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一九三六年 屏東⑷ ー 恒春とガランビ

四重渓温泉にてお座敷遊び

今日から蕃地視察である。屏東には四重渓と云う名の名泉がある。行き方は潮州で下車し、そこから貸切自動車で三時間二十円位であるが、たまたま乗合自動車があったので三円程度で済んだ。

四重渓は日本帝国最南端の温泉であり、四季の景趣に富む為一名四時景とも称されている。先年高松宮殿下が御行啓し、現在は益々繁盛していると云う。明治初年に此の地にて日本帝国が残忍頑強な凶蕃を膺懲(ようちょう)し清国から賠償金を得たと云うが、実態は全くの逆で、マラリヤにて多くの兵士が命を落とし戦費は賠償金に十倍したと云う。明治以来日本の軍隊は誤魔化しの天才で、近来は非常時と称し満洲に進駐するも、どうせ碌でもない姦悪な意図があって五族協和どころか無辜の満蒙支那朝鮮人民に不要の害悪を蒙らせる積りであろう。就中軍隊馬賊とは自分等の利益のみを増長させる奸賊共であり、全く以て信頼に値しない輩である。

さて、四重渓は蕃人と瘴癘(しょうれい)が跋扈する辺地ではあったが、総督府は根気よく徳政を施し、僅か四十年で内地と違わぬほど開発勃興したのだった。自分は温泉に二泊した。三四軒の温泉旅館があり、高松宮殿下が宿泊せられた山口温泉の戸口は黄色い蕃花で小奇麗に飾られていた。温泉の効能はカタル。芸者はほんの僅か、女中に娼妓を入れて十数名の小所帯であるが、女中は皆派出やかで酒に強く、座敷に屏風があったので虎虎をして遊んだ。千里走るよな藪の中を皆さん覗いてごろうじませ金の鉢巻きタスキ和藤内がエンヤラヤと捕らえし獣はトラトラ…。

恒春の景色

四重渓を出て今度は貸切自動車で恒春に向かう。小一時間三円位。途中天然瓦斯が湧出する地獄門の出火と云うところあり。恒春庄は小さな城郭を持ち、昔は省城が置かれたところで、四時春の如しと云われる土地であるが、常時季節風に悩まされており、木麻黄と云う松に似た熱帯植物による防風林が多数植えられていた。此の海域は鯨の繁殖場で、捕鯨会社によると年間百頭捕れるのだと云う。ただ、抹香鯨の香りは魚油の焦げる酷い匂いであり嗅ぐに堪えなかった。自分は恒春で二泊し、有名な石門を見るなどした。旅館の主人と談話する。鄭と云う主人によると、恒春城の歴史について語り、昨年に城が史跡になったとしきりに自慢を云うので、和歌山城天守閣も昨年国宝になった為何やら親近感があると答えておいた。また、総督府は蕃害を撃退したのち此の地に鯨業農業を施したが、比較に男子が多いものの、花町がない為自らせんずりするのだと云う。正に商機なり。

帝国の南端

つとめて、貸切自動車で鵝鑾鼻(ガランビ)燈台を見物する。ガランビは日本帝国最南端の恒春半島の更に先端に位置し、燈台は白亜円塔の大灯(二万七千ルクス)による台湾八景筆頭の地であり、まさに絶景かな、絶景かな。燈台の傍にはガランビ神社と無線電信局が接していて、神社には茅輪に似た鯨骨の鳥居があり、敷地には白い砂が敷かれていて南紀の白良浜を思い出したのだった。季節風が強く樹木の多くはすでに傾いていた。また、無線電信局の十字アンテナは日本最終の連絡局であり、神戸横浜を出て欧州へ向かう船は此の連絡局に向けて「日本よさようなら」と報じているのだ。(続く)

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