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役所の人が冷淡な理由

今まで、さまざまな仕事をしてきたなかで、役所の人が上から目線で自分勝手な振る舞いに見えるような態度を取る理由について、自分なりにたどり着いた理由がある。

自分自身実は役所に臨時職員として勤めた事もあれば、役所の外郭団体で勤めた経験も民間企業で務めた経験もある。

それら今までの様々な仕事を通して、さまざまな役人の人と携わってきた。国家公務員、地方公務員。場面もパーティーだったり、協定の締結に伴う打ち合わせや内容のすり合わせ、そして式典、その後の協定に基づく事業の運用、精神福祉の仕事を通してでは生活保護担当のケースワーカーや保健師などなど。他にもプライベートでは、パワハラの関係で労基署や退職後に訪れたハローワーク、健康保険関係などで市役所など。

プライベートでお互い肩書き抜きで知り合う時、その多くは普通のひとだった。しかし彼らが肩書きを背負った状態で出会う時、本当にいろんな人がいた。良い人もいれば、そうで無い人もいて、私もあまりの理不尽や横暴ぶりにイラッとする気持ちを抑えながら声を震わせつつ話した事もある。

ところで、ジョンソンとホールという人が1988年に発表した学説では、仕事の要求度に見合わない裁量やサポートであるとストレス反応が高くなるという主旨の内容を唱えている。

つまり、難しい課題なのに、社風がトップダウンだったりして自由度が低く、上司や同僚等の周囲の人からのフォローもない環境だと、より大きなストレスを感じやすい、ということ。

この学説を聞いた時、私は「これってまさに役人の世界だ!」と思った。

自分がストレスを感じている状態で他人に優しく接する事は難しい。思わず八つ当たりで塩対応、無責任で雑な仕事、対人の仕事なのに、感情や好き嫌いやその時々の機嫌で仕事をしてしまう、舐めやすい人には強く出て、仕事を押し付けて少しでも自分の負担を軽くしようとしてしまう。などなど。

これら「お役所仕事」の裏側にあるもの。もしかしたら、この学説のような組織的問題に起因するのではないかと思う。

実際、役所や外郭団体で働いていた時、精神疾患で休養する職員や退職する職員は職場に常に誰かしら居た。そしてその割合は、「人口の3割が一生のうち一度は鬱などを発症する」と言われるその割合をはるかに超えた割合だ。

「高級取りの役人たちが、自分たちを下に見て、ぞんざいに扱ってくる」という表面的なものに捉われるとただただ腹が立ってしまう。けれど相手のぞんざいな態度の背景を想像すると、多少哀れにも見えてくる。

彼らが経済的安定と引き換えに負っているもの。それらに時折思いを馳せる。すると人生とはなかなか趣深いものだな、としみじみ思えてくるものがある。

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