「事務員G」になった日。

ある日、ネットを眺めていると一つの演奏動画に行き当たった。

6分割された画面の中で、馬のかぶりものをした男性が、いろいろな楽器を演奏している多重録音の動画だった。衝撃を受けて、それから一気に色んな動画をむさぼったと思う。

僕がその世界をまだ知らなかったこと、思いつきもしなかったアイデアのくせに、すでに他の人が実践していること。そしてなにより「なにか楽しいもの」を作るに当たって、誰かの許可がいらないという事実。悔しかった。

僕も同じものを作ってみたかったけど、映像を編集する技術が無かった。だから、家にあった楽器をピアノの周りに集めて、無理に同時演奏するという動画を撮った。「あの人はすごいけど、僕はこんなことしかできないんだ、笑ってよ!」と言うような気持ちだった。

動画を投稿したところ、なんの反応もない。「まぁこんなもんだよな」と寝たのだが、起きてもう一度動画を見たところ、すごい量のコメントがついていた。

小学校の時の友人が描いた漫画がある。「パワフルばーさん」というタイトルだった。田舎に暮らす老夫婦の話だ。このお婆さんはタイトルの通りパワフルで、農業用トラクターにジェットエンジンを積むような人だった。弱気な亭主である「パワフルじーさん」はその暴走をいつも止める役割。そんなキャラクターを思い出し、ネット上では(文字数の関係で)「ぱわじー」と名乗り、いつしか周りから「じーさん」と呼ばれ始め、動画投稿の際の名前も「G」だったのだ。

当時は、動画を作った人への質問も、返事も、動画の中のコメントで行われていた。なぜなら、その動画に紐付いた、投稿者のSNS的なアカウントが表示されないからだ。むしろ「動画を投稿した人は、実名を出さず、ひっそりとしているべき」という某ネット掲示板の風潮を引き継いだ世界だったため、動画を投稿しても「とある匿名人物によるお遊びということにしておいてね」という意識があった。つまり「誰なのかを明らかにしてはいけない」時代だったのだ。

そうでなければ、いま自分たちのやっていることは「音源をネットに流す行為」であり著作権違反にあたる。それがバレたら社会的にまずいことも分かっていた。今でこそ投稿サイトはたいてい著作権包括契約というのを結んでいるので顔を出せるようになったのだが、その当時はそういう背景もあったということ。当時の教育でも「ネット=危ない所」としていたのも、まだ法整備が追いついていなかったからというのも一要因かと思う。

今回の一連の記事ではこれ以上は言及しないが、何かの折に、更に深くお話をする機会があればその時に回したい。

飛び交うコメントの中に「お仕事は何を?」というものがあったので、例の通りコメントで「しがない事務員ですよ」と打ち込む。「そうかぁ じゃあ事務員Gなんだ」と言われ、名前が「事務員G」に決まった。自分の名前を自分で決めてはいけない時代だったのだ。その瞬間から今まで変えずに名乗っている。

実は事務員Gと名前が決まる前に別の呼び名になりそうだったのだが、他人のフリをしてコメントを誘導し、結果的に却下させた。それがもし成功していなかったら今頃「こんにちは、ねずみこぞうです」と話し始めなくてはいけなかったのだ。

しかしやはり”これ系”の話はあまり面白みがなく、noteに書くかどうかは迷ったのだが話の流れとして書いておかないと次につながらないのでしぶしぶ書いた。もう少し時代が進んだら「今につながる誰々」という話題で華やかにもなると思うのでしばしお待ちいただきたい。

かくして「事務員G」という名刺をもらった僕は、調子に乗って高頻度で動画を投稿した。一番驚いたのは前記事にて先述した、ゴムさんの動画を送ってきた友人である。「なんで自分で否定しておいたサイトのランキングにお前が居るんだよ」と言う怒りのメッセージはいまでも古いPCに保存されている。

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