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シリアルキラー展Ⅱ -魔の美術館-

「シリアルキラー」。直訳で、連続殺人犯。

シリアルキラーと聞いて、みなさんは誰を思い浮かべるでしょうか。

『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター博士は世界的に有名ですね。
ホラー映画ファンならば、名作として名高い『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスなんかも思いつくかもしれません。

彼らは架空のキャラクターで、現実には存在しない「シリアルキラー」です。

ですが、彼らの元となった人物は、現実に存在します。

そんな元ネタの人物たちが描いた絵、手紙、逮捕時の写真、さらには毛髪や事件現場の破片、歯のレントゲンなどのコレクションが、『シリアルキラー展Ⅱ』にて展示されています。

実は、結構前にシリアルキラー展の前期の展示へ行ってきたのですが、前期・後期で展示作品の入れ替えが行われるということで、どうせ感想にまとめるなら両方見てからにしよう、と思い、noteでは触れていませんでした。

先日、ようやく後期の展示を観に行ったので、シリアルキラー展Ⅱの感想をまとめようと思います。

「シリアルキラー」の定義

まず、「シリアルキラー」という言葉についてですが、単に「連続殺人犯」と訳すのは、なんとなくニュアンスが違うと個人的には思っています。

「人を殺す」という行いは、そんなに簡単なことではありません。それを何度も繰り返す、という時点で、常人からは「異常」と捉えられるでしょう。

ですが、とにかく連続で多く人を殺せば「シリアルキラー」かというと、それはまた別な気がします
極端な例ですが、戦争中、化学兵器や爆弾などで大勢殺した人は、「シリアルキラー」として逮捕された人たちより多くの人間を殺しています。しかし、彼らのことを「シリアルキラー」とは呼べないでしょう。

私は、殺した人数ではなく、その性質自体が問題だと思っています。

他人には理解できないような猟奇的な方法で殺害する。独特の執着心を持ち、特定の特徴を持った人間のみを標的に殺害する。非常に優しい人物として知られていたにも関わらず、裏では人を残酷な方法で殺害し、何事もないかのように暮らし続ける

つまり、世の中における「理解しがたい」異端の存在。

それが、シリアルキラーと呼ばれる人々だと思っています。

前期の狂気、後期の嫉妬

はてなブログの方ですでに記事にしてしまってるんですが、改めて前期展示の中で最もインパクトがあった人物について、書きたいと思います。

名前はジョン・ウェイン・ゲイシー

資産家の名士で、ボランティア活動にも積極的に参加し、周囲から”良い人”という評判を得ていた彼は、裏では少年に性的暴行を加えて殺すことを繰り返し、33人もの命を奪ったことで、世界を震撼させました。

彼は地元での慈善活動の一環として、ピエロに扮することが多く、それゆえに「キラー・クラウン(殺人ピエロ)」というあだ名がついています。彼自身はピエロに扮する際、「ポゴ」と名乗っていたようです。

彼の描いたピエロの自画像は非常にインパクトがあり、今回の展示でもポスターとして使われています。

私はキラー・クラウンの絵については、シリアルキラー展に行く前から知っていました。映画『IT』のメチャクチャ怖いピエロの元ネタ、ということで、ネットで何度か画像を見かけていたのです。

インターネットで見る彼の絵は、「なんか目が怖いなあ」と少し不気味に思う程度でした。しかし、ナマで見る彼の絵は、より一層怖かったです。

彼の絵には、同じパターンを繰り返す傾向が多く見られました。化粧をしていない自分の顔、ピエロに扮した自分の顔。それがいくつも連続して描かれている。

私はスプラッタバイオレンス系の描写が好きなので、好んで不気味な絵を探すことがあります。例えば「3回見ると死ぬ絵(デマですが)」で有名なベクシンスキー氏の作品は大好きですし、野崎コンビーフリンク先 注意!恐怖系の絵です)の絵をこわごわ見てたりもしました。

そんな私ですが、キラー・クラウンの絵は、どうにも見ていて落ち着きませんでした。不気味さを意図して描かれた絵とは異なり、むしろうまい部類の、理性的に描かれた絵だと思います。

ですが、逆にそこが怖かったのです。

33人も殺しておきながら、理性的に筆をとり、同じピエロを何枚も描くその精神。衝動でグチャグチャになって描いた絵じゃなくて、一定のモチーフを描き続けるその心。それらが、理解ができないから、怖い。

厨二心に「いつかナマで見たい!」と思っていたはずの絵が、どんどん怖くなってしまいました。これを家にコレクションしてる人たち、どういうテンションで生活してるんだろ・・・

一方で、最近行ってきた後期展。

こちらは、むしろ怖さより嫉妬がすごかったです。

私の嫉妬が。

なぜかというと、シリアルキラー、メチャクチャ絵うまい人が多い。

画家としてデビューすれば良かったんじゃないの?というレベルのハイセンスな絵の人が多い。

ただのインターネットお絵かきマンでしかない私ですが、人並みに「絵うまくなりたい」願望があります。故に、うまい人の絵を見ると「くっそ〜これくらいうまくなりてえ〜!」という嫉妬と羨望が溢れてしまいます。

後期展、普通の美術館と言っても過言でないレベルでした。

おかげで恐怖よりも「ギギーッ!なんでこんなにうまいのよ!!許せん!!」という嫉妬の方がすごかったです。何しに行ったんだ私は。

・・・

前期展では、「普段まともに生活していたのに実はヤバイ人だった」というタイプのシリアルキラーが複数人取り上げられていて、それが私に恐怖を感じさせていました

しかし、後期展は「そりゃこういう生まれでそんな環境で育ったらそうなるわ」と思ってしまうタイプの人物(例:親の虐待、アルコール依存など)が多く、「理解できない」恐怖より、「こういう境遇が殺人鬼を生んでしまうのだなあ」という納得の方が強く感じられました。

そのせいで、おそらく恐怖よりも嫉妬心が勝ってしまったんだろうと思います。いや本当にうまいんですよ。

特にDaniel Harold Rollingの絵は、センスも画力も溢れていて、圧倒されました。個人的にはArthur Shawcrossの絵も大好きです。
(※リンク先、関係ない絵も含まれていますが上段2つあたりは彼らの絵だと思われます。また、殺人現場っぽい画像も含まれていますので、そういったものが苦手な方はクリック非推奨です)

もう途中から「シリアルキラー」であることが頭から抜け落ちて、ただの美術館めぐりと化していました。たまに犯人の毛髪とか飾られてて「あっこれシリアルキラー展だった」と思い出せました。ありがとう毛髪。

誰もが、かつては「同じ人間」

理解できない異端の存在、「シリアルキラー」となって数々の凶行に及んでしまった彼らですが、生まれた場所、育った環境、過ごした少年/少女時代を見ると、たいてい同じような特徴がありました。

親がアルコール、またはドラッグの依存症だった。
親に暴力を振るわれていた。性的虐待を受けていた。
厳しく躾けられ、罵倒を受け続けていた。
性的なものは悪であると極端に教え込まれていた。
学校でイジメにあっていた。

つまり、子供の頃、何らかの被害者であった、ということです。

もちろん全員ではなく、何不自由なく生まれ育ったにも関わらず異常な行為に及んでいる人もいます。ですが、多くのシリアルキラーは、なるべくしてなってしまったという印象が見受けられました。

だからといってシリアルキラーに同情、というわけではないのですが、家庭環境が人格に与える影響の大きさについて、ちょっと考えてしまいました。

同じ人間でありながら、自分にはわからない存在。
彼らの手紙の几帳面な文字、丸っこい文字、かわいく描かれたスマイルマークを見ると、普通の人が書いたものと何が違うのかわかりません。

恐ろしいとは思いつつ、同時に、その心のうちを覗いてみたいという、危ない好奇心に駆られてしまう不思議な存在。

展示されている作品は、全て日本人のHN氏のコレクションだそうです。これだけのものを集めて、よくまともな精神でいられるなあ、と拝みたい気持ち。
ですが、コレクションしたいという欲求も、わからなくない・・・と感じさせる、妙なパワーに溢れた空間でした。

シリアルキラー展Ⅱ、非常に素晴らしい展示でした。
7月17日までやっているようなので、機会があれば是非どうぞ。

ヴァニラ画廊:『シリアルキラー展Ⅱ』

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