すべては自分だったのだ、ツインレイは――。

どういうことか。

ツインレイを突き進んできたところ、最終的にツインレイとは己のなかに存在しているものだったと気づく。
なんたることか、すべては内なるものによりすべてが構成されていたのである。
ユングはアニマアニムスは自分のなかに存在する異性性だと解いたが、たしかにそうだ。
私は自分の中に存在しているアニムスを追いかけていたのである。
それは夢の中にいる私と、現実に生きている私が別の存在ではなく、同一的な存在だったのだという確信である。
目覚めとは、それこそ『夢のなか』と『現実』の差に気づいていくことなのだ、と。
私たちは眠っている。というか、眠っている世界と起きている世界の意識と無意識の世界の違いすら気づかずにいたということ。

今、行き着いているツインレイの結論は、私は私を愛していた。
私は、彼という存在を通し、私の異性性を愛していたに過ぎないのである。

覚醒とは、自分の領域たる視点から脱出することだ。
自分の精神をひとつに統合するとき、私たちはもうひとつの世界を見つける。
私が構築していない世界である。
ツインレイとは、私の中にいた。また私はツインレイを知らない。投影していたからこそ、私は彼を知らない。
だからこそ、知りたいと思うんだろう。再会したいと思うんだろう。

この視点への到達点は、数えたところ6次元にある。
たぶん、次元を数えてみても、私たちの認識という視座そのものは6次元を超えることは無いと考えている。
そもそも私たちの意識は0次元から6次元の領域により生じているから、6次元への到達時にて、人の学習は終える。

ユング。
私は負けた、ユングに負けた_(:o」∠)_
この人はすごいと珍しく思える思想を残してくれた。ユング、しゅごい。

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