VTuberの一人称からわかること

バーチャルYouTuber、またはVTuberと呼ばれる、「2Dもしくは3Dのキャラクターを画面上に映しそれに自分の声を吹き込み動画または生放送をYouTubeに投稿する」人たちは通常の生活では使わない一人称を使うキャラクターがたくさんいます。

 VTuberをどう認識して活動しているかにもよるのですが、「わたし」「俺」「ぼく」などを使うVTuberのほうがもしかすると希少かもしれません。日常ではまず見ない「吾輩」や「わらわ」、男性VTuberでありながら「わたし」を使うなど一人称で特徴を出す人もいます。ただ個人的な印象ですが、多いなと感じるのは自分自身の「名前」を一人称にしているVTuberです。

 「わたし」「俺」「ぼく」など普段と変わらない一人称で話すVTuberは基本的に生放送主である認識が強い可能性があります。ただVTuberを代表するキズナアイの一人称は「わたし」でありながらVTuberの模範となっているようにキャラクターである意識は高く感じます。ただこのような意識が高くありながら自分自身を「わたし」「俺」などと呼ぶVTuberは数少なく、基本的には前述したようにただの生放送主のように活動しているVTuberが多いです。

 「吾輩」「わらわ」、男性VTuberなのに「わたし」、女性VTuberなのに「僕」と呼ぶVTuberの場合、キズナアイ以上にキャラクターとしての意識が高いです。VTuberといえば2.5次元という簡単にいえばアニメとリアルの狭間の存在なのですが、このケースの場合は狭間ではありますがアニメ寄りといえます。人気VTuberですと猫宮ひなた(一人称"ぼく")がこれに該当します。

 個人的に注目しているというかVTuberとして一番最もだといえる一人称は自分自身の「名前」です。ミライアカリ、輝夜月、電脳少女シロなどいわゆるVTuber四天王がそれに該当します。自分自身の名前を一人称にするというのは安直に見えて効果が色々あり、1つは一つ前の段落で言った事と同じくキャラクターとしての意識があるという事です。もう1つは一人称を三人称のように自分を思わせられる効果があるという事です。個人的にこれは活動を続けていく上ですごく重要な効果であるといえると思っています。

 キャラクターを演じるという事は、自分の中にない言葉を発する事にもつながります。自分の中にない言葉を発するという事は自分を騙す事にもなります。例えばキャラクターは吹奏楽部に通っているのに自分自身が通ってないというのに「わたしは吹奏楽部に通っていて~」と言うのは自分の脳に嘘をついている事になるのです。ただこれをキャラクターの名前で「○○は吹奏楽部に通っていて~」と言えば脳に発言内容を他人として認識させられるわけです。なので活動を続けていけばいくほど自分自身を見失い、自分が何なのかわからなくなる可能性があるのです。

 なので、三人称にもなり得るキャラクターの名前を一人称にする事で、自分とはまた違うキャラクターにキャラ付けを行っていく中で自分を騙す事なくキャラクターとしてのみ発言させることができます。これができれば精神的に病む可能性は少なくなり、活動も長期的に行う事も可能となります。特にVTuberとしての設定と自分自身に差異が大きい場合は効果が大きいのではないでしょうか。

 もしVTuberをはじめる方がいればそのあたりを気をつけるようにしていただいて、VTuberを見て楽しむ場合も一人称に注目するとその人がVTuberをどう認識して活動しているのかわかるかと思います。

 VTuberの一人称についての考察は以上となります。最後まで読んでいただいた方、どうもありがとうございました。

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