言葉の豊かさ、人生の豊かさ。
この数年、日本語が好きになった。
と書きながら、日本語以外の言語を話せるのかとなると、全く話せない。
英語すら、話せない。
日本語しか話せないが、日本語が好きになった。
関西人はなぜか、関西弁も話せると言ってしまうが。
日本語が好きになった理由は、間違いなくここ数年読ん本のおかげ。
心地よい言葉にふれたことが、何と言っても大きい。
日本語の何が好きなのか。
まずは、音。
同じ読み方なのに、いろいろな漢字がある。
音でイメージしても、漢字を思い浮かべると、意味が変わってくる。
いや、イメージそのものが変わり、違和感さえ覚える。
あと、漢字にするか、平仮名にするか、
それともカタカナにするか、でも違う。
カタカナは、概念を顕すときによく使う。
ひらがなは、あえて漢字にせずに、言葉を想像したいときによく使う。
日本語の音には、想像性が溢れている。
最近、特に好きなのは、漢字そのもの。
同じ読み方をする漢字を見比べて、
意味の違いに好奇心が異常に沸くようになった。
意味の違いから、漢字の象形に関心を持つようになった。
そう、なぜこの漢字なのか。
漢字と漢字の組み合わせから、
漢字の語源の意味を探っていくことで、
言葉が豊かになる気がする。
言葉が豊かになるとは、人生が豊かになることでもある。
今の世界は、言葉を大切にしていないようだ。
まるで、記号としか見ていないように。
いつしか、言葉狩りが、人を狩るようになった。
誰でも、言い間違いはある。
誰でも、感情的になって言ったりする。
言った本人が一番、冷静になって肩を落とす。
何でも許せ、とまでは言わない。
しかし、少し時間を待って様子をみればいい。
そんな急がなくても、人に寛容になればいい。
ほんの少しのことだけど、
ほんの少しのことだから難しいのかもしれない。
身近にある豊かさを感じれば、やさしくなれる。
一番身近にあるのが、私たちの言葉。
そう、日本語。
今さらだけど、もっと日本語を知りたくなった。
豊かさを感じたい。
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