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【11】エホバの証人(JW)3世として育てられた私の自省録-JW離脱後の楽しい大学生活編-

※今回はJW離脱後、主に大学で出会った人たちや私が経験したことについての番外編のような記事になります。

【エホバの証人(JW)3世として育てられた私の自省録】のマガジン記事を書き、公開してから社会情勢的にも私にも、大きな変化がありました。
私自身の大きな変化の一つとして、私がJWに関わっていたことを中学から大学に至るまで誰にも言っていなかったのですが、それを高校と大学関係の友人たちにTwitterでカミングアウトしたことがあります。

カミングアウトするか逡巡している際、私に対する態度を急変させたり、心無い言葉をかけてくる人がいるかもしれない、という一抹の不安もありました。
しかし、私が今まで出会って関係を築いてきた人たちはフラットな考えを持って私の記事を読んでくれるだろうという自信というか、信頼が圧倒的にあったのでカミングアウトすることとしました。

結果としては想像以上の反響をいただき、私の予想通り、誰からも私に対して直接的・間接的(エアリプ)で否定的な言葉をかけられることはありませんでした。
むしろカミングアウト後、私に対する同情や気遣い、誤字の指摘(これは本当にありがたかったです。今までだれからも指摘されたことなかったので)、私のことを慮る感想やお言葉を両手いっぱいでは抱えきれないほどいただきました。16の時に受験にぶつかり(私は早生まれ)、17の時に迷いながらも横国の南通のキャンパスゲートをくぐり、サークルに入って色々な人たちと知り合うことができてよかったと痛感しました。

金曜夜の集会にはじめて行かず関内二郎に行き先輩に奢ってもらったこと、野音で昼休みに酒を飲み3限をすっぽかしたり、横浜駅での飲み会後、ビブレ前で2次会を開いたこと、合宿、アニクラ、渉外(今は本物の障害となりそうですが笑)として他大学の色々な方たちと知り合い、おれパラや水樹奈々のライブを連番したこと等、大学時代の楽しく充足した時間を思い返し、かけがえのないきらめいた時間を過ごすことができたと日々懐かしんでいます。

少し話は変わりますが、私は"横浜国立大学"を一言で表すならば「朴訥」と表現します。その校風や属する学生の雰囲気、物事に対するとらえ方が私に合っていると感じており、改めてこの大学に入り、サークル関係の皆さまと出会えて非常によかったです。私と関わってくれた皆さん、本当にありがとうございます。

私は「幸せ」が何かわからず、大学3年の時に幸せについて皆さんに聞きまくり、自己内で考えた結果「幸せとは何か考えていない状態」が私の幸せであると定義付けました。
最近また別の方たちと幸せについて対話する機会があり、その中である方から「何かしらのコミュニティに属しそこで役割を果たすこと(正確に覚えていないので語弊があるかもしれません)」が幸せであるという意見を出していただきました。
その考えは私にとって全く新しい幸せに対する考えであり、その考えに則るならば私が大学生活で充足した生活を送ったことは幸せそのものだったのかもしれないと思い、再度自己内で幸せについて考えているところです。

本来ならば一人ひとりに直接お礼をすべきですがかなりの長文となりますので、大変恐縮ですがまとめてのお礼、私の想いを本記事で伝えさせていただくこととしました。
もしよければ、ちょうど年末ということもあり、年賀状に私の直接の想いやお礼をしたためお伝えしたいので、私から年賀状が来てもいいよ!という方はこっそりご住所・本名(オタクは垢名しか知らない!)を教えていただけますと幸いです。(年賀状のやり取りもJWでは禁止されていたので私がやりたいというエゴも若干混じっています笑)

最後になりますが、本記事、マガジンを読んでいただいた方ほんとうにありがとうございました。改めて心からお礼申し上げます。


ここまで読んでいただきありがとうございます。
今うつ状態でまともに頭が働いておらず、おそらく相当読みにくかったり、誤字・脱字があると思います。
間違いがあれば修正したいので、見つけた方はコメントしていただければ嬉しいです。


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