見出し画像

出会いとしての真理

国際基督教大学哲学宗教学専攻の高橋秀幸と申します。

この度、ICU(国際基督教大学)から北に500m、新小金井駅から徒歩二分の場所に『オープンハウス境界線』を12月1日に再オープンすることをお知らせします。無論、アルコール消毒・仕切り設置等、感染拡大防止に十分配慮の上行います。
https://goo.gl/maps/ShLgw8n2raKjiVm3A

誰でも日替わりでイベントを主催でき、自分の興味があることについて話せます。興味のある方は僕にメッセージをください

去年の10月に『イベントバー境界線』をICU近辺にてオープンした後、『知的な好奇心を刺激すること、学内の境界線を越えること、そしてICUと学外の境界線を越えること』を目標とし、昨年の10月から翌4月初めの営業自粛までに50以上のイベントを開催しました。その中で副学長名誉教授元国連大使、理事をはじめとする多くのICU教職員・関係者に話し手としてご訪問頂き、現役ICU生やOBに加え学外からのお客様が集い・交わる場となってきました。2019年10月の開業時に公表した声明文がこちらです。

このバーを運営するにあたっての僕の方針は3つです。
①知的な好奇心を刺激する
②ICU内の境界線を越えてゆく
③ICUと日本社会・国際社会の境界線を越えてゆく
 常々思っていたことですが、ICUのコミュニティというのはムラ社会化が過ぎないでしょうか?お昼にばか山を見渡せばわかることですが、肌の色が黄色い人間たちは黄色い人たちだけで、肌の色が違う人間たちはその人たちだけで集まっています。これは主語を「〇〇サークルは」などと言い換えても通じると思います。
 確かにICUで生活していて接する人間というのは授業のクラスメイト、部活仲間、それに同じ専攻の人間程度で、特に新しい人と出会うイベントというのが多くありません。せいぜい総学生数2500人のこの大学ではそれも致し方ないことなのかもしれません。
 しかしながら、ICUのリベラルアーツ教育というのは分野横断的に学問を修め、また同時に文化や思想の違いを乗り越えてゆくためのものではなかったのでしょうか。
 “最後に第二次世界大戦後に誕生したICUは、既にその創立の根本理念が、国家の枠にとらわれない立場をめざす大学でした。さまざまな国籍や文化的背景をもつ人々がともに学び、働く、共同生活の場であるICUでは、教職員、学生のすべてが、可能な限り国際性を実現しようとしています。このなかで、多彩な教育観がカリキュラムに反映され、構成員の各人が、文化的差異を超え、独立した人間としての人格的出会いを経験します。"
 今の我々は本当に文化的な差異を乗り越えようとしているのでしょうか?実際のところ、我々は三鷹の森のIsolated Crazy Utopiaで、何者にも侵されないモラトリアムを満喫しているだけではないでしょうか?
 そこに僕は風穴を開けたい。学生同士が交流する場所が欲しい。学生と社会人が交流する場が欲しい。それはただの盛り場ではなく、知的な対話が楽しめる場、誰かの情熱に触れて知的好奇心が刺激される場でなければならない。そうしてICUの中にある、またICUと社会の間にある境界を越えてゆきたい。
 皆さんのご来店をお待ちしております。

ICU共同体の一体感の喪失・大学のムラ社会化と学外交流の欠如というこれらの問題意識を、今も変わらず我々は持ち続けています。

我々がこの度『イベントバー境界線』から『オープンハウス境界線』へと改名する理由は、3つあります。

①「教員-学生間の人格的な出会いの支援」の重視

『境界線』が社会に提供できる最大の価値は、「日ごろ教壇の上でしか見ないはずの、学問的な研鑽を何十年にもわたって積み重ねてきたICUの教授と若者が同じテーブルにつき、飲み食いながら学問や人生について語り合う」ことにあります。

学生同士の交流を主眼としたサードプレイスは、ICU以外の大学にも多くあります。しかし、イギリス・ドイツの大学周辺にあるパブのような、教授・理事を含めた教職員が日常的に出入りし、学生と交わりつつ飲み語らう場というのは私の知る限り日本に一つもありません。

現状において教員を招待することには困難が伴うものの、コロナ終息後を見通した事業目標の中核として「教員-学生間の人格的な出会いの支援」を我々は掲げます。そのために、ICU共同体の人々が出入りし、出会うとしての役割を強調しておきたい。

②お酒の場だけに限定されない、食事・交流の場への移行

イベントバー」という形態はそもそも自分のオリジナルではなく、えらいてんちょうこと矢内さんのアイディアをお借りして営業していました。このイベントバー形態で一定の成功を収めては居たものの、「バー」という名前から食事はできず、また必ずお酒を飲まなければいけないと思ってお越しになるお客様が多くいらっしゃることが問題でした。

そもそもお酒を大量にお召し上がり頂くことが主眼ではなく、教職員・学生が家にいるような感覚で・飲み食いしつつ・プライベートな対話をして頂くことが目的である以上、「お酒を飲まなければいけない」という不要なプレッシャーをお客様に与えることは本意ではありません。

このwithコロナの時期では食事に関して限定的なサービスとならざるを得ません。しかしコロナが終息した後になって、教授の家に遊びに行くような感覚で「お腹が空いたから今日はオープンハウスに行こう」と思って頂くために改名します。

③学外者へオープンな場であることの明確化

我々は、OBOG内での利益確定機関を作りたいわけではありません。そんな自己目的化した集団をつくるためにこの大学は作られたわけではありません。むしろ、思想・文化の異なる他者と綺麗事では済まない闘争スレスレの対話を経て、自己の卑小さに目を開かされ、それでも人世のままならなさと格闘してゆく力を若者たちが養い、そして戦後焦土と化した日本の未来をきり拓くために建てられたはずです。そのためには、学外を含む多様な他者との交流が不可欠です。

そもそも1946年に湯浅八郎(初代ICU学長)が取り組んだ大学構想の段階から、他大学との学生の交流及び学外者の成人教育はICUの重要なコンセプトの一つとなっています。ICUの建学理念に則り、オープンハウス境界線は学外の方を積極的に受け入れていきます。

結論-我々の最終目標は何なのか?

昨年の2019年10月22日に永眠された『小さな巨人』こと緒方貞子先生(日本人初の国連難民高等弁務官、元ICU助教授)は、NHKのあるインタビューの中で大学の任務についてこう論じています。

画像1

─ ─いま、若い人たちが、就職や仕事なども含めて生きづらさを感じ、将来 の展望も開けない人がかなり多いという状況ですが。

 非常に憂慮すべきことだと思います。若い人がそう思ってしまったら、つまり日本には先がない、ということになるのですから。幸いまだ、海外に出ていろいろやりたいという若い人や、青年海外協力隊など、日本の機関を通して国際的に働きたいという人はいます。だから、悲観的な方向にだけ進むとは私は信じていません。
 大学の任務というのは、若い人に元気をつけて世に出すことです。教育されるほうも、教育する先生たちも、相当に頑張っていただかないといけません。大学は若い人たちに明るい将来を与えるようにしていかなくては。  大学の意義づけというのを改めて考えるべきだと思います。

緒方 貞子.『共に生きるということ』

元気をなくした若者たちに、飯を食わせて、友人と話させ、自分の師となるような人間と出会わせ元気づけたい。そうして自己の卑小さを認識し、それにもかかわらず壁を破る強い信念を持ち、理想を達成するための高い能力を備えた若者を世に送り出したい。もし50年後にこの事業の成否を人々が計るとすれば、それは売り上げでも来客数でも呼んだゲストの知名度でもなく、『境界線』に集った若者たちがどれだけの変革をこの世界にもたらせたのか、その一点によってのみ評価されることでしょう。

そのために皆さんに協力して欲しいこと


12/1にオープンを予定していますが、人手が足りず現状はこの通りです。

画像2

上の写真が、こうなります(CG図)。

画像3

画像4

Bizjapanさんのデザイナーの方々にお手伝い頂き、かなり完成度の高いものが出来ました。これに装飾など細かい手を加えて完成となります。左の緑にはICUの植物のドライフラワーを飾り、ICUの自然豊かなキャンパスの学外への周知の場とします。

12/1のオープンのために、石膏ボードの貼り付け、ペンキ塗り、カウンター作成、換気扇の設置、掃除、とにかく人手が足りません。特にDIYの経験がなくともいい、少しでも境界線の理念に共感してくれる人は、授業の合間・放課後に立ち寄ってほしい。念のため僕に連絡をくれてもいいですし、アポなしでフラッと来てくださってもかまいません。

我々は明日から作業に入ります。10年後の境界線で、この店は自分も一緒になって作ったんだ、と後輩に自慢しませんか。我々がICUを変えたんだ、と言ってみませんか。



画像5


画像6

https://twitter.com/boundaryevent

Facebookページ

よろしければサポートお願いします。いただいたお金は世界の戦地や、貧困の現場を取材する資金にあてさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。