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アナーキー・イン・ザ・UD(1)

「こんなの着るの? で、ポーズ取れって? は、冗談でしょ?」

そう言っているのは、韓国語のわからない俺にもなんとなく伝わる。

「イルボンの男ってほんとクソだよね」
「マジで。どいつもこいつもキモいんだけど」

周りの女がそこに追従する。きっとこんなことを言っているはずだ。

敵意と軽蔑と嘲り。招かれざる客に対するむき出しの感情が女達の顔にはっきりと表れていた。

「うるせえっ!チャッチャと着ろよっ!!」

チワワを抱えた年長の女が怒鳴った。これも韓国語だが、おそらく――いや、間違いなく、そう言ったんだと思う。

なぜなら女たちは、俺が用意したコスプレ衣装を不承不承に受け取り、ぶつぶつ言いながらも着替え始めたからだ。

オバさんと呼ぶには若作りの、昔は相応に美人であったろうその女は、ぶちまけたばかりの怒りを今度はこちらに向ける。

「テメー、チャントヤレヨ! ゼンゼン客コネージャネエカ! 嘘バッカジャネーカ! ドロボー!」

絵に描いたようなヒステリーだ。女達のお喋りがぴたりと止んだ。叫んだ女の腕の中で、毛入れの行き届いたチワワが吠え立てる。

まずい雰囲気だった。

「ひゃあ〜、今日の子は別嬪やなあ!」

そんな状況にそぐわない素っ頓狂な声が挙がった。

「こりゃ撮りがいあんで。お嬢さんたちベリーキュートね。わかる? 韓国語で『美人』ってなんて言うんやったっけ? アガシ? わからん。冬ソナ見たんやけどな。まあええわ」

いかにも上機嫌、と言ったようにカメラマンの中元さんがテキパキと撮影準備を始める。あれほど殺気立っていたチワワ女は、意表を突かれたのか黙ってしまった。

フリーランスの中元さんは風俗店での取材経験も豊富だ。こんな時、どういう風に立ち回ればいいのかよく知っている。俺は心の中で中元さんに手を合わせた。

「最初は誰から撮ろか。よっしゃ、そこのバニーちゃん行こか!」

女達はしばらく呆気に取られていたが、大黒様のような中元さんの風体に安心したのか、バニーガールの衣装を着た女は言われるがままカメラの前でポーズを取り始めた。

今日は名鑑写真の撮影だ。風俗情報誌の末尾に、嘘っぱちのプロフィールとともにずらっと並ぶ女の写真。それを風俗誌では「名鑑(メイカン)」と呼んでいる。

撮影と言ってもスタジオにいるわけではない。ここは鶯谷駅にほど近いマンションの3LDK。派遣型風俗、いわゆるデリバリーヘルスの待機所というやつだ。

ラブホテル街である鶯谷にはデリヘルが多い。

もともとは熟女系、SM系、デブ専・ブス専系といったマニア向けの店が多い土地柄だったが、最近はこの店のような韓国系のデリヘルが爆発的に増えてきた。

それに伴って雑誌への広告出稿も増え、「取材」と称したスポンサーへのご機嫌伺い――今日のような名鑑撮影――のために、ライターの俺が鶯谷に足を運ぶ機会も多くなっている。

「俺だって本当はあんな面倒臭い奴らと付き合いたくないんだよ」

昨日、広告屋の瀬川はそう言っていた。電話の向こうではユーロビートとマイクアナウンスがうっすらと聞こえる。どうやらピンクサロンの事務所にいるようだった。

「でもあいつら金払いはいいしな。背に腹は変えられないんだわ。写真撮ってりゃ満足すんだから、ま、適当に頼むわ」

ここ最近、『フーゾク大王』の広告は目に見えて減っていた。石原慎太郎都知事の号令による「浄化作戦」で、歌舞伎町や池袋といった盛り場では風俗店が軒並み摘発されてしまったからだ。

今や都内で営業できているのは、「許可店」と呼ばれるソープランドやファッションヘルス、ピンサロなどのごく一部。あとは都条例の規制にかからないデリヘルぐらいなものだった。

「いいねー。チェゴー(最高)!」

中元さんの声とストロボの音が響く。女達のくすくす笑いが聞こえる。どうやら乗ってきたらしい。

俺は手持ちぶさたで部屋の中を見渡す。

ハングルが書かれたウォーターサーバー、テレビから流れる韓流ドラマ(もちろん字幕はない)、食卓に佇むスンドゥプチゲ。ここがソウルだったとしても何の不自然もない。

七十平米ほどのこの部屋には七、八人ほどの女が共同で暮らしている。客からの電話が入ると女達は朝も夜もなくここから〝出勤〟する。つまり、ここは、待機所であると同時に、女達の住処でもあるのだ。

この部屋、というか店を仕切っているのが、「ママ」と呼ばれるあのチワワ女だ。

ママは女達と共に暮らし、生活の面倒を見つつ、客からの電話があれば女をホテルに派遣する。言ってみれば、寮母とマネージャーを合わせたような存在である。

こうしている間にもママの携帯には頻繁に電話がかかってくる。耳慣れない着信音(空爆のような十六和音のポップス!)。通話ボタンを押すママの口角がみるみる上がっていく。

「ハイ、『サラン』デス! アリガトネー!   ウン、ウン、イッパイイルヨ〜。オッパイ大キイ? モデル? マカセテヨ〜!」

さっきまでが嘘のような猫なで声だ。ママの腕からチワワが逃げるように飛び出していった。

「『サボイ』ネ。ワカッタ。スグイクヨ。カムサハムニダ~!」

電話が終わると、再び眉間にしわが戻り、大声で女の一人を呼びつけて、駅前のラブホテル「サボイ」に送り出す。

「すごいね。儲かってんじゃん」

そう言うと、ママはいかにも忌まわしそうにふんと鼻を鳴らした。

「オ前ントコ、全然ダメ。チャントヤレ。瀬川ニ言ットケ!」

♨ ♨ ♨ ♨ ♨ ♨

「いやー、きつかった。アジア系はホンマあかんねん。見てみ、冷や汗すごいやろ?」

言いながら、中元さんは一息でアイスコーヒーを飲み干した。額にびっしりと浮かんだ汗は、冷や汗と言うより単に肥満のせいだと思ったが、何も言わなかった。

平日の昼過ぎということもあって駅前のドトールに客はまばらだ。

「さっきまで『ベリーキュート!』って言ってたじゃないですか」

「アホ。あれは営業用や。ひとつもキュートなことあらへん。やかましいばっかで何言うてるかわからへんし」

そもそも、と氷をバリボリと噛みながら中元さんは続ける。

「なんで名鑑で七人も八人もぞろぞろ出てくんねん。せいぜい二人ぐらいしか使わんやろ! カメラも消耗品なんやで」

カメラは消耗品――。中元さんの口癖だ。

風俗誌以外でも活動している中元さんだが、カメラマンとしての腕は決して良いとは言えない。

「ピンは甘いし、構図はいい加減だし、ポーズもめちゃくちゃ。適当なんだよな。こんな写真、名鑑でも使えねーよ」

写真部の水戸さんが、ライトテーブルでポジフィルムを覗き込みながらぼやいていたのを思い出す。

そんな声は当然、当人の耳にも届いているが、「ふん。文句つけるなら仕事に見合ったギャラ出せっちゅうねん」とどこ吹く風だ。

「それにな、こないわけわからん仕事請けるカメラマンなんかそないおらへんで」

一理あった。風俗店の取材では柔軟さが求められる。取材のアポを取っていても「三分で終わらせろ」などと言われることはしょっちゅうだからだ。

カメラマン特有の職人気質がなく、適当に仕事をやっつける中元さんはこういう場面で重宝する。巧遅は拙速に如かず。そんな感じだ。

「でもまあ、この業界もボチボチあかんかもな。めぼしいとこ全部潰れてもうたやん」

「どうすかね。西川口あたりはまだガサ入ってないみたいですけど」

「郊外ももう時間の問題ちゃうか。自分とこ、やってけんの? ギャラ貰えずに飛ばれるんは堪忍やで」

試すような視線を避けるように、俺は窓ガラスの向こうに目をやる。

炎天下の往来に人の姿はなかった。向かいにある持ち帰り寿司の軒先には「タイムセール 三割引!」の看板。店内では白衣を着たパート従業員が談笑しているのが見えた。

会社の売り上げは急速に落ち込んでいた。

出版不況で購読が伸び悩んでいたところに浄化作戦が追い打ちをかけた。デリヘルの広告こそ増えてはいるが、店舗型の方は昨日あった店が翌日にはガサで閉店しているような状況だ。焼け石に水だった。

電話が鳴った。島谷デスクからの着信だ。

「おい。瀬川見なかったか?」

興奮したような口調だった。

「瀬川さん? いえ、何かあったんですか?」

「売り上げパクって飛んだんだ。五百万入った金庫がカラだってよ。広告屋のやつら血眼になって探してる」

「えっ!  さっき『サラン』行って来たばっかですよ。瀬川さんのお客さんのところ」

「そうか。何か言ってなかったか?」

「いえ。まあ、いつもよりママの機嫌は悪そうだったけど」

「あいつ、クライアントからも金つまんでんじゃねえか?  当分、瀬川絡みの業者は触らないほうがいいかもな」

さっきのママの顔が真っ先に浮かんだ。

ひょっとしたら、瀬川が口八丁で金を巻き上げていたのかもしれない。「良い広告スペースが出た」とかなんとか適当なことを言って。

当然、広告効果など出るわけがないのだが、ママは広告費を払ったと思い込んでいる。そう考えるとあの剣幕も合点が行く。

現金主義のこの業界では広告費の受け渡しは現金が原則だ。領収書のやりとりすらないまま、現金だけが飛び交っていることもある。

だから、やろうと思えば、営業マンがありもしない広告を売って、その売り上げを自分のポケットに入れることは十分に可能だった。

もちろん、広告が出なければじきに発覚するわけだが、のらりくらり一、二カ月ぐらいは騙すことは可能かもしれない。

瀬川のことはよく知らない。

年は俺よりも少し上の二十五、六。上背はないが、格闘家のようながっしりとした体格で、いかにも広告マンらしい派手なスーツと洒落た黒ぶち眼鏡をかけていた。

「アホやなあ。どうせ借金でもあったんやろ。盗られる方も大概やで。アホばっかりや!」

顛末を聞いた中元さんは、いかにも愉快といったように、はしゃいだ声を上げて手を叩く。あまりの声の大きさに隣の客が驚いてこっちを見た。

「昨日の電話では普通だったんですよ。ちゃんと仕事してるみたいでしたし…」

言いながら、俺は瀬川との電話を思い出す。

ゆうべ、瀬川は間違いなくピンサロの事務所にいたはずだ。瀬川のクライアントでピンサロと言えば、柏の『イチゴみるく』に違いなかった。


獰猛なユーロビートが耳を塞いだ。

風俗雑誌とマンガが几帳面に並ぶ本棚。煙草と香水、体臭の混じったような匂い。

外は四十度近い暑さだが、環境のことなどまったく考えていないであろう強烈な冷房のおかげで汗が急速に引いていくのがわかる。

受付に人はいない。料金表の蛍光塗料が赤と青の照明にぼんやりと浮かんでいる。

「すんませーん」

店の奥に声をかけた。誰かが出てくる気配はない。どうやら気づいていないようだ。

サア張リ切ッテマイリマショウ!

五番シートキョウコチャン、舐メテ咥エテパックンチョ!

二番シートヒカルチャン、揉ンデ揉マレテ有頂天!サア!

イッチャッテー!

イッチャッテー!

イッ・チャッ・テ!!

スピーカーから店員のアナウンスがひっきりなしに流れてくる。

断片的な単語はわかるものの、魚市場の競りのような早口と爆音のユーロビートのせいで、はっきりとは聞き取れない。

「すんませーん!」

 騒音に負けじと声を張り上げる。

「いらっしゃいませえ〜!」

何度か呼んだところで、蝶ネクタイを付けた中年の小男が、カートゥーンのネズミを思わせる仕草でぴょこぴょこと歩いてきた。

おどけているわけではなく、足が悪いためにそのような歩き方になっているのだ。

近づいてきたネズミは、俺が客でないことを認識すると、一文にもならないとばかりに頬に張りつけた営業スマイルを器用に引っ込めた。

「なんだあ。ライターさんか。今日は撮影あるんだっけ?」

「や、ちょっと近くに寄ったもんで。今日はお客さん入ってます?」

「全然ダメよ。今たった三人だぜ。みんなお茶ひいちゃってるんだ」

そう言いながらネズミはコーラの缶を投げてよこす。

「お茶を引く」とは、女に客がついていないという意味の業界用語。遊郭の時代から存在する伝統と格式ある隠語だ。

「ひまなら入ってかない? 女の子の取り分だけでいいからさ」

風俗店にとってお茶をひかせるのは最も避けたい事態だ。「稼げない店」という評判はあっという間に風俗嬢の間に広がる。売り物である女が集まらなければ営業どころではない。

そこで、店側は自らの売上を削ってでも客を入れることがある。料金は女の取り分だけ、つまり通常の半額程度になる。こういう恩恵に預かれるのは風俗ライターの役得と言っていい。

「すんません。今日は次の取材が入っちゃってるんですよ…。ところで昨日、こっちに瀬川さん来てませんでした?」

「瀬川ちゃん? ああ、来てたよ。なんか特別企画やるから広告出してくれって言ってたな。店長いなかったから帰ってもらったけど」

ビンゴだ。瀬川はクライアントからも金をくすねている。

中堅営業マンである瀬川の客は五十ほどあるだろう。そのあちこちでこんなことをやっているとなると、ただでさえ広告が減っているのにますます厳しいことになるかもしれない。頭を抱えている島谷デスクが頭に浮かんだ。

「そんなことよりさ。どう? もう三千円でいいから」

ネズミは三本の指を突き出して言った。ネズミの薬指ははっきりと欠損していた。人差し指と中指と小指、野球のサインのようないびつな三本指が目の前にある。

「三千円…」

「ね? 一発抜いて行こうよ!」

「うーん……」

「頼むよ!店長に怒られちゃうよ。二千円でいいから!」

奇怪な三本指がⅤサインに変わった。指の間から見るネズミの顔はブラックライトに照らされてもなお土気色に見えた。

♨ ♨ ♨ ♨ ♨ ♨

編集部に戻ると、飯村さんが一人、くわえタバコでパソコンに向き合っていた。

「おつかれ。遅かったじゃん」

机にロングのビール缶。足元にはすでに三本の空き缶が転がっている。だいぶ調子が出てきたらしい。

「まあ、色々と立て込んでまして」

「聞いた? 瀬川さんの話」

「驚きましたよ。なんか進展ないんですか?」

「知らない。こっちもそれどころじゃないからさ」

話しながらも、飯村さんは猫背でキーボードを叩き、さながら自動書記のように原稿を埋めていく。

新小岩・ホテヘル「どぴゅっ子クラブ」のトモちゃんは、エッチが大好きなヤマンバギャル。得意技のイニシエーション素股で大解脱しちゃおう。今すぐお店へ急ぐのだ~! 今なら「フーゾク大王見た」で入会金・指名料無料だぞ!

名鑑用のキャプションだ。締め切り前にはこんな文章を百も二百も書く羽目になる。印象も残らないような女のプロフィールをひたすらでっちあげるクリエイティブな仕事のひとつだ。

「『イニシエーション素股』ってなんですか?」

「俺だってわかんないよ。なんかすごいんじゃないの?  グッチョグチョのネッチョネチョ」

「いい加減なこと書くと、また業者に怒られますよ。みんなは帰っちゃったんですか?」

「まさか。駒八行ってるよ。戻ってきてから書くとか言ってたけど、どうだかね」

駒八は編集部行きつけの居酒屋だ。おおかたデザイナーの山井さんあたりが皆を誘い出したのだろう。入稿が迫っていると言うのに、いや、そうであればなおさら、目の前の誘惑に弱くなるのがライターというものだ。

「飯村さんは行かないんですか?」

「行きたいのはやまやまなんだけどねえ」

いつもなら率先して飲みに行くはずなのに、社内で黙々と原稿を書いているということは、よほど切羽詰まった状況に違いない。

飯村さんの仕事の遅さは編集部随一だ。入稿間際になるまで取材をカメラマンに任せて、ネットカフェで寝てばかりいるのだから当然と言えば当然だろう。

「まったく。名鑑ぐらいなら手伝いますよ」

「お、話せるね。自分の方は大丈夫なの?」

「誰かさんと違いますからね」

感心感心、と抑揚無く言いながら雑に資料をよこし、飯村さんは再び猫背になって原稿を書き始める。点け放しのテレビでは、最近売り出し中のグラビアアイドルが甘ったるい声で何かを喋っていた。

パソコンを立ち上げてから自動書記モードに入るまで、そう時間はかからない。俺は頭の中に流れる「寿司食いねェ!」のメロディに乗せてひたすらに原稿を書き散らしていく。

手コキ 足コキ 乳首責め
(ヘイ・ラッシャイ!)
アナル パイズリ パンスト 顔騎
(ヘイ・ラッシャイ!)
マット ローション 素股にローター
(ヘイ・ラッシャイ!)
フェラはバキューム ローリング
(ヘイ・ラッシャイ!)

次第に指の回転が早くなる。手と脳が離れ離れになっていくのがわかる。そうなってしまえばもうこっちのものだ。俺はぼんやりと昼のピンサロでの出来事を思い出していた。

「へえ、出版社の人だったんだ。道理で」

ミコと名乗る女は、濡れたおしぼりで口を拭いながら言った。

「道理で?」

「ちっとも触ってこないし、ケツの穴舐めろとか言わないし、なんか変だなって思ったんだ」

プロフィール上は二十歳。暗くて顔は判別しづらいが、肌の張りや質感から少なくとも五歳はサバを読んでいるだろう。

「すごいんだから、あいつら。濡れてもないのに無理やり指入れてきたりさ。どうにかしてモト取ってやろうと思ってるのね」

あけすけにそう言って、自ら局部を指差す仕草は堂に入ったものだった。

「俺はまあ、仕事みたいなもんだからね」

「ふうん。まあ私は楽だからいいけど。ねえ、タバコ吸っていい?」

女の顔がライターの灯りで一瞬くっきりと浮かび上がる。シャープな顎のラインに長い睫毛。柏あたりのピンサロにしては「当たり」の部類と言えた。

以前の職場は池袋か上野あたり、一線で働けなくなり土地勘のある郊外に移ったというところだろう。風俗嬢の一つの類型だ。

「出版社ってお給料いいんでしょ?」

女が探るような目を向ける。

「まさか」

「うそ。テレビで見たよ。二十代で年収一千万とか」

「そういうのは大手の話。俺が住んでるアパートの家賃わかる? 三万だよ?」

「なんだあ。ブラック企業じゃん」

いかにも興味を失ったというように女は煙を吐き出した。キャミソールの貧相な胸元から、ハート柄のタトゥーがちらちらと覗いている。おっしゃる通りです。


「月給二十万で社保無し。ボーナスも残業代も無し。それでよければ明日にでも来てくれ」

編集長を名乗るその男は、席につくなり早口でそう言った。スーツを着た人事担当があっけにとられたように男と俺を見比べ、慌ててとりなした。

「大牟田さん!まだ志望理由も聞いてないんですよ。あのう、いきなりすみませんね。条件面は後日お話するので……」

大牟田と呼ばれた男はヒゲ面にキャップを被り、黒いウインドブレーカーを着ていた。いかにも怪しげな業界人といった風貌だった。

「隠したってしょうがねえだろ。こういうのは早い方がいいの。なあ、お前、なんでエロ本の会社なんか入ろうと思ったの?」

想像した展開とはまるで違う。用意していた志望動機を必死に思い出そうとするが、咄嗟に言葉が出てこない。

「えー、わ、私は御社の」

「あー、そういうのいいんだわ。あのさ、俺が言うのもなんだけど、こんなトコ、大学出て最初に入る会社じゃねえんだ」

「はあ」

「風俗好きなの?」

「行ったことないです」

大牟田は「だめだこりゃ」といった表情でタバコに火をつける。

「だったら尚更。探せばもっと良いとこあるだろ」

そう言うが、単位ぎりぎりで卒業し、二月にようやく職探しを始めた四流大学の出身者に良い働き口などあるはずがなかった。大学の就職課にはパチンコ店の求人しかない。

「デスクワーク希望と言っても、今はどこも厳しくてねえ……」

池袋のハローワークで、人の良さそうな職員がいかにも申し訳なさそうに勧めてきた会社が、この『フーゾク大王』を発行する菜種社だったというわけだ。

エロ本をつくることに抵抗はなかった。それよりも卒業後の暮らしが優先だ。

「まあいいや。うちは来るもの拒まずだから。ところでお前、昼飯もう食った? 」

「いえ、まだ」

そんなわけで、俺は社会人としての第一歩を風俗ライターとして踏み出したのだった。そして気がつけば入社からすでに一年以上が経っていた。


テレビから流れる試験電波の音で目が覚めた。原稿を書いているうちに眠ってしまったらしい。

時計の針は三時を回っていた。飲みに行った連中はまだ戻っていないようだった。飯村さんは相変わらず猫背のままモニタに向かい合っていた。

「起きてたんですね」

「もうすぐ終わるよ。手伝ってもらって助かった」

「これから駒八行くんですか? 行くなら俺も……」

「あのさ」

飯村さんはモニタから目を離さずに言った。

「俺、会社辞めるよ」

「えっ! まじすか?」

「うん。まだ誰にも言ってないから内緒にしといてね」

「はあ。でもなんでまた」

「そろそろ結婚しようと思っててさ。こんなの、所帯持ってまでやる仕事じゃないでしょ」

言いながら今月号のゲラ刷りをぴらぴらと振ってみせる。紙面には弾けるような笑顔で女の胸を揉んでいる飯村さんが写っている。

原稿を書くだけではなく、体験ルポ風の記事では男優役として写真に写ることもある。確かに世間に胸を張れる仕事とは言えない。

「彼女はいまの仕事知ってるんですか?」

「知ってるも何も、取材で会った子だから」

「えっ、ってことは…?」

「そ、風俗嬢。まあもう辞めてるけど」

『フーゾク大王』には三つのタブーがある。取材先に遅刻してはいけない、業者から金をもらって便宜を図ってはいけない。そして、風俗嬢に手を出してはいけない。

この「時間・金・女」をめぐるトラブルは深刻な事態を招きやすい。特に女とデキてしまうのは、店側とのトラブルに直結してしまうため、タブー中のタブーと言えた。

聞いた話によると、むかし女に手を出したことがばれて、大牟田から半殺しの目に遭ったライターがいたらしい。そのエピソードを裏付けるかのように、大牟田のデスクの後ろには壊れた竹刀が立てかけられている。

そんなおそろしいタブーを破っていることよりも、お世辞にも男前とは言いづらい、鶏がらのように痩せこけて生命力もなさそうな飯村さんに好意を持つ風俗嬢がいたことの方が驚きだった。

「どんな人なんですか?」

「三月号の名鑑に載ってるよ。渋谷マット学園のかりんって子」

あわててバックナンバーが収められた棚から三月号を探し出し、ページをめくる。他人の彼女を風俗雑誌で探すことなどそうそうあるもんじゃない。

渋谷エリアの名鑑から、かりんはすぐに見つかった。栗色の髪をしたボーイッシュな女だった。童顔で目が大きく、笑った顔はモーニング娘。の誰かに似ていた。

「かわいいすね」

プロフィールによると年齢は十九歳。スリーサイズは上から八十八・五十八・九十。東京都出身。

「趣味は人間観察と寝ること。得意技はバキュームフェラ……」

「あいつ舐めてくんないんだよな。顎が疲れるとか言って」

「聞いてないっすよ」

編集部の電話が鳴ってワンコールで切れた。それが数度続いた。駒八で飲んでいる連中の催促に違いなかった。

ああ、今日はよく働いたなあと、飯村さんはのろのろ背伸びした。ヤニばんだ黄色い壁にこよりのようなひょろ長い影が伸びた。

「そんじゃ行こうか」

夜明けまであと一時間。遠くで改造車の排気音が聞こえた。

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