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目の前の事実と、事実の奥にある真実。|ドラマ感想

これは、以前使っていたブログに当時観ていたドラマ『明日、ママがいない』から感じたことを投稿した文章。読み返して今も大切だと思い、色あせない言葉が散りばめられたドラマだったので、改めてnoteに投稿することに。

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『明日、ママがいない』の第8回は、“捨てられたくない子ども” と “居場所” がキーワードだった話。相関図はこちらに。

気になったシーンと台詞から、感じたことを綴っていく。

● ポストちゃんとオープニングシーン
ポストちゃん(芦田愛菜)は、先生夫婦の家にほぼ毎日通っている。オープニングが始まる前にポストちゃんは月に向かって、手を伸ばしてつぶやく。

「わたしの、ママ」

ママを、手の届かない月に例えているのだろうか。すごく意味深で今でもなぜかことのシーンが残っている。それと、ドラマのオープニングシーンで太陽に向かって伸ばす子どもの手とそっと握る優しい親の手。
何かを求めようとする子どもと、寄り添い手を差し伸べる大人との温かさを表現しようとしていることに、最後の最後になって気づいた。

● 叶と魔王
叶(木村文乃)は魔王に「どうしてコガモの家を始めようと思ったのか」と聞く。魔王は刑事として犯人と接する中で、“犯人の向こうにあるものが見えない” ことを言った。

「顔が浮かばない。愛する人の顔が浮かばない」

これは、事件を起こす前に愛する人を思い出せば思い留まるはずだという考えから。叶は魔王との対話で自分の質問の答えを言った。

「愛してくれた顔、決して裏切ることのできない顔を、子どものときにみつけてあげるために。」

● ドンキちゃんと子どもたち、ロッカー
ドンキちゃんが晩御飯を食べている時、突然お腹が痛くなり病院に行った。診断結果は胃が荒れていると。ロッカー(三浦翔平)に背負われながら園に帰るドンキちゃんを、ポストちゃん、ピア美ちゃん(桜田ひより)、ボンビちゃん(渡邉このみ)の3人が迎えた。一緒に帰りながら、ポストちゃんがドンキちゃんと対話し始めた。
ボンビちゃんは里親候補の家に行ってから、おかしくなったと告白。そして夫婦のことを悪く言わないでと頼み、それを聞いたポストちゃんが言った。

「好きになったから。大好きになったから。」
「だから不安になった。ママみたいに要らないと言われるのが怖くなって」

この対話から、ドンキちゃんの心のつかえがとれ、心の奥底からワンワン泣きだした。それを黙ってきく、子どもたちと背負うロッカーに温もりを感じた。心のつかえがとれたドンキちゃんには、元の優しさが戻った。

コガモの家の子どもたちは、何らかの理由で親から捨てられた子どもたち。必要とされたいと思う反面、また捨てられるかもしれないとの不安が共存している。大人でも相反する感情を誰もが持っていて苦しいのに、あの小さな体でそれを持つことはかなり苦しかったはず。

● ピア美ちゃんと父親
ピア美ちゃんが出場するピアノコンクールの話に変わる。演奏する直前に、ポストちゃんはピア美ちゃんに父親のことを伝える。

「予選の時も来ていて、今日も来ているだろう」
「娘(ピア美ちゃん)の夢を壊したくないから会わないだろう」
そして、「演奏を聞き終えたら・・・。」

演奏が終わろうとした瞬間、ピア美ちゃんは演奏を突然止めた。終わるともうパパに会えないと思ったから。演奏を聞き終えたらもう二度と娘とは会わないと決めていた姿を現さないパパに向かって、叫んだ。

「パパ、行かないで」

ピア美ちゃんはポストちゃんたちに、ピアノという夢よりもパパと一緒にいたいことを泣き叫びながら訴えた。魔王はピア美ちゃんの父親に、会場から出ることは父親でなくなると伝え、父親はドアの向こう側(二度と会わない)には行かず、ピア美ちゃんの名前(直美)を叫び、抱きしめた。強く抱きしめ合った。

「もう居なくなったりしないで」
「ずっと一緒だ」

● ドンキちゃんと、“実の” 母親と “真実の” 母親、そして3人のコウノトリ
魔王が妻と会っている間に、ドンキちゃんの“実の” 母親が園にドンキちゃんを迎えに来た。母親がドンキちゃんを連れて帰る事務手続きをしている間に、普段喋らないロッカーが里親候補の家に走って二人に頼んだ。

「一緒に来てください」

ドンキちゃん(真希)が実の母親と一緒に園を出ようとした瞬間、里親候補の夫妻が最後のお別れを告げに園に着いた。里親候補の母親がドンキちゃんの右手を両手で優しく握った。実の母親は帰るからとドンキちゃんの左手を強く握り歩き始めた。
里親候補の母親との手が離れたとき、ドンキちゃんは立ち止まり、さっきまで握ってもらっていた右手を見つめた。ポストちゃんが走ってきて、ドンキちゃんの言葉を代弁した。
すると、魔王が雨でぬかるんだ道に突然土下座をして、水たまりに頭をつけて、突然、コウノトリの話を始めた。セリフが長いのですべてではないですが、一部印象に残った言葉を紹介したい。

「私はコウノトリです」
「ときどき間違えてしまうことがあるんです。ときどき間違えて赤ちゃんを別の人のところに届けてしまうことがあるんです」
「そこで、あなた(ドンキちゃん)にもう一度本当のママを選び直してほしいんです」
「こんな(実の母)のが親ではありません。いっぱいの愛情をもって育てあげるのが本当の親(里親候補)なんです」
「事実の親と、真実の親は違うんです」

このセリフを聞いた後、叶も土下座をして想いを伝える。

「わたしはコウノトリです」
「どうかもう一度この子を届けるはずだった正しい親の元へ戻す機会をお与えください」

ロッカーも土下座した。相変わらず言葉は発しませんが、言いたいことが伝わってきた。この3人の大人が、何故ここまでコガモの家に想いをはせるのかがわかった。

ドンキちゃんは、“事実の” 母親の手を振りほどき、“真実の” 母親の胸に飛び込んだ。そして心から泣き叫び、“真実の” 父親も、“事実の” 母の悲しい叫びを聞かせないように優しく耳をふさいであげた。“事実の”母親も悲しく苦しく泣いた。

事実の母親は、あえて悪態をついて未練を断ち、書類を捨てて去って行った。最後に、館長に真実の母親は約束をした。

「大切に、大切に育てますから」

最後、魔王とポストちゃんが一緒になって歩く姿が何故か微笑ましくなった。まるで戦友が見えない明日に向かって立ち向かっている感じ。

始めに綴った「居場所」とは、子どもにとっての“真実の親の場所”だと思う。コドモの家は、“真実の” 親の元に、迷っている子どもたちを運ぶ場所という設定ではないだろうか。
きっと、魔王夫妻にお腹にコウノトリが届けた赤ちゃんの居場所を奪った自分を責めている、そんな気がした。

そして、何が事実で、何が真実なのかを、見極める目は大切だとドラマは語っている気がする。その見極める目のために、魔王と叶は厳しく接する。

最後のシーンを見ながら、このドラマは子どもを捨てた親を責めている訳でもなく、性善説の話でもなく、うまく表現できないけれど、誰が悪いとかを訴えたいのではないと思う。

最初の頃のバッシングは何だったのだろうか。そしてなぜ逆に評判がよくなったのか。これも実は、事実と真実の違いではないか。

起こった事実(放送内容)だけみて批判してきた人たちも、回を重ねるごとに真実(伝えたかったこと)を知って考えが変わったこと。今私たちが目にしていることは一つの事実。しかし事実の向こうにある真実に目を向けているだろうか。

そのような目を持つことが、子どもにも、そして社会にも大切だということを伝えたいのではないだろうか。

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