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「何が幸せなのか、わからない」|ドラマ感想

これは、以前使っていたブログに当時観ていたドラマ『明日、ママがいない』から感じたことを投稿した文章。読み返して今も大切だと思い、色あせない言葉が散りばめられたドラマだったので、改めてnoteに投稿することに。

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『明日、ママがいない』の第3回も、前回同様に、子どもにとって “何が幸せなのか” を意識しながら観た。相関図はこちらに。

ドラマの設定などではやはり問題だと思うシーンがいろいろあったけれど、それについてはふれずに、言葉(台詞)を聴いての感想だけを綴ることに。

今回は2つの家族の話を通して、“子どもにとっての家族のつながり” を伝えたかったのかなと思った。

ある里親候補の家は、離婚を考えている両親と足をけがして車いす生活を送っている娘(アズサ)の家。広い家に両親はいなく、両親ともに仕事の関係先から別々にネットを通して、ポストちゃん(芦田愛菜)とオツボネ(大後寿々花)と会話をしていた。
その姿に、子どもたちは驚きを隠せない。そこには一般的な家族のつながりは見えてこない。ネットを通しての “仮想な家族のつながり” しか見えない。

アズサは、ポストちゃんと関わることで立つことができ、その姿をネット越しに両親に伝えた。本当は嬉しくなるその時に、両親から離婚を伝えられた。幸せと絶望を同時に感じたアズサの悲しみは計り知れなかった。

離婚によって家族が離れることになり深く傷つき、アズサは心通じた(姉妹と思えるようになった)ポストちゃんを探した。彼女にとって今唯一の“リアルな家族のつながり”はポストちゃんだったから。
ポストちゃんを見つけたときに、ポストちゃんとオツボネとの会話を聞き、アズサは“家族のつながり” を考え、自ら歩けないようになっていた。

もう一つの家族は、オツボネの本当の母親との関わり方。親によって目に傷を負ってしまい「コガモの家」にやってきたオツボネ。里親候補の家に行かずに、魔王(三上博史)に怒られ、戻った居場所が実家だった。

2人の子どもの視線から、家族とは何かとふと思った。“居場所” について、いろいろ考えた。

最後のポストちゃんとドンキちゃん(鈴木梨央)との会話が印象に残る。

「実の親がいても、寂しいと思う子どももいる」
「何が幸せなのか、わからない」

居場所を求めるのは、幸せになれる場所を探しているのかもしれない。
居場所づくりとは、幸せを感じる場所を創ることなのかもしれない。
子どもにとってそこが “家族” なのかもしれない。

2回観て感じたことは、このドラマは子どもの目線で描いているのかもしれないと。だから、大人の視線でみると、このドラマは問題に映るのかもしれない。うまく表現できないけれど、そうみると賛否両論についても納得できる部分がある。

最後にいろいろ問題視される魔王について。彼のふと子どもに見せる優しくかつ悲しげな目が気になる。三上博史の演技がうますぎるのかもしれないが、目の奥に潜む影が何かを知りたいと思った。

今回スポンサーのCMが放映されずに公共CMだけだったが、逆に見やすかった気がする。ドラマにすごく集中できたから。変に情報が入ってくると、集中できなくなる。余韻に浸ることすらできない。

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