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配役は”客B”。_とある中華料理屋での、僕のことです。

昨日書いた「タラコスパゲティ」の話。

僕がどれだけタラコスパゲティに対して特有の執着を持っているかはお分かり頂けたかと思う。しかし、あの文章を見てくださった方に変に誤解して頂きたくないのは、”この人は、至るところでああいうことを実践している、少々めんどくさい人なんだ”… と思われることである。違う。あれは「タラコスパゲティ」という目標があったからこその、比較的珍しい行動だったのだ。

タラコスパゲティの話で出てきたイタリアンレストランと同じく、歩いて2〜3分の所にとある中華料理屋さんがある。昨今の表現ではいわゆる”町中華”と定義されるような店で、赤い暖簾に「味自慢」などと書かれているような、何の変哲もない、どの商店街にも1つや2つ有るような店だ。

何か飛び抜けて美味しいメニューがあるわけでもないし、昔からの知り合いというわけでもない。行ったからといって食事以外の特別な体験ができるわけでもない。だが、「あえて今日は”そういう中華”だろ」と思う朝がときたま、やってくるのだ。

僕にとって「第一食を何にするか」というのはとても重要である。少食のため、朝は食べないし夜も少ない。お昼に食べるその”第一食”こそが、今日の食事の中における80%のウェイトを占めるわけだからなおさら。ともすれば、夜に続く仕事的なモチベーションの低下も招くわけで、選択の失敗は許されない。だからこそ朝起きたときのひらめきを大事にしたく、「今日は”そういう中華”」と決めたからには”そういう中華”が食べれるまで帰りたくないのだ。

この記事では僕が近所の”典型的な町中華”…いや、今回は文章の流れを良くするために「来々軒」とでもしておこう。そんな「来々軒」に行くときの心の持ちようについてお話しておきたいと思う。これは「タラコスパゲティ」のレストランとは、また考え方が違うのである。

さて。結論から言うと「来々軒」で食事するにあたり、大切なのは「いかに『客B』になるか」、なのだ。『客B』というのは、いわゆるドラマなどにおけるセリフの無い役者で、一般客のこと。なので、絶対に目立ってはいけない。奇抜な服装でもなければ、とくだん何かの主張をするわけでもない。主役の邪魔をしないように、目立たず、その場面の臨場感を陰ながら高めるのが与えられた仕事なのである。

では主役とは誰なのか。それは、店の厨房で玉のような汗をかいて鍋を振っているこの店の主人と、接客をしている奥さんとしておく。僕の目標は、この店で「いかに普通の客を演じ切るか」ということに尽きるのだ。それこそが、この「来々軒」での、ただしい「客」としての立ち振舞いなのだと(勝手に)思っている。気持ちを引き締める。それはまさに、この引戸を開いたところから始まるのだから。中ではすでに「町の中華料理屋」そのものが動いているのだし、自分のささいな失敗で撮影を中断させたりしないぞ、と。(なお、監督は伊丹十三氏のつもりなのでなおさら緊張する。)

いざ、引き戸を開く。よし、良い具合だ。7割くらい埋まった店内、適度に忙しい。「いらっしゃいませぇ」と奥さんが声高に言うと、客Bは無言でカウンターの端に近い方を選び、座る。真ん中はだめだ。そこはあとから近所のオヤジが来るのだから。このオヤジは馴染み客で、憧れの「セリフ持ち役者」である。そういう人のために、ここは空けておいたほうが良い。テーブルのほうが「眺め」は良いのだが、さすがに忙しい時間帯。4名座れるテーブルに一人の着席は画的(えてき)にも良くないし、店的にも効率が悪い。

すぐに奥さんがもう一度「いらっしゃいませぇ」と近づいてくる。「瓶ビールを」と言うと「はぁい」と言ってすかさず奥に「瓶ビールぅ!」と言う。いいテンポだ。「わざわざ”瓶”ビール」と注文しているのにはワケがある。以前「ビールを」と頼んだ時に、奥さんに「瓶ですか?生ですか?」と聞かれてしまい、”目立って”しまったからだ。

瓶の口元がアップになり、わざとらしく拡声された”スポッ”という音とともに王冠が飛ぶ。僕はこういうときの注文は「瓶ビール」に限ると思っている。この時間、昨日今日入ったような新人のアルバイトさん(夏休み中の高校生だろうか)が居たとしても瓶ビールなら迷わずに出せるので手早いこと、客単価を上げることでお店に対して「この場所でぜひ続けててくださいね」的な意味を送れるのではと自分だけで感じていられること、そして「ちょっとお酒飲んでますので注文は少し考えさせてほしいです」的なアピールになるからだ。…瓶ビールとともにタクアン2切れと小茄子の漬物が置かれる。

「さて…」と、声を発さずに店内を見渡す。しかし、これは儀式のような演技。注文はほぼ決まっている。「えぇと、餃子と…青椒肉絲の…えーと…」などとおぼつかない注文をして、店の流れを止めたくない。ここはシンプルに「日替わり定食」なのだ。多分、客Bにはそれがいいのだ。再度注文を取りに来た奥さんに「日替わり定食」と言うと即座に「はいランチぃー!」と奥に伝える。__素晴らしい。昭和、平成、令和とここにあり続ける歴史の中のどこかで、掛け声が「日替わり定食」から省略され、声も出しやすい「ランチぃ!」に変わったのだろう。そう省略するに値するだけの頻度で頼まれているフラッグシップ的なものを注文できた、この喜び。客B冥利に尽きる。

ここで「馴染み客のオヤジ(西田敏行)」がやはり現れる。ドアを開けたらすぐ脇にあるスポーツ紙を手に取り「暑いねー!ヒヒヒ」などと言いながらカウンターの真ん中に座る。さすがはセリフ持ち役者だ。「んー…天津麺。」「はい天津麺〜!」奥さんとのやりとりも場数が踏まれている。客Bごときには選べない天津麺を注文している。かっこいい。

「パチンコ屋の跡地、またマンションだってよ」「え?」「パチンコ屋の、跡地。マンションになるんだってよ」「あー」などという、換気扇下に居る店主の不毛な会話も良い。店主は尚も忙しそうだ。ここでもし「もうマンションいらねぇよなぁ?」とオヤジが僕の方を向いたとしても、これはただのアドリブなので、少し口角を上げて会釈をするくらいで良い。客Bふぜいにセリフは許されないのだ。

やがて目の前に日替わり定食が置かれる。今日は「麻婆茄子と半チャーハン」だ。追加で生ビールを頼む。かなりお店も落ち着いてきたので、多少手のかかる生ビールに行ってもよかろう。レンゲで、添えられたスープを一口飲んで温かみを感じた後、チャーハンを先に食べて…という采配は任されている。しかし何より大事なことは、普通に、それらしく、食べ終わることだ。

ふと見ると、あらかたの調理を終えた店主が出てきて客席の赤い椅子に座った。そして、つけっぱなしになっていたテレビのワイドショー(坂上忍が不機嫌そうにしている)を、客の顔色を伺うことなく変える。が、お目当ての番組は見つからなかったようだ。「育英勝った?」と店主が馴染み客に聞いている。甲子園の結果が気になるようだ。「もともと宮城の方なのだろうか」と思うが、僕は黙々と食べすすめるのみ。僕はこの、少しずつ店の様子が落ち着いてくる時間帯が好きなのだ。さぁ、僕もそろそろ帰ろう。

他の客が会計し終わるくらいのタイミングが良い。奥さんに無駄な移動を強いないためだ。伝票を出すと、人差し指一本でレジに打ち込んでいく奥さん。しかしレジは既に開いている。忙しい時間はそうしているのだろう。「はい、1850円ですね」と言いつつ、奥さんはすでにレジの小銭部分(100円のところ)に手を入れており「150円返す気、満々」のようなので、客Bはその期待に応えねばならない。1000円札2枚を出す。(ちなみに、一万円札は事前に崩しておいてある。)

客B、最後だけ少しだけエゴが出て「ごちそうさまでした!」と主張してみる。「あーりゃとうございゃした〜」と振り向く店主。「ありがとうございましたぁ〜」と言いながらすでに僕の居たところを片付けに向かっている奥さん。ドアを閉めても、もう少しだけ、撮影されている気になって家路につく。店先が固定で映っている画面から、何の未練も感じることなくフレームアウトしていく僕、客B。そして、エンドロール。僕の出番は終わった。

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こんなことを考えているのは「来々軒」で食事をするときだけだが、なんだかいつも、こういう気持ちで入ってしまう。(ちなみに、そういう遊び心が乏しくなるほどすさんでいる時期は行かない。)この意識が、いつか「孤独のグルメ」のエキストラになったときに経験として発揮できないものだろうか。今日も今から行っても良いな。あそこは年がら年中カメラが回ってる店なので。

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