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深く潜っていく。

以前『呼吸と浮気』で少しふれた話「深く潜る」の続き。

よく成功した人などが成功体験として、「深く潜る」ことを話す。
また芸術家などが作品との向き合い方で、「深く潜る」ことを話す。

それを聞いた人、特に若い人は、その人たちに憧れて
  自分も同じように、深く潜ろうとする。
ひたむきで、一途で、純粋で、疑いを知らない人ほど、
  言葉を信じてしまう。

ただ、その人たちは深く潜ることだけはしていない。

時には、
  息が苦しくなって浮き上がり、水面から顔を出して大きく空気を吸う。
時には、
  深みに溺れている姿をみた人が引き上げる。
時には、
  一人では潜らず誰かと一緒に潜って、助け合いながら潜っていく。

もう一度潜るまで、呼吸を整え、体力を回復させる。
また、決して一人だけでは潜ろうとはしない。
より深く潜ろうとするなら、仲間とともに潜ろうとする。

前回よりも少し深いところまで潜って、限界を感じたら浮き上がる。
この繰り返しをして、深みの先にあるところに辿り着く。

「深く潜る」のは、たった一回だけでは決して辿り着かない。
ただ、そのことについては話さないから、結果だけ聞いてそれに憧れる。


成果が出ないのは努力が足りない、ということもよく聞く。

もっと努力を、もっと努力をしないといけないと思う。
努力していない自分を責めて、否定して、ひたすら結果を追い求める。

もっと深く、もっと深く。

この言葉を繰り返して、ひたすら真っ暗な光の届かない場所を目指す。
気づくと、深みという闇の中で溺れている。
一人ではもう浮き上がれないところで溺れている。

人によっては、その闇に取り込まれてしまう。
自分自身が心の闇を抱えてしまう。

そういう人たちを知っている。
助けられるのは、闇に取り込まれるまで。
闇に取り込まれると手を差し伸べても、その手を掴もうとしない。

できるのは、手を求めた時に手を差し伸べることだけ。

こういうことを書くと、薄情な人と思われるかもしれない。
なら実際に、その人たちと向き合えばわかるはずだ。

自分がどれほど無力であるかを、知るだけ。
できるのは、寄り添って相手が求めた時に手を差し伸べること。


私の知っている感性型の人たちは、バランスがいい。

拘りに対しては、本当に深くまで潜る。
いろいろな経験をしているので、うまく深くまで潜る。

拘りのないことに対しては、瞬発的に行動する。
みんなが準備を整えて歩き出した時には、別の関心毎に移動している。
だから、結構振り回された、始めの頃は。
慣れると、本気かどうかを図るバロメーターになる。

ただその人たちも、潜り方を知っている。
闇に取り込まれないように、潜る。
闇を感じたら、誰かに助けを求める。

そう、行ったり来たりできる。


この行ったり来たりできるようになったのは、40歳を過ぎてから。
二分法の西洋思考から、不二の東洋思想にふれてから。

もし、この行き来することができるようになれなかったら、
  きっと闇を抱えていたと思う。
そういう出来事がいろいろあった。
ただ、闇に取り込まれなかったのは、
  潜り方と浮き上がり方の両方を知ったから。

「囚われないように、潜る」

ちなみに私は金づちで、水恐怖症だ。

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