見出し画像

12月になって2023年を振り返る

ハローnote いつの間にか12月ですね、しかももうすぐ半ばに差し掛かろうとしています。もうこんなに!と驚くくらいにはスピーディな年でした。
皆さんはこの1年はいかがお過ごしだったでしょうか?幸福な1年であったなら幸いです。
僕自身としては特に大きなことがなかった1年でした…そりゃそうですよね、ずっと家にいたんですから。
まあそんな僕でも1年を振り返ってみると、小さくも何かしら出来事があります。
そんな出来事を今回は振り返って行きたいと思います。
コンテニューnote
■1月頃
1月は受験のために勉強をしていました。2月幾実に私大の受験をするために勉強していました。たしか国語と政治経済を勉強していたと思います。
しかしながら、1月後半になると「これ無理だな」と思い後半はLoL(ゲーム)をやっていました。思えばここで少しでも古典の勉強をしていたら未来は変わっていたかもしれませんね。
■2月頃
まず2月初めは流石に少しでも合格する確率を上げるため、勉強していました、政治経済の。繰り返しますが、ここで古典を少しでも勉強していれば…
で別の県に受験のため新幹線で行きました。自分で言うのもなんですがよく新幹線に乗れたなって気がします。着いたあとは受験会場の下見をしに行った後、本屋にいって、当時新刊だった戯言シリーズの新刊「キドナプキディング」を買ったのを覚えています。
ホテルに帰ったあとはずっとそれを読んでいました。面白かったです。勉強は一切しませんでした。
翌日受験をしに行ったのですが、会場に着くやいなや、受験生がずっと参考書を読んでいたのを覚えています。そりゃそうですよね、僕は参考書持ってきてないので「キドナプキディング」読んでました。
いざ試験が始まると、問題がガチで難しかったです。赤本は買ったはいいが読んでいなかったので、マジで焦りました。
意気消沈しながらなんとか解きました。
ついでに英検などを取って書類を出している人は3教科目の英語の試験を受けなくていい制度があったので、それを利用している人は2教科目が終わったあと帰って行きました、羨ましかったです(もちろんその人たちは努力して英検を取ったという事実に敬意を持ちつつ)。
もし次試験を受けることがあったら英検取ろうと決心するほどでした。
3教科目の英語はマジでわからなかったです。適当にマークを埋めたあとはLoLのプロ選手の名前書いていました。なぜかというと何もせずに放置しているのは試験会場で必死に戦っている皆に悪いと思ったからです(いうほどLoLのプロ選手の名前書くのは良いことか?は置いておくとして)。
へとへとになりながら試験を終えると、すぐ駅にむかって切符を買い地元にもどりました。
まあ不合格だろうなと思いながらの帰路でした。感じたことは英検を取っておくことと、古典少しでもやっておけば…でした。
1週間後くらいに結果が出て、不合格でした。合格点数が90点(満点200)くらいだったところ74点でした。まあそういう事でした。
■3月頃
ぶっちゃけハイライトは1月2月だったので、この先は文章短めです。
単純に疲れた感もありますし。
3月は受験疲れたし4月までのんびりしてようの時期でした。この先の進路をぼんやりと考えつつ。4月になったらハローワーク行こうと思っていました。この先の1年のことを考えると働きながらお金を貯めつつ受験勉強をして来年大学行こうと思っていました。
3月後半ぐらいにハローワークに行きました。まあ割と暇だったんですね。まず書類を作った後、面談がありました。
その時話したことはうろ覚えですが、まず僕は精神疾患を持っているため主治医から診断書をもらってくるようにいわれました。そして空白期間も指摘されました。
なんとなく嫌な予感はしてたんですが、けっこう僕が働き始めるためのハードルは高いってことに気が付きました。
■4月頃
月初めに僕は病院に行きます。
その時に診断書の旨を伝えて2週間ごくらいに届いた診断書を持って再度ハローワークに向かいました。診断書を渡したところ、現時点で働くのは難しいから、就労移行支援施設を頼るように勧められました。
後日就労移行支援施設の人と面談した後、就労支援施設の見学を勧められました。就労移行支援施設の見学に行くと説明があり「最低半年通所して訓練しなければ就職できない」と言われました。当然その期間は無給でなんなら交通費等かかります。
この時点で目標である働いてお金を得て来年の大学受験に備えるというプランが潰えて愕然としました。
一旦断ったあと、自分の人生について考えました。
精神疾患があるとこんなにも働きにくい、大学に行ってもそれはどうせ同じで卒業した後も就職はできないだろうと思い、詰みました。
この後近くにあるコンビニにバイトの応募してみたんですが、既にいっぱいだそうで、この時点で何か諦めました。
■5月頃
特に記憶がありません、強いて言うならLoLの大会を見ていた記憶があります。でもたしかこの時ぐらいからnoteを始めた記憶があります。
■6月頃
特に記憶がなく、またLoLの大会を見ていた記憶があります。
■7月頃
LoLの大会…
■8月
Gen.Gという僕の応援しているチームがLCK優勝したのを覚えています。この事は本当にうれしかった…
■9月頃
LoLの大会もないので本当に何してたかわかりません。
■10月頃
WorldsというLoLの一番デカい大会を見ていました。
この時はGen.Gも無類の強さを見せとても楽しかったです。
■11月頃
ランジャオザレ
かねてから主治医と相談していた障害年金の受給の準備をしていました。結構時間かかる物ですねアレ
■12月頃
今現在、強いて言うなら障害年金の審査待ちです(3か月ぐらいかかる)
振り返ると2023年は僕の人生を諦める年だったのかもしれません。
自分の精神疾患のデメリットを痛感した年でした。
大成する…とまでは行かなくても、せめて人並みになれれば良いなと思っていた人生ですが、どうにも難しいですね。
来年はどうなるのでしょうか?とりあえず障害年金の審査が通っていればいいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?