自己責任てこういうことじゃない? 責任を果たすとは「感謝」の裏返しだと、上原浩治が教えてくれたように思ったお話

「本日を持って、引退します」

彼の引退は突然だった。青春時代から応援し続けたプロ野球選手の引退は、不思議なことに失恋と似ている。恋の終わりというものは、終わらせる側は一つずつ段階を踏んでゆっくりと幕を閉じることができるのに、終わらせられる側からしたら突然で、だからひとは西野カナやback numberに、その傷の癒しを求めるのだ。

2018年春、もう会えないと思っていた上原は、その背中に新しい「11」という数字を背負って東京ドームのマウンドに帰ってきた。思えば低迷しかしていなかった由伸巨人が、最も盛り上がったのは、あのシーズン序盤の8回表にあったのかもしれない。坂本が打ち、長野が打ち、上原が守ったマウンドを澤村が閉めた。ベンチに戻る際の全力のハイタッチを見て、何度泣いたことかわからない。
原政権時代もそうだった。突然抑えに転向した彼がマウンドに上がった瞬間、勝利への確信が訪れる。何と言ってもオーラが違うのだ。相手バッターが気の毒にさえ見えるあの高揚感は、絶えず巨人を応援してきたファンの何よりもの喜びだった。

2009年、そんな彼が兼ねてから希望していたメジャーへ行った。ここにも紆余曲折があった。
NPB選手がメジャーへ移籍するのは今となってはもう当たり前の話だが、2002年のシーズン終盤、「裏切り者と言われても仕方ない」と苦々しい表情で語りながらアメリカの門を叩いた松井秀喜を私たちは忘れていない。リーグ優勝を決めた日に出演したうるぐすで、当たり障りのないコメントをする若き日の阿部慎之助の隣、上原は終始厳しい表情を崩さなかった。俺は納得していない。それは巨人を捨ててアメリカへ行く松井への怒りというよりは、挑戦を許される段階にいない自分への焦燥にも見えなくはなかった。そして数年後、彼もまた海を渡り、ワールドシリーズの胴上げ投手となった。

そんな彼が引退した。「感謝」という一言を繰り返して。

思えば上原は、いつどんな時も「自分のために」野球をしていた。若き日に、ペタジーニに敬遠をせざるを得ない、自分への不甲斐なさから、マウンドの上で涙を流したこともあった。

チームの勝利より、自分の満足。彼が追い求めている理想はいつだって遥か高い。側から見ると彼には雑草なんて言葉は似合わなかった。それなのに、不思議なことに雑草魂という言葉は夢を追うのによく似合った。

自分で選んで、自分で決めた。常にその姿勢を崩さなかった彼が最後に口にした「感謝」の2文字に、私は『自己責任』という言葉の本当の意味を教えてもらったように思う。

たぶんだけど、上原にとっても「引退」は突然だったのではないだろうか。

まだできる、まだできる。そんな風に思いながら、巨人に入って、アメリカに渡って、日の丸だって背負ってきた。ワールドシリーズで優勝しても、彼には「まだできる」場所があった。用意されていた、というよりは、常にそれを掴み取ってきた。

そんな彼が思うように直球を投げられず、引退を決めた。そこに悔いがあるのかどうか、本心は上原本人にしかわからない。わからないけどそれでいい。ただ、彼が口にした「感謝」という2文字は、自分への責任を果たし切った満足感の裏返しであり、だからこそ、それを許し支えてきた周囲への感謝の気持ちが産まれたのではないかと思う。すごく美しい。

仮に「引退」の訪れが突然だったとしても、上原にはback numberも西野カナも必要ない。

引退会見の冒頭、溢れる涙を止めようと天を仰ぐその姿は、神宮のマウンドで人目を憚らず涙を拭ったあの日の上原浩治と同様に、これからも私の背中を押してくれるだろう。


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