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アメフト辞めたい。

初めまして、竹内アンドリュー空って言います。
僕の経歴を話します。
小中高とサッカーをしていました。
高校は東邦高等学校で1年次3年次と冬の選手権に行きました。そこから名城大学を経てアメリカへ行き
プロキャンプ、プロコンバインを受けにいきました。
現在はノジマ相模原ライズというチームに所属しています。

まずアメフトに出会ったきっかけをお話しします。
高校にアメフト部があり、ちょっとカッコいいなと思ってました。
高校3年の時、進路を監督と話していて、A大学とかいいんじゃないと大学サッカーを勧められていました。
でももうサッカーはいいやと思い、 監督ににアメフトしたいかもしれないですと伝えた。
東邦高校はアメフト部があり、そのアメフト部のコーチを紹介され、その流れで名城受けたら?と言われスポーツテストを受けました。
結果は合格で推薦で名城大学に入学しました。

アメフトって他種目からも推薦取れるんです笑
日本ではアメフトを、大学から始められるスポーツなので何故か推薦が通るんですよね〜(謎)

YouTube とかを見て凄いなと思い期待を膨らませいざ入部したら軍隊かと思うような厳しさでした。

大学一年時
いざスポーツ推薦で入部して1ヶ月がすぎた頃防具が届き、タックルの練習などが始まりました。

ついにアメフトやるんやなと思い少し楽しみだったのを覚えています。

しかし

現実は楽しいばかりでなく、痛すぎる死んでしまうと思い早く辞めよう。と決意いしました。それに追い討ちをかけたのは寮生活でした。
名城アメフト部は全寮制で部員全員での共同生活。
キツすぎる。練習も長くミーティングも夜中まで。
えぐい、エグ過ぎると感じた僕は
早く退部し楽になりたいという気持ちが強く芽生えました。

本当に毎日がキツ過ぎて

3ヶ月が過ぎた頃、親に辞めたいと電話しました。
お前が決めた道だろ投げ出すんじゃねえよと突き放されました。
高校3年時の担任にも電話した覚えがあります。
もう少し頑張ってみろと言われ、もう少し頑張ってみるかと思いました。

なんや感や嫌々続けてたら、秋のリーグ戦になって
着々と勝ち点を重ねていきました
しかし戦意喪失している僕はルールもイマイチよくわからず、決勝を迎えました。
名古屋大学との一騎打ちでした。
淡々と時間だけが過ぎ、スコアは第4Q時点でドロー
残り30秒ぐらいで僕に出番が回ってきて、決めたら4年生の皮一枚繋がる、外せば引退そんな状況でした。

僕は何も考えていなかったので普通に蹴ったら入ってしまいました。
決勝でサヨナラFGを決めて、簡単やんけこのスポーツと思ってしまい
そこが調子に乗るきっかけになり、もうヒーローやしどうでもええわと内心思ってました。

そこから少し時が経ち
大学2年の時です。
いつも通り適当に練習を終わらせて寮に帰り、ご飯と風呂を済ませ、ミーティング。
ただ毎日を過ごしてこなす日々でした。

秋シーズンに突入し、この年も着々と勝ち点を積み重ねていきました。
秋のシーズンで決勝戦、相手は中京大学。
両方点が決まらず、一進一退の攻防が第4Qまで続きました。
名城がジワジワとヤードを進めてボールオン15yd
#左のところまで推し進め、残り3秒
僕はまたヒーローになれるんちゃうの?と心で思ってました。
いざセットし、イケるな。と思い
右脚を振りました。



しかし


ボールは虚しく右にそれました。

あ、俺やったわ。適当にやってきたツケが回ってきたんやな。と思いました。

もうそのあとのことは何にも覚えてません。
(タイブレークで勝ち優勝)

その日を境に
部活行きたくねーなと思いながら、学校も行かず
ただ寝ましたね。
凄くキツかったのを覚えています。

部活に行っても多分顔は死んでて、死んだ魚みたいな顔毎日してたんやと思います。
どう辞めようとの事ばかり考え、練習中もなんて辞めますって監督に言いに行こうか毎日悩んでました。


ある日ぼくをみかねたコーチがとある人を呼んだ。

第二章は次話します。







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