学士号の氾濫;営業妨害で済みません

  文科省の大学設置基準によれば、1991年の学部の学位の総数は29種類だった。これが大学設置自由化により3年後の1994年には250種類となり、更に3年後には348種類となっている。2000年には444種類、2004年に554種類で2014年を過ぎた頃には580種類と増える一方である。名称が多岐に亘るので全国の唯一の学位を出すところも国立で42%などとあるがここでは書かないこととする。

スクリーンショット 2022-04-11 14.06.28

 この表を見てほしい。国公立大学での学位は微弱な増加にすぎないことがわかる。新しい学位名称はほぼ私立大学によるものだ。

 考えてみよう。新しい学問分野がある日突然、突如現れる可能性はまずないだろう。過去の長い蓄積があって、侃々諤々の議論を経て、認知を得、長い長い審議を経て新設分野として認められるはずだ。学科の名称がいくら増えたとしても新しい学問分野が増えたわけではないはずなのに、夜の光に誘われ燃え死んてしまう虫のようになったら悔しくないだろうか。

 正体不明の学科専攻が多すぎる。「カルチュラル・マネージメント学」「人間環境マネージメント学」「情報アーキテクチャ学」など、新学問分野はほぼ横文字学科なのも特徴だ。横文字を用いなければ生き残れない学科なら早く潰したほうがいい。受験生のため、日本のため早く潰すべきだ。隣の韓国には「囲碁学科」「テコンド学科」[ミュージカル学科」があり、学問分野か?と首を傾げたくなるような専攻が多すぎる。「不動産学科」もあるかと思えば「契約学科」もある。もうおお手上げだ。「貿易学科」「行政学科」がむしろ古い方で、実務的なスキールの伝授に4年の座学が要るのか逆に憂慮してしまう。大学が高等教育を担う時代ではもはやない。今の(自分の)大学を見る限り「学生のスペックの向上」にはほぼ無関心で単なる商売に見える。いいすぎだろうか?僕も自分の発言が言い過ぎであることを切願している。先生という職業の人がいてかつてのような「師」は死んでいない。すでに絶滅種となって久しい。師を求める時代でもなくなって入るがそれにしても学生をバカにしすぎていると思う。自分の子供ならもっとマシなカリキュラムを作るだろう。作り方がわからなければ教えてもらう工夫でもするんじゃないかな。

 近い将来、韓国では「チヂミ学科」「キムチ学科」が新設なれる可能性もなくもない。「脱北学科」もいいな!そう思えて一人で苦笑いする。日本なら「道頓堀学科」「秋葉原学科」もいいな!違う!「どうでもいい学科」がいいな!違う、横文字でなければ!!!「ケセラセラ学科」でいかが?

 情報が氾濫するからこそ、不要な情報を選別し捨てる技術(識見)が必要だろう。自ら炎に飛び入ることがないように、懸命な判断ができるように自己武装することだ。自分を守るのは自分以外にあるはずもないから「縁の下の力持ち的な知見」を身につけたほうがいいのではないだろうか。「騙されない能力」がもっとも要求される時代となっている。あ!!!辛い!!

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?