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科研費の平等な分配はどうしてできないのか


原文記事 (2018/03/25公開): [平均分配科研经费,有何不可?]*a


要旨: peer reviewに従って科研費を分配する制度には欠陥が存在し、ある程度平等に科研費を分配する制度もバックアップ案としては悪くない。





最近、未だに指導教官を決定していない筆者は、個々の研究室をローテーションしながら*b、とても複雑な思いを抱いている。
一方では大きな研究室に傾きつつある: 研究資源は多いし、人脈も広がる。
しかし逆に小さな研究室も魅力的に映る: 人と人との距離が親密。
二つの異なる意見が頭の中で日々巡り、未だに結論は出ない。

もし一つ変数を固定できたら。つまり、全ての教授陣の掌握する研究資源がほぼ同じであれば、どれほど良かっただろうか。そうすれば完全に、個人の興味と研究室の雰囲気で指導教官を選ぶことができるのに。
「科研費を全て等しく分配する」このセオリーに反するような考えはそうして芽生えたものだった。
そして驚いたことに、この考えは自分一人だけではなかった。なんと、このトピックに関して論文を発表したものさえいるそうだ。

(図の翻訳)
左上:「科研費は平等に分けるべきだ!」
右: 理想主義 + 大量の空き時間 + 指導教官選びの葛藤 + googleで色々怪しい内容まで調べすぎてしまう癖 + ....
左下: 私

時に2017年、Krist Vaesen氏とJoel Katzav氏は、”How much would each researcher receive if competitivegovernment research funding were distributed equally among researchers?” というタイトルの論文を発表した。彼らはこの研究でシンプルな計算を行った。仮にオランダ、イギリス、アメリカの三国でそれぞれ、政府が科研費を等しく一人一人の独立した研究者(PI. Principle Investigator)のもとに分配したとして、ほとんどのPIが現在雇っている博士課程大学院生、ポスドク研究員の給料を払い続けられるし、十分な学会などの渡航費/実験器具などの費用を得ることができるという結果だった[1]。具体的にいうと、仮に2011年のアメリカでの科研費の合計を等しく分配したとすると、それぞれの独立したPIが5年で60万ドルの科研費をもらえる。この経費で毎年0.64人の博士課程大学院生、0.2名のポスドク研究員を雇え*c、同時に毎年8万ドルで渡航費/実験費をまかなえるという計算だ。科研費を等しく分配するのは、大多数のPIにとっては、現在の研究室の運営において大きく影響はしないということだ。

この研究は科研費を等しく分配することの必要性に関しては述べていないが、それでも、科研費を等しく分配することが専門家からの評価(peer review)に従って科研費を分配する現在の制度に比べて明確に欠点があるわけではないという観点を強く支持する根拠にはなるだろう。
忘れてはいけないのは、制度を変える時には必ず大きなリソースが必要となるという点だ。例えば様々な規則を新たに成立させる労力や、その他人事的な労力。もしただただ別の、同じくらいの良さの分配方式を追求するのであれば、わざわざ大きな労力を費やす価値はないと思われる。であれば、現行の評価に従って科研費を分配する制度がもたらす”科研費の貧富の文化”がいったいどれほど大きいものなのか。それによる悪影響があるのか。多くの労力を費やしてでも改革をする価値のあるものなのか。

まずは手始めに、アメリカの科研費の分布にどれだけの不均衡が存在するのかを、アメリカ国立衛生院(National Institute of Health, NIH)の2017年の科研費分配状況を例に見てみよう。
以下の図にNIHの2017年の科研費分配状況が示されている。横軸が、各独立PIの受け取る科研費(単位: 米ドル)で、縦軸がその額を受け取るPIの人数である。左側のピークに見られるように、大多数のPIが受け取る科研費はなんとかなり少ない(最頻値は4万4千、中央値が35万、平均値が49万)。

図: 横軸=科研費受取額(/年)   縦軸=その額を受け取るPIの人数

科研費収入が最も多かったPIは2017年*dで5千万米ドルの科研費(=収入ワースト1000の仙人のPIの科研費の総和に相当!)を受け取っている一方、最も収入の少ないPIに関しては雀の涙程度に1ドルをもらっているだけである。収入トップ1%のPIたち(以下の図)の合計で全体の15%にのぼり、収入トップ15%のPIたち(=収入約67万以上)の合計で全体の45%にも達する[2]

図: 横軸=科研費受取額(/年)   縦軸=その額を受け取るPIの人数、 トップ1%を拡大

このような極端に不均衡な科研費の分布に関しては、NIH院長であるFrancis Collins氏も懸念を示している。彼は”科学的発見の本質は不確定性であり、我々には、少数の実験室に資源を集中させるよりも、経費を多くのPIに分配し、彼らにより多様な研究課題に挑んでもらうことで科学的発見による収益を最大化できると信じる理由がある”と述べている[3]。つまり、基礎科学の発見には偶然性が伴うため、そのような偶然性を扱うという意味でも、ブレイクスルーとなる科学的発見の数を最大化するためにも、NIHが支援するPIの数を増やすべきであり、多角度に広く網をはるという方式で科学的発見の偶然性に立ち向かおう、というわけである。

NIHは実際に有言実行しており、2017年に、新しい科研費分配政策を提出した: 科研費申請の上限の設定(3つのR01項目に相当し、約150万ドル分) / 上限を超える経費を申請する時には、NIHにその申請を行い、十分な理由を提示する というもの。試算によるとこの政策により6%の”巨富”PIの上限を超えた経費を新たに1600の項目に分けることになり、その分を潜在能力がある若い”プロレタリア階級”PIにまわせることになるという。

Francis Collins氏が述べた科学研究の本質的不確定性ゆえに投資を分散する必要があるという理由以外に、現行の科研費分配制度に穴があり代替案が必要であるという考えをさらに説明する理由として、筆者が調べて整理したところ以下の幾つかが挙げられた:

1. 科研費の投資もその他の投資と同様に、収穫逓減の法則が成立するという点。収穫逓減の法則とは経済学において普遍的に受け入れられている基本法則である。例として、あるじゃがいも生産用の土地に、毎回1kgずつ肥料を増やしていくとする。初めのうちは、肥料を増やすごとにジャガイモの生産量が少し増える。しかし最終的に、肥料の増加が土壌の塩分濃度を過剰に大きくしてしまい、生産量の増加は頭打ちになり、ついにはマイナスになる。以下の図のように。

図: 横軸=与える肥料の量   縦軸=じゃがいもの生産量

じゃがいもだけでなく、科学研究もまた然りである。一つの実験室に際限なくお金を、仮に毎回1ドルつぎ込んでいくとしよう。1ドル投入するごとに、実験室の生産力は少し上がっていくが、ある程度投入していったところで、生産力の増加は最終的に頭打ちになる。この仮説を検証するために、アメリカの国立基礎医学研究所所長であるJeremy Berg氏はある研究を行った。彼は、興味深く、かつ重要な一つの疑問を提示した: 「研究室にいくらのお金を投入したときがに、研究室の生産効率が最大になるのだろうか」。Jeremyのチームが出した答えは: PI1名あたりにつき75万米ドル (年あたり) だった。

Jeremy氏は自分の所属する基礎医学研究所で”メスを入れ”、三年以内での3000人の研究者の一年あたりの平均論文発表数の中央値、発表論文のインパクトファクターの中央値と、獲得された科研費の関係を分析した (以下の図。紫と橙色の線、どちらも最終的には下降に向かう傾向が見られる)。この調査[4]の最も重要な意義は、科研費の投資における収益の逓減を示したことにある: 投入額が75万米ドルを超えて以降、論文の数と論文のインパクトファクターが共に低下している。

図: 横軸: 受け取る科研費   縦軸:論文数(紫), 平均インパクトファクター(オレンジ)

同様に、あるカナダの研究員も似たような結論を得た[5]: PIの生産力影響効率 (impact/money、つまり単位お金あたりの、科学研究成果インパクトの増加分)は最終的に科研費の増加に従って逓減していくという。

2. peer reviewが潜在的に不公平をもたらし得るという点。本来的には質を以って判断しなければいけない評価が、「理ではなく情で判断する」評価になってしまい、それにより学術界での”近親繁殖”が生じてしまう。学術界での”近親繁殖”とは、自分と同じ族(研究分野/共同研究など)にいたり、同様の観点を持つPIたちがその分野を独占してしまうことであり、これにより族の外の創造的な考えが分野内で生き残れなくなってしまいかねない。NIHがいくら、自分たちのpeer reviewプロセスは非常に公正で科学的なものであると声をあげても、NIH基金のpeer reviewには黒幕が存在するという類の噂はたえず出てくる。筆者は今回あるNIH職員(NIH対外交流部副部長)のブログに他の研究者が実名で出したコメントを翻訳した。文脈としては、副部長がNIHの制度が十分に公正であり、それに対して疑問を向けるのは科学研究の効率を下げかねないと述べて、それに対してある研究者が反応したコメントがこちらである:

"(NIHの制度が十分公正だなんて)驚きだ、驚きだ。現実を見てみよう。私はNIHのpeer review要員を25年間、3つの異なる分野で行っていた。SRO(Scientific Review Officier ~= 評価委員長)が私のもとにやってきて、「"彼はうちの(one of us)だから"点数を上げておくように」、と言われたことがある。多くのレビュアー(評価者)が審議会中に、誰々と誰々は自分の研究室出身の学生だから、最高レベルの点数をつけておくように、と堂々と言っているのを聞いたことがある。しかもSROはそれを止めもしない。10年間話もしていない人間が「昔のよしみ」で自分たちの申請書にいい点数をつけるようにメールをしてきたことがある。これらを自分は無視したが、NIH本部に報告もしなかった。報告したところで別にNIHは何も行動をしない。そして自分が申請する時にはそうした連中が点数を評価する側にいる。完全に破綻した制度であり、NIH職員は目を覚ましてこの現実に目を向けないといけないよ。"


似たような評論が、以下のブログにおいても多く見られる。興味のある読者はぜひ。
https://nexus.od.nih.gov/all/2017/12/22/assuring-the-integrity-of-peer-review/ [6]

3. 現行の制度では、PIに大きな圧力がかかってしまい、教育活動の質、さらには個人の私生活にまで影響してしまうという点。オーストラリアでPIに対して行われたある調査では、97%のPIが、科学研究費申請の締切日直前に、圧力が大きいと感じたこと/それにより休日や家族との時間を返上したことがあるとした。さらに重要なことに、調査対象となったPIのうち95%が、現在の制度を改革することを支持した。科学研究費におけるpeer review制度は本来的には大多数のPIが求める競争原理にマッチするものであるはずなのに、今日にもたらされているのは制度に対する嫌悪と不満だけである[7]。

まとめると、peer review制度には種々の欠陥が存在している。そして、ある程度等しく科研費を分配することが科学研究における生産力に大きく負に影響することはないと示されたという点、加えて、等しく科研費を分配する制度は比較的シンプルであること、実装コストが比較的低いことから、規則を定める側の人間が思い切って新しい発想を試してみることを筆者は願っている。


筆者: @熊:ハーバード大学、神経科学 博士課程在籍。
校正: @Yoyo/@吱吱/@博/@谦
日本語訳: 王 青波



参考資料
1.Vaesen, K. &Katzav, J. How much would each researcher receive if competitive governmentresearch funding were distributed equally among researchers? PLoSOne 12, e0183967 (2017).
2. NIH Awards byLocation and Organization - NIH Research Portfolio Online Reporting Tools(RePORT). Available at:  https://report.nih.gov/award/index.cfm  (Accessed: 18thMarch 2018)
3. Reardon, S. NIH tolimit the amount of grant money a scientist canreceive. Nature (2017). doi:10.1038/nature.2017.21930
4. Wadman, M. Studysays middle sized labs do best. Nature 468, 356–357 (2010).
5. Fortin, J.-M. &Currie, D. J. Big Science vs. Little Science: How Scientific Impact Scales withFunding. PLoS One 8, e65263 (2013).
6. Assuring theIntegrity of Peer Review | NIH Extramural Nexus. Available at: https://nexus.od.nih.gov/all/2017/12/22/assuring-the-integrity-of-peer-review/ (Accessed: 19th March 2018)
7.Herbert, D. L.,Coveney, J., Clarke, P., Graves, N. & Barnett, A. G. The impact of fundingdeadlines on personal workloads, stress and family relationships: a qualitativestudy of Australian researchers. BMJ Open 4, e004462 (2014).


日本語版注釈
a. 本文を読み進めると分かる通り、「どうしてできないのか」の原文(「有何不可」)のニュアンスとしては疑問というよりかは反語 (「どうしてできないのか、(いや、できるだろう、やるべきだろう)」というニュアンス)。
b. アメリカの生物系のPhD課程では一般的に、一年生の間に研究室を3~4箇所、各2~3ヶ月ほど体験するラボローテーションと呼ばれる制度がある。ローテーションの間に研究室の雰囲気や先行きなどをできるだけ明らかにして、2年生以降の配属となる研究室とのミスマッチの可能性を減らす狙いなどがある。
c. 直観的に少ないと感じるかもしれないが、原論文を見ると「米国大学院生のサラリーを低く見積もっているかもしれない(conservative estimation)」とある。また、(訳者の個人的な予想だが)実際には奨学金(fellowship)など自分で給料を持ってきている大学院生/ポスドク が多いのかもしれない。
d. 原文では2010年となっていたがおそらく誤字(?)