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「死んじゃうってなに?」を考えていたら、ケアとセラピーと居ることの意味がわかったような気がしました

少し前に読んだ「居るのはつらいよ」は、ケアとセラピーのお話しでした。ここでいうケアって介護士さんたちが日常的に行ってるケア業務とは少し違っていて(違わないよって怒る人もいるかもしれませんが、そこは解釈のお話しということでどうかご理解を…!)、かなりまどろっこしいお話しなので本書を読んでいない人はピンとこないかもしれません。

で、娘とお話ししていてたら、このケアとセラピーがなんなのか少しだけわかった気がしたので、忘れないように書いておきます。

今年の初め、私の祖父が亡くなりました。4歳の娘も連れて仮通夜から四十九日まで参加したのですが、彼女にとって生まれて初めて経験する“人の死”は、壮大なインパクトを残したようで、数ヶ月経った今でも、「大きいじいじはお空の上で何してるの?」とか「大きいじいじにまたナムナムしに行こうね」とか、不意に言い出して私や夫を驚かせます。

昨日の朝、とうとう「ママ、死んじゃうって何?」という究極の質問が…。なんだか曖昧に答えてはいけない気がして、ママもパパもあなたもいつかは死んでしまうことや、死んだらもう生きている人とは会えないことをお話ししました。

で、どうやらこれは失敗だったらしく、彼女は「死」について一日中考えてしまった様子で、夕方保育園から帰る道中、自転車の後ろに乗せたチャイルドシートからポツリと「ママ、次に死んじゃうのは誰?」だって。振り返ると悲しそうな彼女と目が合いました。
(朝の登園の時に久しぶりの「行きたくない!」が出たんだけど、考えてみたら原因はこれにあったのか…子どもって素直ですね。)

やっちまったぁ〜と反省しながら、帰宅して膝の上に娘を座らせ、じっくりとお話ししました。当たり前のことなんだけど、“死ぬ”って4歳児にとってもすごく怖いことなんですよね。「もうママに会えないんでしょ?」「いなくなったら私のこと忘れちゃうんでしょ?」と、なかなか確信に迫ったことを尋ねてきます。ひとつひとつ、彼女の気持ちを聴きながら、私とは違う道順だったかもしれないけど、最後には「生きていくためにご飯をいっぱい食べてよく寝ようね」「“死んじゃう”はいつ来るかわからないから、出来るだけニコニコして楽しく過ごそうね」という聞こえのいい答えに着地したので、これはこれで良かったのかな、と。
でも、『ママが居なくなってもニコニコして過ごせるように、あなただけの楽しいを見つけておいてね』という私が伝えたかった本当の気持ちは、あんまり伝わらなかったな、と少し残念な気持ちも残りました。

で、不意に思ったんです。これってケアとセラピーだな、と。

彼女が不安に思っているのは“死んじゃう”そのものなんだけど、そこには「自分の死」と「大切な人の死」の両方が含まれていました。
「自分の死」っていうのは、できるだけ健康に過ごそうねとか、交通事故や犯罪に巻き込まれないように気をつけようねっていうくらいしか言いようがなくて、一応は彼女もそれで楽になれたみたいだからめでたしめでたしなのですが、じゃあ「大切な人の死」ってどうやって向き合えばいいんだろう。今日のところは、お互いにいつ死んでも悔いの残らないようにできるだけニコニコして過ごそうね、っていう結論で『大丈夫』になったんだけど、このままだといつか本当に「大切な人の死」が訪れてしまったときに、彼女は立ち向かえないよなぁと。

私は多分、彼女にケアをしたんです。

ここで言うと、「死」に対する不安な気持ちを楽にするのはケアで、実際に「死」が訪れた時に乗り越える方法を見つけてもらうのはセラピーだから、「ママが居なくなっても大丈夫」にするところまでのセラピーはできなかったなぁ、と。

多分、彼女の「死」に対する不安は完全に取り除かれた訳ではなくて、そうは言ってもまあ人間ていうのは、死なないように生きる生き物だから、あんまり深く考えるとユングみたいに曼荼羅とか書いちゃうかもしれないし、ほどほどにしておくのがいいんだろうな、とも思うんですが。

そうすると、ケアとセラピーって一緒に居ないとできないし、同時にじゃないとできないんですよね。だから「居ること」が必要なんですよね。

私が悩んでしまったのは、リハビリテーションってケアなの?セラピーなの?っていうややこしやぁ〜な問題なんだけど、人間がケアやセラピーを必要とするのは身体や心の問題に対して不安になってしまった時だから、それを『大丈夫』にするのも理学療法でいいんだよ、セラピーだけじゃなくてケアもしていいんだよって言ってもらえたら、やっぱり私はこの仕事好きだなぁって思います。

でもね、本にも書いてあったけど、そんな不安と立ち向かっている最中にPDCAサイクルとかエビデンスとか言われちゃうと、なんだかなぁって思ってしまうんです。特にここに相手のお金や国のお金がかかってるって思うと、ちょっと胃が痛い。それは多分、私が生活期のセラピストだからっていう理由もあって、そんな短距離走で片付く問題じゃない!って思っているからなのかもしれませんが、まあそれは多分、私が未熟なだけなんです。やっぱり私、セラピーって苦手です。私だけなのかなぁ。

本当のことを言うと、今ちょっとだけ理学療法士でいることが嫌になっちゃっているんだけど、たぶん理由はこういうところにあるのだと思います。血反吐を吐くまではいきませんが、胃痛くらいはしてるんです。言葉足らずのままこんなことを言っていると、偉い人たちに「そこで苦しむのが仕事だ、甘ったれんな」って怒られてしまいそうで、ちょっとヒヤヒヤもしています笑。

これから私がどうしたいのか、どうするのが私にとって一番良いのか、暗中模索の真っ最中ですが、そんな中でモヤモヤして気持ちを整理してくれるこの本は、やっぱり良い本だなぁと思います。本当に良い本。全人類が読んだ方がいい。

今回はだらだらだらと書いてしまう私の悪い癖が存分に出てしまったので、もしも最後まで読んでくださる奇特な方がいらしたら、お礼を言わせてください、ありがとうございます。

でも、本当に良い本。この本について教えてくださった方、感想を聞かせてくださった方、何より著者の東畑さんに、心からの感謝を込めて。それから気づかせてくれた娘にも。


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