全国47都道府県を制覇したい!(後編)

前編に引き続き、後編を書いておこうと思う。

47都道府県を制覇するために、イベントのあった愛媛県宇和島市から松山市に行きレンタカーを借りた僕は、大分県にフェリーで行き、更に四国に戻って高知県を目指し、いつの間にか酔い潰されてホテルで気がついたところで前篇が終わっていると思う。

「二日酔いが無い」というありがたい体を親から頂いていたおかげで、朝、パチッと目を覚ませば、たいてい昨日の酒は完全に抜けている。高知県のライブハウスにお礼を言いに行き(どうやってホテルを調べたのかは怖くて聞けなかった)、そのまま香川県に行った。途中「ひろめ市場」という高知県にある「酒飲みのためのフードコート」みたいな施設を見に行ったのだが、美味しそうなおつまみとお酒が目に毒で、そのまま居続けるとさらにもう1泊してしまいそうだったので早々に退散したのだ。

香川県は以前にも伺ったことがあるのだが、せっかくなので人気のうどん屋さんに行き腹ごなしをし、岡山県へ向かう。

「ボカロP一人の曲だけでコンサートを作りたい」と画策していた時期に知り合った40mP(よんじゅうめーとるぴー)とは、その頃すでにいくつかのイベントを作っていたこともあり懇意にしており、ある日の飲みの席で「全国を回ろうと思っている」旨も説明していた。「岡山県の40サンの実家行ってもいい?」と聞くと「行っても何もないスよ」と返してきた。実は、数々作り上げてきたコンサートには40さんのご両親も良く見に来てくれていたので、何かと会うタイミングがあると「近くに来たら寄ったらいい」と言ってくれていたのだ。

本人は確か出身地を「岡山県」としか公表していなかった…?かと思うので、今回は具体的な場所を言うのは差し控えるが、いくら言い回しを変えたとしても適する言葉が見つからないので率直に言う。大変な田舎だった。(40さん自身は都会生まれなのだが、その後引っ越しされた現在のご実家が、だ。)

大きなログハウスで、僕を暖かく迎え入れてくれたご両親は「今日は外で肉を焼こう」と、七輪をテラスに出し、庭で採れたという野菜を切って並べてくれている。「仕事を辞めて音楽でやってくって聞いた時は驚いた。じゃが、ワシも嬉しいけん、今楽しそうじゃけん。」友人の両親に友人不在で会うというのは何らかの条例違反をしている気がするが、親父さんのネイティブな方言と、パチパチと音を立てている炭の音とが渾然としている空間は、えも言われぬ旅情をかもしていた。

突然、40さんのお母さんが「アッ!」と言って僕の顔を見た。「どうしましたか!」と聞いたら「いつものクセで…」と。聞くと「いつもこうやってサツマイモを焼いてるけん…」と、七輪を指差す。お母さんがサツマイモを直接 炭の中に(アルミホイルなどで巻かず)くべていたのだが、それを外部から来た客(僕)の前でやってしまったことを申し訳なく思ったそうだ。僕は親父さんの話に夢中になっていたので気づかなかった。

「以前、これをとある子どもたちの為にやったら『そんな焼き方するなんて衛生上…!』と親御さんに怒られてしまったんよね…事務員さん都会っ子やけん…」いえいえ、全く気にしておりません。

「僕の実家は今は千葉県の房総半島の田舎町でして。こないだ東京生まれ東京育ちの歌い手さんを実家に連れて行ったら、母親が『はい、コレ、あんた割りなさい』と言って、そのへんから取ってきた大きな巻き貝とカナヅチを渡してテラスで割らせてたような親の子供なんで」と説明すると、とても安心してくれた。東京生まれの天月くんも、僕の実家に来て、親に貝を割らされることになるとは思っても居なかっただろう。

近所の合宿所のようなところに宿泊を取ってもらい、翌朝はそのまま島根県に向かい、出雲大社へ。高速道路が新しいからなのか走っていてとても気持ちが良い道だった。遠出をするということもあり、車も比較的上等な車を借りておいたので疲れること無く目的地に向かうことができる。最近できたというスタバを見て、一通り出雲大社を見学してから鳥取県へ。途中のとあるワイナリーにも行きたかったのだが、やはり車があるのでまたの機会とする。

鳥取の駅前のホテルを借りた。もうすでに日は落ちていたので、食事をしようと寿司屋を探した。

見知らぬ町に行くとき、僕はよく、寿司屋を探す。しかも、チェーン店ではない、商店街に良くあるような「あのたたずまい」の個人店である。おそらく、あなたの近くにも「あのたたずまい」の店を思いつくことができるであろう。趣味で作った手製の品(5円玉の亀や、折り紙で構成された球体など)が飾られている確率が高いのが特徴だ。

こういった寿司屋には必ず「常連客」というのが居る。顔を赤らめながらカウンターの端で股を開いているような客だ。どこかからエキストラとして常時派遣されているのではと思うほど、ほとんどの場合、居る。そして、そのエキストラじじいに、うまいところで話しかけ、大将も饒舌になったところで「その土地のさまざまな有益な情報」を聞き出すことができるから…というのが、僕がそういった寿司屋を選ぶ理由だ。このような際の寿司屋での立ち振舞いに関しては、一言も二言も話したいことが有るのでいずれかの機会のために取っておこうと思う。

次の日に、鳥取砂丘を見に行く。ネット上で散見する「一人でやるにはハードルが高い行動ランキング」にはおそらく無いだろうが、「鳥取砂丘を一人で登る」というものも項目の一つとして含めて頂きたいな、と思った。「きゃー」とか「わー」などの感嘆が周囲から聞こえる中、黙々とその景色を眺め、なにかを得心したかのごとくうなずいてまた山頂(馬の背と呼ばれる)から一人で降りていくのは、相当にレベルが高いものだ。だが「人生にしおりを付けること」が目標である今回の旅だ。だからこそ「鳥取砂丘にのぼる」という行為自体が欠かせぬものなので、致したにすぎない。これでいつか誰かに「鳥取行ったことある?」と聞かれても「うん、砂丘登ったよ〜」と笑顔で話を返せるのだから。

鳥取空港で車を返却したところ、パラパラと雨が降ってきた。当時、病的な雨男として名を馳せていた僕は「もしかしたら雨男脱却かな?」と思っていた。自分が企画したイベントは殆どの場合雨に降られ、一度洪水警報が出て中止になりかけたこともあったくらいだった。しかしそれ(雨男的なレベル)もだんだんに薄れてきていた時期。(その後の話をすると、僕の雨男伝説はその頃に終焉を迎えた。)とにかく、いろいろなところを回れて楽しかった。

「全国47都道府県を制覇したい!」というタイトルだが、実はこの島根県で制覇したわけでは無い。この頃まだ僕は「沖縄県」を残していたので、この話の終わりは「46都道府県」までとなってしまった。いずれの形でまた書きたいと思うので、ご容赦頂きたい。

降り始めの雨をもたらしている雨雲を突き抜けるように、僕は飛行機で鳥取から東京へと戻った。「次にこういう機会があったらどこに行こう…」と機内で、航空会社の冊子に付随している地図を眺めていたが、そんな「機会」がついに訪れたのは、その5年後の、今年(2019年)だ。次はこの「2019年バージョン」を回想したいと思う。


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