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【ICU関係者向け】刈り手を待つ畑

国際基督教大学6年生の高橋秀幸と申します。この文章ではICU関係者向けに、私の経営する『オープンハウス境界線』の意義をICUの歴史と共に論じます。

自己紹介が遅れました。語学のクラスが三角関係で崩壊した後森本あんりという人のゼミに拾われたり、ボルダリング部を創設したり、成績が悪すぎる余り岩切学長と面談した結果「ボードレール最高!」という話題で意気投合したり、恥の多い大学生活を送ってきました。まだ卒業できていません。

恥の上塗りがてらに一年ほど前、国際基督教大学(ICU)そばに『イベントバー境界線』を開業した後、今年の3月まで間借りで営業してきました。「知的な好奇心を刺激すること、学内の境界線を越えること、そしてICUと学外の境界線を越えること」を目標に名誉教授元国連大使副学長、理事をはじめとする多くのICU教職員・関係者に話し手としてご訪問頂き、現役ICU生やOBに加え学外からのお客様からも大変好評をいただいておりましたが、2020年の4月から10月の今まで感染拡大防止のため休業しています。

具体的なこれまでの事業内容については、学生新聞のWeekly GIANTSがまとめてくれました。http://weeklygiants.co/?p=8924

学生の皆さんは、オンライン授業に慣れましたか?僕は全然慣れません。クラスメイトの皆はビデオオフにして顔も見えないし、目の前にずっと教授の顔があるのは監視されてるみたいですっごく疲れます。そのくせ、大教室の後ろから教員を見下ろして授業を受けるときの一枚膜を隔てたような疎外感があって、全然面白くないと来ている。新入生の皆さんは、こんなことのためにICUに入ったのでしょうか?現状のオンライン授業はYoutubeかオンラインサロンとどう違うのか、僕には理解できません。PCに不慣れな教授が操作を誤って5分間無音で喋り続けたり、一年間に143万払わされたりしないだけ、まだYoutubeの方がマシかもしれない。一応日本の中ではトップクラスと言って良い学歴が手に入りますが、学歴とそれに付随する社会的メリットを得たいのなら早慶に行っているはずでしょう。我々はそんなもののためにICUに入ったのではないに違いない。

ICUの公式サイトは「なぜ、献学以来、少人数教育を維持しているのか?」という問いに対して、こう答えています。

献学時から少人数教育を貫いている理由は、リベラルアーツ実現のための必須条件が、少人数教育だと考えるからです。ICUでは学びの中心となるのは「対話」です。教員と学生、学生同士が、絶え間なく対話を続けることで学問のテーマは具体性を帯びて広がり、学生は学びを深め、専門性を高めることができます。


教授たちの選んだチープなカメラの画質じゃ顔も良く見えないし、息遣いも聞こえてこなければ臭いもしないのにどうやって対話しろというんでしょう?この点で森本あんり教授の「授業とは何よりもまず『出逢い』であるのだから、オンライン授業なぞ動物園のカバを見るより面白いものにはならない」という指摘は全く正しいと思います。

ものすごく近くで見られているのに、一枚透明な膜を挟んではるか遠くにあるような気がしてならない。

一方、設立当初のICUは学生と教職員の心理的な距離が極めて近いことが特徴でした。このことは当時1学年200人という少人数制に加え、教職員らのキャンパス内への居住、そしてICUスタッフらとその家族の献身によるものです。その様子はICU初代学長の湯浅八郎が、当時キャンパス内で出逢う学生ら一人一人に話しかけていた様から伺えます。

「彼【湯浅八郎】は人類平和と愛の共同体としての世界の形成に奉仕するというヴィジョンを持つ若者を育てたいという情熱に燃えていた。彼は、キャンパスでも校舎内でも、学生に出逢うと殆ど必ず、彼の方から声をかけ、名前を聞き、話しかけていた。のちにすぐれた芸術写真家になったある学生は、「君の名は?」ときかれて「森本二太郎です」というと、「ホー、いい名前だね」といわれた。このことがとても嬉しかった、いつまでもそれを忘れないと森本さんがある会合で語ったことがある。……湯浅学長は、キャンパスで出会う学生一人一人を出来るだけ良く知り、名前を覚え、人間的コミュニケーションを持とうと努めていた」(武田清子.『湯浅八郎と二十世紀』)

湯浅八郎のICU共同体への情熱は開学時の教授陣の選出方法にも及びます。

「教授陣の人選にあたって、夫人を伴って面接していること、相手だけでなく、夫人、子どもたちをも含めた『家族』の人格的資質と生活の全体像をも重視して観察、評価していることは非常に重要である。『ICUファミリー』をかかげ、家族のようなキャンパス・コミュニティ形成が湯浅学長のねがいであった。それは、一つの大学形成の課題にとどまらない。そうした試みを通して、文化、思想、伝統、ものの考え方や行動様式を異にする多元的な人々が存在する人類学コミュニティのミニアチュアともいうべき一つの実験だったといえる」(同上)

湯浅八郎の『ICUファミリー』への想いは、キャンパス内の自宅に学生らを呼んで讃美歌を歌い聖書研究をした一職員の存在や、学長邸への来客対応に励んだ清子夫人の献身にも支えられ、彼の米寿に至っても弱まることはありませんでした。

「ICUにおける人間関係は『ICUはファミリーである』という言葉によって最も適切にその含蓄が表現される」(湯浅八郎.『若者に幻を』)


しかしながら、湯浅八郎がかくも情熱的に求めたこの大学の『ICUファミリー』としての性格は、時代と共にそれを可能としていた前提が失われることで薄れてゆきました。即ち、当時1学年200人だった定員は3倍の600人に増え、それに応じて増えた教職員らは学外居住を余儀なくされ、また共働き世帯が増えるにしたがって以前のように配偶者が毎晩の訪問者を接待することも難しくなりました。

今年の3月に退官された大西直樹先生は、ICUの学生新聞であるWeekly GIANTSの取材においてこのことを嘆いています。


「あともう一つ違ったのは、(昔は)読書会が結構たくさんあったんですよね。学生同士で行なったり先生に来てもらったり。あとはオープンハウスがもっとたくさんあったと思う。先生の家に行ったり先生の家で授業があったり。......オープンハウスは学生さんもあまり行きたくないと思うのかもしれないし、あと教員の方も人が来ると大変ですよね。昔よりオープンハウスの機会はずっと減っています。」

ここで出てきた『オープンハウス』とは何でしょうか?もともとは教授が定期的に週一回程度、キャンパス内にあるご自宅に学生を招き、学生らの疑問について語り合う場でした。いつごろから『オープンハウス』という名前がついたのかは定かではありませんが、学生と教職員らが対等な立場で一堂に会し、教職員の家族を含めたごく少人数での・話題の学術性や両者の立場の違いに拘らない・人間と人間としての対話をキャンパス内で行っていたという点で、このオープンハウス文化は紛れもなく前述の『ICUファミリー』の思想の系譜にあると言えます。

オープンハウス・キャンパス内をはじめとしたICUファミリーの共同体としての機能、及びそれを前提としていた少人数教育が近年形骸化しつつあったところに、コロナウイルスが致命的な打撃を与えました。それに伴い6月頃に起こった施設費返還騒動は、ICU本来の少人数教育を求める学生たちの心の叫びであったのだと思います。
https://note.com/maoko_a/n/necd07941a275

今まで事業を行って教職員の方々とお話する中で、「オープンハウスが衰退しているのは、学生が来なくなったからだ、ICUに入ってくる学生の質はすっかり変わってしまった」という声も何度か伺うことがありました。確かに建学当初の記録を紐解くと、初期の学生らの新日本建設にかける想いは、衰えたといえどGDP世界第三位の島国で漫然と過ごしている我々とは比較にならないと自戒するときもあります。しかしながら、教授ー学生の関係性を超えた先での人格的出逢いを求める学生たちの願いは、決して衰えてしまったとは我々は考えません。むしろ自粛生活において、一層強められたと考えます。しかし、その願いを叶えるために、立ち上がる者は誰もいない。

この状況を表すには、文化勲章も受賞した故大塚久雄教授の比喩が適しています。

「じじつ、外的―社会的な人間回復への動きと、それに結びついて、なお十分に意識されない姿ではあっても、内面の苦悩からの救いを求める宗教的な欲求が人々のあいだにしだいに強まってきているように思われます。言うならば、畑には穀物が熟れ切っているのに刈り手が少ない、という状態にあるのではないか」(私の生きた二十世紀)

我々がその刈り手となります。その列に皆さんを加えたい。我々は今より、オープンハウス文化を復興し、『ICUファミリー』を再び三鷹の森に取り戻したいと思います。

昨年の10月から行ったものと同様、ICU教職員及び関係者を中心にお呼びすることに加え、出逢いの幅を広げるために国際公務員、知識人、起業家など、皆さんが出逢うべき方々を毎日お呼びすることが当面の目標です。もし40人の現役生が複数の教授らを毎晩囲み、それぞれが教授と学生との関係を超えた人間と人間として対話した時、何が起こるでしょうか?

学識豊かなICU教職員らが年に7000以上の学生と、また学生一人一人と人格的に出逢う場、それはICUファミリーの結束をいまだかつてなかったほど強固にし、学生らの人生を飛び切り豊かなものにするはずです。

オープンハウス境界線は、たんなる学生の溜まり場を造ろうとする試みではありません。それはICU本来の少人数教育の復興であり、失われたICUファミリーの再建であり、見えない未来をきり拓く挑戦です。

この趣旨に賛同してくださる皆さんに、『オープンハウス境界線』へのご支援を賜りますようお願いします。

https://twitter.com/boundaryevent

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