見出し画像

【2】エホバの証人(JW)3世として育てられた私の自省録-幼少期編-

ここからは、私の感情を交えつつ、私の人生に何が起こっていったか年代順で書いていこうと思います。

2001年(当時2~3歳) 
1.モンスターズインク
私の一番昔の記憶は今はもう無き近所のイオンで「モンスターズインク」を叔父・叔父の友人・私の3人で見に行ったことです。
おそらく母の里帰り出産中で、私は暇を持て余していたのでしょう。映画好きの叔父が人生初の映画に連れて行ってくれました。
リンゴの缶ジュースを自動販売機で買ってもらいました。背が届かないので抱っこしてボタンを押させてくれました。私はよくこぼすので案の定ジュースもこぼし、服の襟が濡れたことを覚えています。

2.弟誕生
次にある記憶は弟が生まれた時です。
祖父母宅から産院は近かったので、春うららかな日差しの中、祖母と二人手をつないで産院の待合室のような場所で生まれるのを待っていました。
その際、祖母が私に「無事に生まれるようにエホバに祈っておきなさい」と言ったのですが、私は"なんで生むのはお母さんなのにエホバに祈らないといけないんだろう"と心の中で思いました。
実際にその疑問を祖母にぶつけたかは記憶がないです。

※JW3世なのでもちろんJWの英才教育はみっちり施されており、集会と呼ばれる週3回(今は2回になっています)の聖書勉強会には欠かさず参加していました。
また、JWはご飯を食べる前に必ずエホバに食事ありがとうの祈りを捧げなければならないのですが、それもちゃんとやっていました。(やる意義はわからなかったが、やらないと怒られるので)

3.祖父との散歩
祖父は健康のために毎日散歩をしており、里帰り出産で預けられているとき、祖父と結構散歩に行っていました。
公園に行ったり、近くに飛行場があるので散歩中に戦闘機が上空を通ると轟音がとどろいたので、びっくりして耳をふさいだことを覚えています。
また、祖父は靴を履くのに靴ベラを使用しており、私のために子供用の靴ベラも買ってきてくれて靴を履く練習をしました。

4.出来なかった花火とチョコ
ある夏の日、親族で花火をしようということになり、祖父母宅へ親族が集合しました。あいにくその日の夜に雨が降り出し、花火は出来なくなってしまいました。花火が出来ないことに拗ねた私を上の叔父が近所の99ショップにっていってくれて、チョコを買ってもらったことを覚えています。


上記4つのエピソードは、福島での普段の日常と全く違う体験を神奈川でしたので強く記憶に残っているのだと思います。
小学校入学前で記憶に残っているのは、家で弟とプラレールで遊んだことくらいです。(弟の年齢を考えるとこれは小学校入学後の出来事であった可能性が高いです。)


ここまで読んでいただきありがとうございます。
今うつ状態でまともに頭が働いておらず、おそらく相当読みにくかったり、誤字・脱字があると思います。
間違いがあれば修正したいので、見つけた方はコメントしていただければ嬉しいです。
次は私の小学校時代のことを書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?