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ツインレイとしてこれからどう活動するのか。

実は、これから『ツインレイとして』どのように活動をしていくのかについてを今一度振り返って考えてみる。

正直なところ、今、ツインレイの彼に対しての強い執着もないし、今の自分としてどうやって生きていくのか——をちゃんとフラットな状態で考えられている。

それは、自分がどんなことをしてこの人生を生きていくのか。

ツインレイなんて関係がない。
ツインレイは一先ず後回し。
ツインレイを言い訳にしない。

これがツインレイの覚醒の段階で、ひとつ自立を迎えている感覚だ。

ゆえに、今、私自身の人生を送るにあたって、どうやって生きるのかが主体だったりする。

そのなかで、私のツインレイのメール相談は、ひとつの形なのかもしれないと思っている。

つまり、私はこれで『ツインレイとしての活動はメール相談』ということで着地点を見つけた。

これでいいじゃん! ってこと。wwww

そしてお金を受け取ることで、私のなかで経済の循環が生まれる。しばらくのテーマだった『お金を受け取ること』も順調に進んでいる。

いろんなブロックがあって、私のなかで「お金を受け取ることは悪いこと。」みたいな潜在意識の記憶もちゃんときれいさっぱり抜け落ちて、今はお金を受け取ることに対しての正当性も感じられている。

そういえば、前にこんな記事を書いていた。
ツインレイの経済的自立についてだ。

私は『一人暮らしをする』『仕事で成功を収める』っていう視点がツインレイの経済的自立や生活的自立ではないと考えています。

経済的自立とは、社会のルールや規則の本質を知ったうえでルールに則り社会的な束縛を卒業していくことであり、人間社会を克服していく社会的自立のひとつが経済的自立です。

ツインレイの経済的自立と起業

今、読み返して思うんだが。。。
普通にもうちょっと書き方ってあるやんな?www

この内容的に、私自身が言いたいことは、お金を稼いで独り暮らしすれば一人前ってわけじゃないし、ひとりで立派にいきることが経済的自立ではない——と。

もっとも重要なのは『社会的なルールをしっかりと理解したうえで、社会の束縛から解放されていくこと』が大事なんだ、と書いている。

つまり、社会的ルールっていうのは法律とかなんだが。そういう法律のもとに私たちは存在している。そんなふうに存在している私たちを先ずは肯定し、その法を肯定する。

先ずは肯定しなければ、次に議論を展開することは出来ないからだ。

社会的ルールを肯定し、実行する。だから私たちは社会のルールを守らなければならない。

そして、人を傷つけてはいけません。という道徳もしっかりと法律の基盤として存在している。理由は、秩序が守られるために——だ。

ツインレイって超絶真面目。
真面目だからこそ、身動きが取れない状態でもある。

人を傷つけているわけでもないのに、人を傷つけないようにして生きている。

そもそも、傷つけようともしていないのに、人を傷つけないようにしないといけないの? ってことなんだ。

こういう『人を傷つけないように気を付けている人たち』がツインレイたちで、そういう優しさがあるんだと思う。

だけど、そろそろ無駄な思考をやめようぜっていうことがツインレイなんだってことなんだよね。これが『自立』。

本質的な問題に気づき、無駄に教え込まれた思想を省いて、ありのままの自由に戻ること。

さて、話がそれてしまった。


これからどういう活動をツインレイとしていくのか——についてなんだが、私はこれ、随分と自由なことなんだろうなと思っている。

最終的に、私は経済に対しても循環をもたらすということなんだが、私はこの循環がなかった。

ほぼ無償。ぜんぶ無償。すべて無償で提供している。
これを、お金をいただくことで経済的な循環を生み出す必要性があるんだなと思った。

労働には対価が成立する。
んで、あたいは自分の好きなことやっているだけだったから、労働っていう感覚とかも小さい感覚で、よくわかっていなかったんだと思う。


ツインレイとしていかに生きるのか。
その回答は『経済的自立』ももちろんあるんだけど、ほかにも回答がある。

  • ツインレイとしての存在の私。

  • ツインレイではない私。

このふたつだ。

ツインレイ相談を受ける私は『ツインレイとしての私』だけど、それ以外にも私はアイデンティティを構築していく。

過去の自分も自分のひとつとして認めることが、ツインレイ相談を受ける私だ。

ツインレイの経験を経て最終的に『ツインレイとしていかに生きるか』の結論は、もうでた。

それも私の一部として肯定し、次に、ほかのツインレイではない部分の自分を徐々に肯定していきたいと思っている。

ツインレイとしていかに生きるか。
それは、ツインレイだった過去を如何にこれから活かすか——なのだなと思った。

それは自分の経験を如何に扱うのかは自由だし、ツインレイとしての期間の経験が多くの人のひとつの道しるべになればいいなとも思っている。


たぶん。
このツインレイの期間で、私は何も成さなかったわけではないんだなって感じ。
ちゃんとツインレイとして『ツインレイである』と自分を肯定し続けていた。
結果、実るものがあったなって感じ。その実りの収穫が出来ました。

ツインレイとしてこれからどう生きるのかではなく、ツインレイとしての経験をこれから如何に生かすのかに、切り替わってきたんだなって感じです。

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