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僕の住んでいる田舎には無いと思う未来、それは都会にも無いかもしれない

ハローnote
なにやら小難しいタイトルですが今回話したいのは、例えば僕自身の身近なテーマとして「僕は田舎に住んでいて都会に憧れているけど、都会は憧れに値する素晴らしい場所なのか?」という悩みこれらに起因する話です。
僕は都会に強い憧れを持っていて、今もそれは持ち続けているのですが、果たしてリスクを取ってまで都会に行くべきなのか?という悩みが最近思いました。
自己紹介、僕は精神疾患を抱えています。
そのうえで都会に行くなどして環境が変わると精神疾患はマイナスの方向に働くかもしれません(というかプラスには絶対ならないと思う)そんな中で都会に行くという憧れはリスクに値するか、悩みどころですね。
今いる現在、実家はまあ悪くはありません、親祖父母はひとまず優しいですし、近くにコンビニもあるのでそんなに不便しません、映画館も少し車を走らせればありますし、悪くないただそれだけです。
都会も旅行なんかで行くと素晴らしく楽しいのですが、住むとなるといろいろ難しいでしょうし。
でも今いる田舎は未来がありません、未来というのは基本的に現代を生きるなら存在するので、これは言葉の綾ですが、なんというか「未来」これが今いる田舎には不足していると思います。
だから若者はみんな県外に出るんですよね…僕は失敗しましたが。
失敗した、すぐに上京して逃げ帰ってきた自分だからこそ思うのですが、「未来」もしくはそれらを起因させる事象はなにも都会にも存在しないのではという懸念、これを僕は危惧しています。
なにも社会を批判しているわけではありません、わかりやすく言えば「未来」は僕含め人間が持つ希望としての事象でそれが僕には存在しないのではないかという懸念、これを危惧しているのです。
つまり僕が悪い、そんな感じです。
たしかに田舎には「未来」は少ないかもしれません、ですが田舎にも人の営みはあり、そこには希望含め未来はあると思います。
それを感じられない僕自身に問題があるだけで。
それを僕は「田舎には未来がないとずっと思いこみ、都会になら未来は存在する」と勘違いしていたのかも、そんな感じですね。
回想 小学生の時、先生がクラスの全員に質問しました。
「いずれこの○○県を出ていくと思う人はいますか?いたら手を挙げてください」と
僕は真っ先に手を上げました、周りを見るとほとんどの人が手を挙げていなかったとおぼろげに記憶しています。
思うに手を挙げなかった彼らには未来があったのだと思います。
その当時ですら衰退が加速していると噂されていた○○県、でもそんななかでも希望を含め未来を感じ取っていた彼ら。
そして手を挙げた僕にはそれらはなかった、それだけの話だったかもしれません。
そして彼らの多くは県外に行きました、そして僕は未だ田舎(○○県)でくすぶっている。
皮肉を感じますね、まあここで皮肉を感じる厭世的感性を持つ自分だから今の人生上手くいってないのかもしれません。
とりあえず、未来を感じられない自分だけど、完全に諦めているわけではありません。
かといってアクションを何か起こせるかといえばそうでもありません。
そんな感じ ハバナイスデイ。

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