お迎え現象
「死の直前に起きる「お迎え現象」「手鏡現象」は妄想か、本物なのか 何度も目の当たりにした人がいる」
という記事が出ていた。
死の直前、目の前に亡くなった人や大切な人が現れるという。
「お迎えがあった場合、その1週間後に亡くなるという人が多いが......」とも書かれている、
先日、そんな経験をした事を書いた。
この記事で書いた事がおきた事が、明日でちょうど1週間だ。
ここに、もう少し詳しく書く。
実は、というほどの事でもないけど、9月末締め切りの、ある所に応募しようと、ガラにも無く小説を書いていた。
もともとはシナリオだったのだけど、小説にしたほうが映画になるチャンスが多いかと思ったからだ。
その話が、中国と日本を舞台にした、娘と母親の話で、どうしても母親の気持ちを考える事が多かったのが、その事の原因かもしれない。
9月末締め切りなので、完全に書きあがってはいるけど、読み直すごとに直したくなる、一ヶ所を直すと、関連する部分を全部直す必要が出てくる。
そんな事で見落としがないか、辻褄の合わない所はないか、何度も読んで、疲れきった所で、思わず、「疲れた」と言った、頭の中で言ったのか、声に出したかわからない。
しばらくして、本当に聞こえたのか、頭の中だけで聞こえたのか、母親の声が聞こえた、その声は間違えなく母親のもので、口調も、なつかしい母親のものだった。
「そんなに疲れたなら、こっちに来て休みなさい」
そんなような事は、よく言われていた。
なんの違和感もなく、母親の声を受け入れたが、母親は10年も前に亡くなっている。
「こっちに来て休みなさい」は、お迎えの言葉だったのかと思う。
あれから一週間、色々と考えた、お墓参りに言ってないな、とか。
お墓参りなど、日本にいても行ってないのに、ちょっとそんな気持ちになった。
不思議な事だと思うが、「お迎え現象」と言う事があるなら、特に不思議ではないのかもしれない。
5月にこんなnoteも書いた。
今年は、自分の父親が死んだ年齢でもあるのだ、自分の心の中に、色んな思いがあるのだろう、今度は父親の声が聞こえるかもしれない、両親そろってお迎えに来られたら、行くしか無いかもしれない。
60も過ぎているのに、いつまで子供なんだと思う。
実に精神状態が良くない、まだまだやりたい事がある反面、もういいか、という気持ちもある、思い残す事が多過ぎて、どうでも良くなってる。
そんな気持ちが「お迎え」を引き起こしているのか。
確かに、お迎え現象は死への恐怖をやわらげてくれる、が、
怖い映画はやっぱり怖そうだ、今日は、ちょっと怖い映画でも見てみようと思う。
死が恐怖であるうちは、まだ大丈夫なような気がする。
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