、
クラシック音楽は浅学であり、
オーケストラや楽器、音楽知識にあまり興味を持てないまま、
ずるずると目立たないプルトでオーケストラに所属し演奏をしている(演奏しているとも言えないかもしれない)。
周りの上手い人に合わせてごまかしたり、
早いテンポの時追いつけなくてショートカットして演奏したり、
間違えたりテンポがずれるのが怖くて消え入るような音で演奏し続けたり、
他の演者の目を気にしながら、
恐る恐る音を発することしか出来ていないのだ。
しかし、本来音楽というのはこういったものではない。
楽譜や楽曲の背景には忠実でありつつも、演者個人表現の場でもあるのだ。
つまり、今の時点では
私にとってオーケストラで奏でるべき音楽が私の感情を奪っている
しかし、練習を積み重ね、オーケストラの曲を楽しめる程度までに到達する技術を得れば、
音楽は私の感情を表現するツールとして、柔軟性のあるEspressivoに私を支えるものにもなりえるなのだ
これは音楽に限ったことでは無いなとも思った。
私は文章を書くことを好む。自己表現方法の中で私に適しているために執筆活動をしていると心地よいからである。
でもこれも元を辿れば、
地道で地味な漢字の読み書きや語彙を増やす積み重ねをしてくれた今までの私(と周りの環境)のおかげなのであって、
要するに
感情が解放できる自己表現方法を手に入れるまでには
地味で感情の抑圧された日々がつきものであって、
それを無意識で行うか、ネガティブに感じるかなどは、
個人の目標設定や興味、環境、バックグラウンドによって大きく左右される。
もし置かれた場所で咲けそうにない時は
感情が殺される日々をどのようにとらえて積み重ねていくかということが非常に大切になってくるのだなと思ったのである。
二、ボーダーレスに考えよ
オーケストラで奏でられるものからアイドルが踊りながら歌っているものから、どれも音楽なのだ。
上記のエンターテイメントに真剣に向き合う場合、本来なら、全て音楽知識が必要になってくるのだ。
しかし、音楽知識を一気に頭にインプットするのは不可能である。
経験がものを言う世界でもあるからだ。
ここで、
この世の常識ともいえる「分野はあくまでアプローチ方法の相違なのであって、同じ知の世界を彷徨っていることには変わりがない」ということが、
音楽の世界でも通用するのである。
だから、クラシック音楽が好きになれないだとか、生活の一部にできない私のような人間でも、大好きな洋楽や邦楽を知るためにクラシック音楽の知識から学んでいこうとすることも十分可能だし、十分アリな(失礼には値しない)話なのだと気付いた。
夏の終わりに夏らしくはないけれど大切なことに気付くことができて、
それを書き起こす時間と体力が存在することに感謝したい。
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