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『クライ・マッチョ』

原題「CRY MACHO」

◆あらすじ◆
アメリカのテキサス州。孤独に暮らす元ロデオスターのマイク。ある日、元雇い主から、別れた妻のもとで荒んだ生活を送る息子のラフォをメキシコから連れ戻してほしいと依頼される。半ば誘拐のような訳あり仕事だったが、渋々ながらも引き受けたマイク。いざメキシコへ来てみると、ラフォは母親に愛想をつかし、闘鶏用のニワトリ"マッチョ"を相棒にストリートで生きていた。やがてマイクとともにアメリカに行くことを決意するラフォ。しかし、そんな2人に、メキシコの警察や母親が放った追手が迫って来るのだったが…。


御年91歳のイーストウッド監督がこの内容で自らを主演とする意味がジワジワと汲み取れる。

なんなら艶っぽいシーンもあるのか?無いのか?みたいな或る意味ハラハラ感も出しつつww、ホント人間枯れちゃいかんぞと尻蹴られてる気するわ。

さすがに歩く姿はもうお歳よねって、そこまでやらんでも良くない?って思っちゃうけどそれでも人間味を表現する手腕は相変わらずで彼ならではの"人の体温"みたいなものが醸し出されてる。

ハードな内容だけどどこか緩めの展開なのは年齢を重ねた人にだけ伝わる部分なのかもしれないな。

「俺は"運び屋"じゃない!」なんて前作に掛けた台詞まで用意してるのがお茶目だしねww


ナタリア・トラヴェン演じるマルタとの出逢いや関係性って年老いて独り身の人間には結構沁みる気するよ。
マルタは子供達の心の拠り所として自分の身を捧げてる、でもマイクと出逢うことでお互いの拠り所を見つける事が出来た。
気持ちが繋がることの意味を基本形で表してる。
自分の居場所って見つかるもんなんだなって「お爺ちゃん死ぬまで独りじゃなくて良かったね」って自然に思ったよ。

あと、暴れ馬を調教するシーンが出てくるんだけど、あれもクリントの作品の歴史を知っていればなんだか納得しちゃう現象が起きるね。
いやぁ、もちろん今作の役が元々ロデオカウボーイだし牧童もやってたって設定だから馬を慣らすのなんて仕事の一環なんだろうけど、その設定だけじゃない裏付けが大き過ぎる(笑)

そう言う意味でちょっとおセンチに言えば自分がやってきた事の答えはいつか必ず解ると言ってる様にも思える。

『CRY MACHO』は今作に登場する闘鶏の鶏に掛けてる「鳴け、雄鶏」の意味だが実は【タフな男の弱音】的な意味もあるんじゃないかな⁈

強がらず自分の気持ちに素直になれば道が見える時もあると…

彼の作品は心の浄化だな・・・。



【追記】
町山氏のこのコメント最高に納得する。

「『クライマッチョ』の敵の女ボス(というか、まあ、そんな感じの美しい熟女)がイーストウッドを執拗に追う理由は、彼をベッドに誘ったが断られてプライドが傷ついたため。90歳すぎて「モテてモテて困る俺」を億面もなく演出して演じるイーストウッド恐るべし。」


でもこれ、イーストウッド御大だから好き勝手が許される気するのよね。
お茶目の範囲で観てられたよ、ワタシはね。


2022/01/18

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