誰が先生を評価するのか

ゼロ高の内藤です。
ゼロ高の相談会へやってくる子が口を揃えて言う言葉が2つあります。

「先生が嫌い」
「勉強が面白くない」

この原因はなんだと思います?

今回、長くなってしまいましたが、
私なりに考えたことをまとめてみました。
私が注目したのは「誰が先生を評価するのか?」です。

この記事を読んで、考えをぜひ教えてください。

行動と反応の連続

私たちは反応を元に行動をします。
お腹が空いたり、眠くなったり。
誰かに会いたくなったり、歌いたくなったり。

行動した結果、反応が生まれ、
その反応を身体や頭が理解、感じて次の動作へ移動します。

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例えばあなたが車を運転していたとします。
直進すると5秒後に壁にぶつかる。左へ曲がればぶつからない。

この状態でハンドルを左に切るとします。
しかしハンドルを切ったとして、車が反応するまでに10秒かかるとしたら?

当たり前のようにぶつかりますよね。
この話を覚えておいてください。

評価とは?

私はウェブ開発の仕事をしています。
その中の役割として、ウェブエンジニアの評価もしています。

がんばってお金を稼いだね。がんばって人の役に立てたね。

その人になにをしてほしいのか、その人がなにをしたいのか、
かかわる人たちで話し合って決めて、ものごとを進めます。

進めていく途中で、ゴールが変わることもありますし、
やりたいことや、やってほしいことも変わります。
なので、1週間や1ヶ月、4ヶ月や半年、1年と区切りをつくって
その間がどうだったのかを話し合います。

評価とは、その人がやりたいことと、その人にやってほしいことを
話し合って決めて、決めたことができたかどうかを振り返ることです。

学校や社会の評価

さて、学校での評価はどうでしょうか。
生徒が先生を評価する仕組みはありますか?

会社での評価はどうでしょうか。
部下が上司を評価する仕組みはありますか?

今までの学校や会社では

偉い人が下の人を、年長者が若年者を評価するだけ
下の人が偉い人を、若年者が年長者を評価することはない

という状況が、よくあるパターンです。

とくに、古いタイプの組織では、儒教の影響が強いところでは
偉い人や年長者のチカラが強いのではないでしょうか。

そして、その偉い人や年長者は、先生、この上司は
誰からどう評価されているのかわからないことが多くはないでしょうか?

アイツの何が評価されているのかわからん。
アイツには納得がいかん。

という話は、金曜日の居酒屋ではよく聞く話ではないでしょうか。

評価をされなかった偉い人たちは

その「何が評価されているかわからない人」がもし、
誰からも評価をされずに、
評価をし続ける生活を繰り返していくと、
その人はどうなるでしょうか。

より正しくあろう、偉い人であろうと
ふるまうようになります。

正しいか正しくないかではなく、正しくあろうとします。
正しくあろうとするので、正しくなくても
認めなかったり、隠したり嘘をついたりしなければならなくことがよくあります。

偉いか偉くないかではなく、偉い人であろうとします。
偉い人であろうとするので、偉いか偉くないか、全く関係のない場所であっても
偉い人として扱ってほしいと求めてしまい、恥をかきます。

考え方が固まってしまって、意固地になってしまうか、ミルグラム実験のように、自分の意思を持たなくなってしまいます。
この問題は、その人が悪いだけでは片付きません。

意固地になるのはなぜか

誰かに評価をしてもらって、自分を振り返る習慣がないまま、
誰かを評価し続けると、誰でも意固地になったり、思考停止になってしまいます。

話し方をこうした方が良いとか、もう少し笑顔をふやした方が良いとか
誰かから、ありがたい中立的な評価を受けても
聞く耳を持たなくなってしまいます。

何故か?

評価をする側の筋肉はたくさんついているけど
評価をされる側の筋肉が絶望的にないので、きちんと評価を受け入れられず
評価されたことに怒ったり無視したりします。

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そこで、やっと冒頭の車のハンドルの話につながるのですが、
誰かの「壁にぶつかるよ」という声を聞いても、ぶつかるわけがない!とハンドルを切ることができない。
もう壁に追突しているのに、追突していることに気付けないという状態になります。

人間、こうはなりたくないですが、このような人はよく見ますよね。

誰が先生の評価をするのか?

そこでまわりまわって、ゼロ高生以外の高校生に会っても必ず聞く言葉

「勉強が面白くない」
「先生が嫌い」

に戻ってきます。上に書いた評価の話を合わえると、不味いけど食べさせ続けられるご飯屋さんを連想せざるを得ないです。

自分たちが出している料理が美味しいかどうかも確かめずに、
誰かからの評価も得ずに料理を出すご飯屋さんがあったとしたら、
あなたは行きたいですか?

教育と料理は違う。授業が楽しければ良いのか?
先生は生徒から気に入られることを目的にしてはならない。
学校とは知的好奇心を育成する場所であって、などという話もよく聞きます。

先生の成長は誰が守っているのか

その上で、では知的好奇心を育成する為の場を提供している先生たちが、
プレゼンスキルを磨いたり、話し方講座を受けたり、教え方の上手い先生の動画を完全にトレースできるまで真似たり、自分の授業を動画で撮影して、見返して改善したり。
そういう努力を行っている先生は存在します。

友人にもいます。その先生たちの努力は、
どのように評価をされているのか知りたいです。

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勉強会でお会いさせて頂く先生たちは、みなさんおやすみを取って勉強会へ参加されています。
わざわざおやすみを取らないと参加できないということは、勉強会に参加することは評価の対象ではないんだなと判断することができます。
働く時間で勉強会へ参加することができずに、どうやって自分自身を評価してもらえるのだろうかと。

先生はなにをすると褒められるの?

ゼロ高は、在校生、卒業生が自分の道を見つけて歩み出すことを目的としています。
(この旗と池の話はまた後日書きます)

そのための選択肢と行動する場をたくさん用意します。

ですので、
生徒、サポーター、ゼロ高、私、それぞれが、
ゼロ高の目的に対してきちんと行動ができているかを評価できるようにしています。

既存の学校の先生たちはどうなのでしょうか。
例えば進学させることを評価にしてしまった場合、
目的のないまま大学に行くことになってしまう生徒が増えてしまわないでしょうか。

進学は必然ではないので、大学に行くことで得られるメリットがないならば、大学へ行く必要性はありません。大学進学までは面倒を見るが、後は大学の先生に任せる。という姿勢なのでしょうか?

先生の評価軸は何で、どう評価されているのか。
自分たちのご飯が美味しいと思ってもらえるように日々努力している先生たちは、なにを基準に、どう評価されているのでしょうか。

現役の先生、事情通の方のタレコミをお待ちしております。

余談、先生偏差値

評価という観点で見ると、予備校や坪田塾などの個人塾が強いですよね。
個人塾が強いのは、塾長自身が経営に携わっているので、教育以外の底力が圧倒的にあること。
予備校が強いのは、講師が非常にわかりやすい形で評価されていること。
いずれも評価軸が公正な場で試されているところがあるかと考えます。

なので、生徒指導、学習指導、人気などで、先生もオープンな評価をされる場所を設けられると良いのかもしれません。
そうすると、あの先生に教えてほしいからあの学校に入る。ということも出てきます。

って書いたけど、転勤があるから駄目か。

参考

- ビル・ゲイツ : 教師へのフィードバックでもたらせる変化 | TED Talk
- 教員評価システムの取組状況について:文部科学省
    教頭先生や副校長先生、教師全員の授業の様子を把握できるんですかね?


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