お薬、やっぱりやめまーす
前回の診察でお薬を増やしたのですが、やっぱりやめることになりました。
薬がちょっと、合わなかったんです。残念。
「副作用として喉の乾き、多飲、多尿、頻尿が起こりうる」とは説明にありましたが、それがドンピシャで出てしまいまして。
いやもう、めっちゃトイレ行きたくなる。
「こんなにトイレ行きたくなるなら、まだダウナーな気分の方がマシでは?」と思って、主治医の先生と相談し、今までの薬に戻すことにしました。
今現在、元々の薬で結構元気に過ごせているので、良いんじゃないかな、と思っています。
”完全な健康”という幻想
前回、足された薬は、「より安定した状態を目指す」ということで足されたものでした。
正直、「より安定した状態って何なんだろう」という疑問を持ちつつも、今よりもっと元気になれるならそれに越したことはないだろう、ということで試したわけですが、なんか薬が合わなかった、という結果に終わりました。
それで、改めて、治療のゴールってなんだろうな、と思いました。
私は風邪をひくと、どんなに軽いものでもすぐに病院に行くタイプだったのですが、とある時期を境に、ある程度の症状に対しては「まあいいか」と思えるようになりました。
というか、思わざるをえなくなった、と言った方が正しいです。
完璧な健康体なんて、そもそもないことに気づいてしまったからです。
そんな当たり前のことに気付いたのは、大学時代でした。
色々あって抑うつ状態になったあと、精神的に持ち直してきた頃。心ではなく、今度は身体の方に、別の症状が出ました。
なんか知らんけど、めちゃくちゃ手のひらが痒い!
虫刺されなどの痒さとはまた別で、手がじんとしびれるような感じ。
痒すぎて夜も眠れない、というレベルになって皮膚科に行ったところ、「ストレス性のじんましん」と診断されました。
そのときは、アレルギー用の薬を処方されて、無事に落ち着きました。
ただし、副作用として眠気があるので、なんとなくぼんやりしていました。
そして、手のひらの痒みがなくなってきた頃、次は突然げっぷが止まらなくなりました。別に炭酸を飲んだわけでもないのに、げっぷが無限に出るのです。呼吸が苦しいくらいに出てしまうときもありました。
何より、手のひらが痒いのと違って、人と話す時などでも、げっぷを隠しきれないのが、とても恥ずかしくて、困りました。
内科に行ったところ、「呑気症」と診断されました。原因は、ストレスだそうです。体内のガスをおさえる薬を処方されて、とりあえずおさえるだけおさえることになりました。
そして、げっぷが少しおさまったな・・・という矢先、再び手のひらが痒くなり、アレルギーの薬でおさえ、治って、また今度はげっぷが出て・・・と、何度か繰り返し・・・
最終的に「もうめんどくせえ!!!!!」と私は病院通いをやめました。
「自分」を治すのは結局「自分」
ストレスが原因、と言われても、そのストレスの元が何なのかは自分ではわかりませんでしたし(今思えば、どう考えても家庭環境とか就活のプレッシャーとかだろっていう感じなんですが)、結局のところ、根本的な治療にはならない。できることは、症状をおさえるだけ。
もちろん、症状がおさえられるだけでも非常に助かりますし、お医者さんを非難する意図は一切ないです。
ただ、ストレス性の病気って、結局のところストレスを感じない環境か、ストレスに動じない鋼のメンタルを作り上げるしかないわけで、ならいっそ、症状にいちいち過剰に反応しない方が得策では?と思ったのです。
呑気症が恥ずかしいなら、「私、ワケあってメッチャげっぷが出る人なんです」って初めから言っておけばいいじゃん!それで縁切る友達なら、その程度だったってことじゃん!
手のひらが死ぬほど痒いときは薬でおさえるとして、ある程度痒いのはもうほっとけばいいじゃん!何か他のことに夢中になってれば消えるかもじゃん!
・・・と、開き直ったところ、症状が実際、結構おさまりました。
「こういう症状持ってるんで、気に触ったらゴメンね」と前もって宣言しておけば、無理に気遣ったり気遣われたりすることがなくなるので、かなり気持ちとしては楽になります。
そうすると、自然とストレスが減るのでしょうか、リラックスして接することができ、症状もあまり出なくなり、症状が出ないことで安心感が増して、よりリラックスできて・・・と、良い方向へ、良い方向へ向かってくれるのです。
とはいえ、治ったわけではないです。
未だに緊張すると呑気症がひどくなったりすることもあります。
ですが、とにかく「こういう症状が私にはあるけど、仕方ない」「これはそういうもんなのだ、こういう病気なのだ」と自分を許してあげるのが、ストレス性など心に起因する病に対しては、有効なんじゃないかな、というのが私の持論です。
そして、そういった症状を持つ私に対し、過剰に構えず「そうなんだ、大変だね」「まあ辛くなったら言ってよ」と、適度な距離感で支えてくれる友人の存在は、何よりありがたいです。
健康を目指しすぎて逆に病む、というのはなんとも皮肉な話です。
どういう病気を持っていても、「まあ私としては普通に生きてられてるな」くらいの状態でいられるなら、それが”健康”なんだと思います。
もちろん病気を一切しない身体とかなれたらスッゲー楽でしょうけどね!!
国民健康保険とかいらない身体、最高なのでは?(台無し)
まあまあ健康、泥水でした。
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