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最後の授業は、ビールとともに。

僕のことをかわいがってくれた高校の頃の担任は、文学少年をそのまま大人にしたような国語の先生だった。丸メガネに中分けの髪、ヒゲを生やしていて、ループタイ(紐のネクタイ)をしている。温和な人で、小説家の宇野浩二の若い頃に似ている。

「しゃべり方に特徴があって…」という話を以前ネット放送で話した時に、リスナーから「枯葉先生」というアダ名が付いたので、今回も枯葉先生と呼ばせていただくことにする。なぜそういうアダ名が付いたかに関して、まずは話しておこう。

その先生は、よく授業から脱線する。クラスの一人に教科書を読ませた後、「いいかー」と口癖の前置きをして、こう言った。「この小説家、教科書にも載ってるくらいだし、君たちはさぞ立派な人だと思うだろ。それが全然違うんだ。生活は荒れていて、人に金を借りまくるわ、返さないわ、最悪なヤツだったんだ。」

「いいかー。僕もな、こうやって君たちの前で”先生”なんて呼ばれてるけど、そんな立派な人間じゃないんだよ。とっくに50も過ぎて、人間的な価値なんて全然ないんだ。その点、君たちはイイよ。未来がある。これからどうしていくかなんて、今から決めれば良いんだから。私はダメ。もうね、そのへんのゴミと一緒。排水口に詰まった枯れ葉。」とことん卑下していく話が逆に面白くて、よくモノマネさせてもらった。

僕は学生の頃から多少パソコン操作に強かったので、パソコンなど全く使えない先生に変わって「そういうたぐいの仕事」を代行していた。今となっては「あれって大丈夫だったのかな」と思うような事もあったが、まぁ、時効だろう。そして先生は(お礼がてらのつもりか)、学生の一人である僕をステーキ屋に連れていってくれて「なんでも好きなものを食べなさい」と言ってくれた。普通の「担任と生徒」とはちょっと違う、不思議な関係値だったと思う。

卒業後も些細なきっかけがあればたまに会ったし、個人的に頼まれて母校の音楽室にバンドライブをしに行ったこともあった。自分が作ったコンサートに来てくれたこともあったのだ。そういえば、あれはいつ頃だったか。「東京で飲もう」という話になり「どこまで伺えばよろしいですか?」と聞いたところ「せっかくだから神田を案内してやろう」と言われたことがある。いかにも”文学老年”の居そうなところだ。

関東大震災まで鉄道の中心でもあった万世橋駅はレンガ造りの駅舎を残しているのみで、東京駅にお株を奪われた後は見る影もなかったが、近年になってその一部がおしゃれなレストラン街に変わった。神田川から水路をひき、卸し売りで賑わった通りはやがてヤミ市から電気街へと変わり、メイドとオタクの町へと変わっていったのが秋葉原だそうな。(ちなみに、踊りの練習がよく行われている秋葉原公園は、その水路の、木材や舟を浮かべておく池だったと聞く。)

かつての戦火をまぬがれ、奇跡的に残った一帯がそのすぐ近くにある神田連雀町(現:神田淡路町)であり、いまも当時の町並みをところどころに残している。とりわけ、そば屋の「やぶそば」「まつや」、鳥すき焼きの「ぼたん」、あんこう鍋の「いせ源」などは今も営業を続けている老舗として有名だ。先生は会うなり「まずは、蕎麦をひっかけよう」と言った。

店内は少し薄暗く、手前がテーブル席、奥に座敷があったと思う。(「思う」と書いたのにはワケがあって、この数年後、この建物は火事でなくなってしまうのだ。今は新しい建物に変わったが、店内も明るくなり、きれいになった。消失前の店舗に行けたのは、僕にとってはこの一度だけであった。)

店の端を三角に切り取ったようなカウンターには着物姿の女将が居て、店内の注文をまとめて調理場に指示を出している。先生によると必聴なのはその掛け声であり、江戸時代から変わらぬ言葉でやりとりをしているのだ、と。聞いてみると、確かに。「いらっしゃ〜〜い〜〜〜」「ありがとうぞんじま〜〜す」と、語尾を伸ばした、まるで歌っているかのような掛け声だった。

20歳そこそこの僕はここで初めて「そば屋での飲み方」を教わった。「豆炭が仕込まれていて乾燥しない、焼き海苔専用の箱」を目にしたのも、横のテーブルに「ヌキ(天ぷらソバの”ソバ抜き”)」が運ばれていくのを見るのも、初めてだった。

焼き海苔と、板わさ、焼き味噌をつまみながら日本酒を飲む。そして最後に”せいろ”を頼んだところで先生は「こんな機会めったに無いんだから、今日はハシゴするぞ」と言った。次は、歩いてすぐの所にあるあんこう鍋の「いせ源」だ。

下足番のおじさんが居る。「下足番の方がいるときは、玄関で後ろ向きに靴を脱がない」というのは何かで知っていたので、そのようにした。たどたどしく「おねがいします」と言ったら、おじさんは「はいっ」と答えてくれた。

赤いテーブルに向かい合わせになって座る。真ん中には小さなコンロ。店員さんが作ってくれているあんこう鍋を見つめながら「きっと、変わってきたのはお客さんの服装くらいなもんなんだろうな」と思ったところで、瓶ビールを開けながら先生が話しだした。

「君だったんだなぁ、まさか。」

「え、なんですか?」

「いや、つまりね…」

「僕は教師になる前、とある小さな出版社で働いててね。そこの先輩がここに初めて連れてきてくれたんだ。そして、その時彼は僕にこう言ったんだ。『この先いつか、この店を教えたいって思う人が人生で現れたら、そいつをここに連れてきて、俺の思い出話をしろ。俺はその時、多分死んでるから。そんな未来に俺の話題が出るって面白いと思わないかい。』と。」

「今日、それを果たしてるわけだよ、僕は。」

「いいか、次は君が、この店を教えてやりたいやつを見つける番だ。その時、僕のことを思い出して、そいつに話してくれれば、僕は嬉しい。な。」



先生。僕はあれからずっと、色んな人に会いにいく人になりました。

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