フットボールにおけるチームワークの性質 山田大記
プロサッカー選手になり、3年目、6年目、9年目。
三度の降格を経験している。 オリンピックよりも頻繁に降格しているのは情けなく、悔しい。(そして、この規則性が恐ろしい)
残留争いに直面するといつも、チームワークの複雑性に苦しめられる。
今自分は味方に対して何を伝えるべきか?
何を持ってしてチームワークというのか?
チームはどうあるべきなのか?
刻々と悪化していく状況の中、そんな途方もない自問自答を繰り返すのは、とても難しく、そして苦しい。
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チームワークには、定説がある。
チームワークにおいて善とされるもの。
目標、信頼、敬意、心理的安全性、一体感、自主性、競争、情報共有。
これらを否定するつもりはないが、全てを獲得することは不可能だ。
入れ替わるメンバー、突きつけられる結果、変わりゆく状況、限られた時間。
何を選び、何を捨てるのか。選択を迫られ、その取捨選択が、光明にも命取りにもなる。
選択の基準になるのは、何か。ビジョンか。現実か。
ビジョンはあるのか。現実は見えているのか。
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平時のチームワークが、有事に機能するとは限らない。むしろ、平時に機能する組織と、有事に強い組織とでは、性質が異なる。
プロスポーツチームにおけるチームワークは、有事に問われるチームワークに近いのかもしれない。
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チームワークという概念が、選手にとって足枷になることもある。
選手のためにチームがあるわけでも、チームのために選手がいるわけでもない。それぞれの利害が一致し、一時期を共にする。しかしながら、その利害が長期間、一致し続けることは稀だ。
時間を共にすれば、チームワークの名のもとに、選手が犠牲になる瞬間は、多くのフットボーラーが経験している。両者は相容れない。
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チームワークが持ついくつかの側面を、箇条書き的に書き連ねてまいりました。チームワークといっても、様々な形と性質があります。
その中で今回は、「フットボールにおけるチームワークの性質」について議論を深めたいと思います。
3人のZISOメンバーが初登場いたします。是非ご覧ください。
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