あいう

ストレス解消のための自傷って、だめ?

今回の記事は普段に比べると少し重めの内容なので、「そういうのは求めてない」という方はお読みにならないことをお勧めします。

※注意※
この記事は、自傷行為を推奨する目的で書いているものではありません
目立つ部位に傷をつけるのは、あとで後悔する可能性が高いです。
深呼吸して、ゆっくり休んで、よく考えることをおすすめします。

・・・

私はかつて、自傷癖がありました。

というか、とある理由で「今は自傷行為をしていない」だけ、と言った方が正しいかもしれません。
自傷したいという衝動が、まれにですが、未だに起こるためです。

と、重苦しく書き始めてみましたが、実はなんてことないのです。

私にとっての自傷は、ストレス解消法でした。

他人(主に医者関係)に自傷行為について話すと、「やめなさい」とほぼ必ず言われます。

ですが、そのたびに、「なんで駄目なの?」と思ってしまいます。

自傷自体が良いことだとは思っていません。思ってはいませんが、頭ごなしに「やめろ」と言われても、自分にとっては単なるストレス解消法であって、やめなきゃいけない理由がわからない

今回は「自傷行為って、そんなにいけないことなのか?」という疑問を記事にします。自分語りも多く含まれます。ご容赦ください。


いろいろな自傷のかたち

自傷癖とは、意図的に自分の身体を切ったり、皮膚にタバコを押し付けたり、毒物を摂取するなど、自分を痛めつける行為を繰り返すことです。

自傷には、様々な形があります。

最も「自傷行為」としてポピュラーなのは、リストカットでしょう。
ですが、痛々しい行為ばかりが自傷とは限りません。髪を抜く、かさぶたをはがす、爪を噛むなどの”クセ”で片付けられてしまう行為も、自傷にあたります。

また、精神的に自分を痛めつける行為も、自傷にあたります。
過度な自虐に走ったり、自分のことを無価値だと言い聞かせたりすることも、自傷行為となります。身体の傷と違って周りからは見えないので、心に大きな傷を負い続け、取り返しがつかないことになる可能性もあります。

自傷の原因も、様々です。

人に認められたい、構って欲しいという、承認欲求から来る自傷。
心の苦しみから逃れたい、そのために体を痛めつけて現実逃避する自傷。
負の感情をうまく制御できない、他に方法がわからないために行う自傷。

これはほんの一例でしょう。本人が何故自傷しているのか理解していなかったり、そもそも自傷行為に気づいていないこともありえます。

なので、自傷と一口にいっても、やり方も、やる理由も、人によってバラバラなのです。

私は、自傷行為の理由がわかっていて、他の方法で代替できるのならば、それにこしたことはないと思っています。

例えば、人に認めて欲しいならば、リストカットするより、何か好きなことを極めて他人に褒めてもらう、とか。心の苦しみがあるならば、その原因となるものから離れたり、問題解決のために人に頼る、とか。

特に、精神的な自傷行為を行っている人は、できるだけ早く心療内科などにかかって、プロのカウンセリングを受けることをおすすめします。
病院がイヤであれば、自分の思考の”クセ”を見つけて、それを良い方向に導いてあげるだけでも、楽になると思います。

もちろん、すべての人に代替行為が見つかるとは思いませんし、簡単にやめられるものでもないのはわかっています。
ですが、やはり、自傷せずに済むのなら、それが一番いいと思います。

・・・と、ここまで偉そうに「自傷しなくて済むならそのほうがいいよ〜」と言ってはいるんですが、例えば、私のストレス解消法としての自傷

「そんなに駄目?」って、思ってしまうのです。

繰り返しになりますが、私は、自傷せずに済むならそれが一番いいとは思っています。
ですが、「自傷なんて絶対によくない!」と、完全に”やったらアウト”な扱いにされるのは、よくわからないのです。

疑問を抱いた経緯

私の自傷は、中学から始まり、大学まで続いていました。

主な自傷は、カッターで身体を切ることでした。

ただし切るのは手首ではなく、肩です。
肩を選んだ主な理由は、「人にバレにくいから」です。

初めての自傷は、実を言うと手首でした。
とても落ち込む出来事があった日、浅くカッターで切ってみたら、なんだか気持ちがスッキリしたのです。ですが、その日の晩に母親に見つかり、「その傷どうしたの」とひどく心配されました。

そこで、「心配をかけては悪い」と思い、色々な場所を試して、肩に落ち着きました。隠しやすく、手当てしやすく、切りやすい位置だったのです。また、見える位置だと、他人に妙な詮索をされて面倒、という打算もありました。

死ぬつもりは全くありませんでした。不愉快な気持ちになった時、怒りを強く覚えた時に、ストレス解消として、自傷を行っていました。

心配をかける可能性の高い相手(特に母親)には絶対に見えないように気をつけ、秘密として墓場まで持っていく予定でした。(しかし数年後バレます。詳細は後述)

そんな感じで自傷行為を働いていた私は、ある疑問を抱くようになりました。

大学生の頃、心療内科に「抑うつ」の症状で通っていたとき、診断で聞かれたので自傷癖があることを伝えると、先生に「自傷してるの?よくないよ、まともじゃないよ」と言われました。
他にも、カウンセリングやら、電話相談室やら、そういった人たちに自傷癖について話すと、「やめなさい」と言われるのです。

なんで?

誰にも迷惑かけてないのに、なんでやめなきゃ駄目なんだ?


ストレス解消の自傷はアウト?

「自傷はよくない」って、よく言われていますよね。

・・・言われてますけど、正直、あんまり納得いかない。

「自傷をしてはいけない理由」としてよく見かけたり、言われたりするのは、

①親にもらった大事な体だから
②自傷の痕がまわりを不快にさせるから
③自傷の痕のせいで偏見を抱かれてあなたが困るから
④あなたを大事に思っている人が悲しむから

といった感じのもの。

ここで、上記4つの理由について、自分の「ストレス解消法」としての自傷をやめる理由になるかどうかを考えてみます。

では、まず①について。

親に”もらった”大事な体。確かに、人生を謳歌しているならば、産んでくれた親に感謝すべきですね。私も両親に対しては愛情を抱いています。
ですが、私の体が両親の所有物であるとは思っていません。髪型を変えるときに、いちいち許可をとらないのと同じです。

なので、正直①については、一切ピンときません。自傷をやめなくてはならない理由にはならないと思っています。(※あくまで私の感覚です。ここは意見が別れるところだろうとも思ってます。入れ墨や整形の議論に近いですね)

次に、②と③について。

これについては、バレなきゃ問題ないのでは?と思っています。

手首の傷などは、確かに目立ちます。位置的に隠すのも難しいです。学生ならリストバンドをつけられますが、社会人になってもずっと隠すのは、難しいですし、大変だと思います。さらに、見つかったときに、説明に苦労するでしょう。最悪の場合、「こいつアブナイやつだ」と偏見を抱かれてしまいます

つまり、自傷によって、後々、生きづらさが増してしまう。

その理論は、わかります。

わかるので、私は肩を選びました。

肩なら、そうそうバレません。手首よりは”自傷っぽさ”もないので、見つかってしまった場合は「子供の頃、変なコケ方してザックリ切っちゃったんですよ〜(笑)」など、理由もでっちあげやすいです。
見えない位置なので、他人を不快にさせる心配もないと思っています。

というわけで、②と③も、私が自傷をやめる理由にはなりません

最後に、④について。

大事に思ってくれている人が悲しむから。

これは一番、まっとうな理由に感じます。

例えば私にとって、両親や同居人は大事な人です。両親や同居人は、ありがたいことに、私を大事に思ってくれています。なので、私の自傷によって私の大事な人たちが傷つくのは、よろしくない。

ですが、これもまた、「バレなければいい話では?」と私は思っています。

実を言いますと、私が自傷行為をやめたのは、大事な人に自傷行為がバレて、”自傷をもうしないでほしい”と言われたからです。

私の自傷について知っているのは、母と数人の親しい友人です。

母にバレたのは、完全に事故でした。
生きている間は、絶対に見せるつもりはなかったのです。数年間うまく隠していたのですが、ある日、着替え中に母が突然入ってきて、傷跡に気づかれてしまいました。

その時は、「転んで怪我をした」とごまかしましたが、母の目を見てこれはもう気づかれてるなあ・・・と観念し、自傷癖について話しました。みるみる落ち込む母を見て、とても申し訳ない気持ちになりました。

友人の場合は、「まあこいつ相手ならいいだろ」と自傷仲間として打ち明けたり、自分の過去の経験を話すうえで隠さず言っておこうと決意して話したり、シチュエーションはバラバラです。

ですが、相手が私の自傷行為によって傷つくと思って話したことは、一切ありません。引かれる可能性はあると思っていましたが、傷つかれるのは想像していませんでした。

話した相手の一人が、「君がそうやって君自身を傷つけるのは、自分が悲しい」と言ってくれました。母以外の人で、私が傷つくことに本気で傷つく人がいるとは思っていませんでした。

それが、自傷をやめる一番のきっかけになりました。

ですが、おそらく、自傷のことがバレなければ、あるいは自傷に対して「悲しいからやめてほしい」と大事な人に言われなければ、私は自傷行為を続けていたと思います。

というか、正直なところ、「バレなければ続けててもよくない?」と思うことがあります。裏切り行為になってしまうので、実行には至っていませんが。

・・・で、結局、なんで駄目なの?

上記の通り、「自傷したら大事な人を悲しませる」と思い至り、今は自傷行為をやめていますが、それでもまだ、ピンとこないのです。

なぜ「自傷行為がよくない」と言われるのか。

上記の理由の全ては、結局のところ、「バレなければ問題ない」の一言で片付くのではないか?と思うのです。

だから正直、「自傷は駄目」と言われる根本的な理由が、わからない。

私がなぜ自傷行為をするのかというと、「手っ取り早く感情を抑えることができるから」です。

不愉快な気持ちになった時、怒りを強く覚えた時。

カラオケに行ったり、スポーツをしたりして、発散することは可能でしょう。

ですが、上のような状況になる時は、たいてい「それどころじゃない」場合が多いんです。学校内であったり、家の中であったり。

そうすると、短時間で手軽にストレスを解消する方法がほしい

ものに当たり散らすのはよくない、と思っています。

でも自分の体なら、いいんじゃないか?

痛みで気を紛らわすことができるうえに、ちゃんと治る。

他人に当たり散らすこともなく、ストレス解消ができる。

しかも見えない位置だから、今後、余計に生きづらくなるわけでもない。

他人にバレさえしなければ、傷つけることもない。

・・・これ、”パーフェクトな方法”じゃないか!?!?!?

と、思っていたのですが。

先にも書きましたが、”私”が「自傷するのはよくない」理由は、とりあえず「大事な人を悲しませないため」で、今のところ納得(?)しています。

ですが、根本的な「自傷をしてはいけない理由」が、世の中で明確に提示されていないように感じるのです。

私は別に死にたいわけでも、他人にアピールしたいわけでもありません。
「今日はアルコールでパーっとストレス発散するか!」みたいな感覚で、「よっしゃ、カッターでスパーッとやるか!」と思ってやっていただけだったのです。

自傷行為が、私の患っている「不安障害」のような”日常生活に支障をきたす病”であったり、あるいは”今後の生活に問題を生じさせる可能性が高い”のであれば、「身体に悪いからやめよう」と思えるでしょう。

ですが、お手軽ストレス解消法として捉えている今の自分にとっては、自傷行為の何がいけないかが、いまいちわからないのです。

自傷行為といっても肉体的自傷、精神的自傷、色んな側面があるので、一概には語れませんが、「自傷行為はとにかく駄目!」という風潮は、なんだかよくわからないなあ、と思うのでした。

精神論的なものでなく、医学的見地から見た「自傷行為のデメリット」など、そちら方面の知識に詳しい方がいらっしゃいましたら、是非ご教授ください。

元気なメンヘラ、泥水でした。ここまで読んでくださったことに感謝いたします。

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2021/1/8追記:
続きました→自傷との向き合い方

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最後に、学生時代の自傷エピソードを描いた6コマ漫画を置いておきます。

もしよろしければ、笑い話として読んでやってください。

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