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( 思索の旅⑦ ) 変化を起こすのは、誰か

前回の「変化は、どこでどのようにして起こるのか」で、二つの変化(変容・変革)についてふれた。ふれながら、“変化についての疑問” がいくつか生まれた。問いに答えていく中で、“意識しないようにしていた問い(違和感)” が強く私に問いかけてきた。多くの問いに答えていくことで辿り着いた、“探し求めたイノベーションの答え” を最後に示したい。


変化についての疑問

イノベーションが「起こる」や「起きていく」と書き分けてきた。声に出して文章を読んでみると、音から入ってくる言葉から気になることがあった。

「変化は、起こすものなのか。」
「変化は、起きていくものなのか。」

似ているようで、意味は大きく異なる。「起こす」には意志が働くが、「起きていく」には意志は働かない。意志があるかないか、すなわち主語の違いがある。主語の “誰が” を考える前に、今までの文章からこの二つの動詞をどのように使ってきたかを考える。

「起こる」は、私の、相手の内側で起こる(働く)意識の変化で、東洋思想的なイノベーションの変容として使っていた。「起きていく」は、私の外側の相手に起きていく(働きかける)価値観の変化で、西洋思考的なイノベーションの変革として使っていた。変化のカタチ(変容・変革)によって、変化する人のどこ(内側・外側)によって、動詞を使い分けていた。

今までは変容について多く考えてきた。それは、西洋思考的なイノベーションに対する違和感があったから。違和感への反発から、そして大切だと思い好奇心のある東洋思想的なイノベーションの変容の大切さを知ってほしいから、今までは変容を中心に書いてきた。
変容と変革の両方の考えを深く知ることで、探し求めたイノベーションの答えが顕れてくる気がした。そこで、今まで深く考えてこなかった変革について考えていく。

意識しないようにしていた問い

「誰が、変化(変革)を起こすのか。」

今思えば、この問いこそがイノベーションへの違和感の始まりで、今までの思索の原点がこの問いに在る。思索の旅②「イノベーションという言葉があふれている」でもふれたが、よく耳にする「イノベーションを起こす」という言葉に違和感がある。この言葉には続きがあって、「イノベーション(変化)を起こして、社会を変える」と続く。この言葉からは強い意志を感じる一方、心をザワザワさせる違和感がある。

「 “社会を変える” のは誰か。私なのか誰なのか。」

主語を “私” にして、「 “私が” 変化を起こして、 “私が” 社会を変える」的に使われている。ここに強い違和感がある。相手をコントールして、私の都合のいいように相手を変えようとする意志を強く感じる。社会を変えるイノベーションは “変革” で、変革は起こすものではなく、起きていくもの。この “起きていく” には意志は働かないにもかかわらず、強い意志が、主語を “私” にすると感じてしまう。

私の外側の相手に私ができることは、変化することを相手に委ねること、促すことだけ。変化を起こすのは、“私が” ではなく、“相手が” である。

「 “私が” 変化を促して、“相手(社会)が” 社会を変える」

変化を促す “私” は、人(個人、経営者、起業家、学生など)や組織(会社やNPO、NGOなど)に行政などの個をさす。

探し求めたイノベーションの答え

「変化を起こす “相手” は、誰だろうか。」
「誰か特別な人や組織などが、変化を起こすのか。」
「誰でも、変化を起こすことができるのか。」

答えはすぐに顕れた。誰か特別の人ではない、誰でも起こすことができる。新たな価値観や世界観にふれた相手の内側で、意識に変化が起こる(変容)。変化を促された相手の意識が変わり、社会を変える行動をすることができる(変革)。自分自身を変えることもできれば、社会の一人として社会を変えることもできる。

私が考えるイノベーションのプロセスは、次のように最後なった。

注意 ⇒ 出会い ⇒ 気づき ⇒ 発見 ⇒ 発想 ⇒ 創造
              ↓       ↓
              変容       変革

私は、社会を変えることはできない。
 しかし私は、自分を変えることはできる。
私は、社会を変えることはできない。
 しかし私は、未来を創ることができる。

イノベーションとは、新たな価値観や世界観をみせて未来を創ること

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