数詞たちの雪月花

超短編 読了目安 3分 


夜は深く、濃く、宵闇の月下、彼らの心もまた、闇夜に浮かぶ寒月のように、儚げで、今にも壊れそうな、脆弱な雪の結晶みたいに、空を漂っているみたいだった。寂れたこの神社の境内は、決して広くは無かったが、降り積る雪のせいか、真っ白な銀世界が、膨張効果をもたらし、心なしか広大に見えた。冷たい風が吹く。彼女の膝の上には、一人の男が頭を乗せ、仰向けに横たわっていた。白い肌の女性は、風に吹かれ、身震いし、その小さく華奢な身体を、更に縮こまらせた。彼女の瞳はまるで氷のようで、その存在そのものが、ひとたび体温に触れてしまえば、瞬く間に溶けていってしまう程に、ひどく弱々しい表情だった。

「ヘキサ、私、あなたと出会えて、幸せだった。」

彼女のその青白い唇が開くと、か細い声で、彼女はそんなことを言った。

「やっぱり、君は僕と来るべきじゃ無かったのかもしれないな。」

そう言う彼、ヘキサは、衰弱仕切っていた。血塗れの右手で腹を押さえ、雪の積もった境内に、彼女の膝の上で、彼の腹部からとめどなく流れる鮮血は、真っ白な積雪を真紅に染め上げ、とても美しかった。

「いいえ、そんなことない。私、あなたに色々なものを見せてもらったもの。土の匂い、潮の香り、青い海、広い空、街の風景、人々の営み。それら全てが、私にとって、かけがえのない宝物で、何も無かった私に、あなたがくれた、最高の財産。私あなたに、救われたのよ。そこに後悔なんて、微塵もないわ。だから、そんな悲しいこと、言わないで。」

彼女は泣いていた。この世界が、彼女の涙で満たされ、溺れてしまうのではないかと思うくらい、彼女は涙を流した。これは、ノアの方舟が必要になるかもな。死の瀬戸際に、彼はそんなことを思って、少し可笑しくなった。

「救われたのは僕の方だ、ノナ。君がいたから、僕は何かをなし得ようと思えた。馬鹿だな、そんなに泣くことないだろう。」

彼女、ノナの流す涙は、頬を伝い、顎先から、一粒の雫となって落ち、彼の顔を濡らした。

「君は強い。だから、僕がいなくても、きっと生きていける。」

「無理よ。私はあなた無しじゃ、生きていけない。」

ノナは首を大きく横に振った。長く黒い髪が左右に揺れる。涙で濡れた頬に、髪の毛がへばりつく。

「聞くんだ、ノナ。君は国外に逃げるんだ。そうすれば、君は追われなくなる。奴らにとって、諸外国に例の計画が漏れることは、あってはならないことだ。国外なら、奴らは迂闊に手を出せない。出来るか?」

「そんなの、私に出来るわけがない。無理よ、絶対に無理。」

「それでも、やるんだ。やらなければ、君も殺される。いいかい、君は頭が良い。僕ら10人の中でも常に上位にいたじゃないか。今の君に必要なのは、行動力と勇気だ。僕がいなくても、君は大丈夫。大丈夫だ。」

ヘキサはもう、目もまともに開けていられないようだった。冷たくなり、血に染った赤い手のひらで、ノナの頬に触れる。彼女の頬が、血で紅く染まる。頬から離れ、力無く、重力によって地面に落ちそうになるヘキサの手を、ノナは掴み取り、両手で強く握った。

「分かった。分かったから、もう喋らないで、もういいのよ。もう。」

二人の悲劇を悼むようにして、されど、嫋嫋と降りゆく淡雪は、彼女の髪に、コートに、落ちて、そして、音も無く消えていく。その情景は、彼の消えゆく命のようで、静寂に響く彼女の啜り泣きが、まるで、この世で最も儚い、シェイクスピアの悲劇のようであった。

「僕は、君ともっと、たくさんの景色を見て、たくさんの物に触れたかった。君のそばに、もっといてあげたかった。君ともっと、笑っていたかった。」

ヘキサの声は、とうとう聞き取れなくなるくらいに、細いものになっていた。それでもノナは、彼の手を離さなかった。

「大丈夫よ。これからも、二人で色々なところに行こう。美味しいものを食べよう。綺麗なものを見て、泣いて、笑おう。こんな世界でも、私達には、きっと、居場所があるから。」

彼女は笑っていた。精一杯の笑顔だったかもしれない。けれど、その顔は、涙や血でぐちゃぐちゃで、とても綺麗とは言えなかったけれど、彼にとって、彼女のその笑顔は、何よりも美しく、尊いものだった。

「そうだね。ありがとう。」

彼は救われただろうか。それ以上、彼が何かを話すことはなかった。しばらく、彼女は彼の手を握っていたが、彼の手に、およそ握力と呼べるものはなく、もう、胸の呼吸運動ですら、目視できなくなっていた。

彼女は泣いた。耐えきれなくなって、泣いた。

降る雪は、動かなくなった彼に降り積もる。それが溶けることは、もう無かった。

彼女は横に落ちている拳銃を拾った。この世界に取り残された自分に、これからどんな困難が待ち受けているのか、想像は出来たが、恐らく、それを凌駕するほど悲惨な現実が、行く先に待っているであろうことを、彼女は知っていた。しかし、この拳銃は、何かを奪うためのものではない。彼は、これを使うことを躊躇していた。これは誰かを守るために使うものだから、僕は、世界に対する憎しみや、怒り。そんな感情に任せて、こいつを使うことは、絶対にしない。ただひとつの、守りたい人のために使うんだ。そう言って、彼は結局、一発しか、その重鈍とした鉛の弾を撃ち込むことをしなかった。

「それで自分が死んじゃ、意味無いじゃないの。この馬鹿。」

彼女は彼の頭を膝からゆっくり下ろし、青白くなった顔にキスをし、立ち上がった。上空を、ヘリが何機か滑空していることに気付く。まるで獲物を空から探す、鷹のように、それはひどく怖いものに、彼女の目には見えた。長い間、積雪の上で座り込んでいたせいで、足は冷えきっており、足取りは重く、感覚がなかった。彼女は薄汚れたコートの袖で、顔を拭った。頬についた血が、伸ばされ、乾き、赤黒い色に変色している。それでも、彼女の眼差しは、力強いものだった。彼女は、薄暗い境内を後にする。そこにあるのは、雪の積もった男の亡骸と、彼女が踏みしめる、雪の音の残響だけだった---





作者の怠惰なあとがき


仕事中、暇な時間を所要し、書き上げた散文でしたが、コンセプトとしては、長編小説のワンシーンを切り取ったような雰囲気を出しました。

意味深なセリフや、登場人物の名前がラテン語の数字。ヘキサの言った他の10人とは。何故彼らは追われるのか。

膨大な設定が盛り込んであるように見せておいて

謎めいた世界観に、断片的なシーンを用いて、読者をそこに無理やり放り込むようなイメージです笑


置いてけぼりになる読者が、様々な解釈と考察を、この短文から張り巡らせてくれたらいいな。という微かな願いも、実は僕自身にあったりします。

キーワードとしては、タイトルにある通り「雪月花」という言葉です。

これは元来から使われてきた、句の一種みたいなもので、冬の雪、秋の月、春の花、と言うように、四季折々の美しい情景。という意味を孕んでいます。

(夏どこいった笑)


とある人が仰っていましたが、書き手は、ふいに、文章をスケッチのようにして書き出す時がある。

まさにその通りで、これには共感しかなかったのですが、この短編も、およそこれに該当する類のものです。

まあ、暇があったら、今作について、構想を練ってみようかな。なんて、あとがきを書きながら思っています。

ていうか、何仕事中にこんなの書いてんだ、仕事しろ俺。


それでは、ここまで見ていただき、ありがとうございました。














この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

ありがとうございます。これが本当にモチベーションになるんだなぁ。
21

糸紡弥生

純文学を敬愛してやまない、この世に辟易した底辺作家。弥(ヒト)の生は、無限に紡がれる螺旋状の糸のようで、あまりに美しく、あまりに儚い。故に、糸紡弥生。

糸紡之短編集

適当に書き上げた粗雑な物語。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。