意識と無意識 岩尾 憲

「プロサッカー選手になる」

僕は 6歳のある日、そう言い出したと記憶している。

言わずもがなだが、その夢を叶えるためには『できないことが、できるようになる』必要がある。

『できないことが、できるようになる』と『意識・無意識』には、因果関係にあるのではないだろうか?ということで、今回は意識と無意識について考えてみたい。

とはいえ、意識と無意識について考えてみると、それは常に身の回り(私生活)にも隠れていると思えてならないので、極端に深掘りしてしまうと迷路に迷い込んでしまいそうだ(笑)。だからここでは、僕のフットボールから意識と無意識について考えていこうと思う。

小学1年生のころ、ドリブルの練習で指導者が必ず言う言葉があった。

ボールは蹴るな、ボールは卵、卵が割れないように丁寧に押し出しなさい

今でも、僕のドリブルを説明する上で生きている言葉だ。フットボール人生の記憶を辿ると、ここが一番古い、意識をすることの始まりだったように思う。「ボールは押し出す!」とほぼ毎日頭で意識してやっていたドリブルが、気付いた時には、意識しなくてもできるようになっていた(ボールが足から離れない感覚、相手を抜ける、相手の逆を取れる)。それは忘却ではなく、確実に身体が覚えているという感覚だ。

振り返ると、僕は何かを上達したいと思った時、人よりも意識をしっかり持っていたと自負している。例えば、ランニングは呼吸やフォームを学び、それを意識して走るようにしていた。遠藤保仁選手を教材に、トラップはボールをなるべく見ずに良い所に止めることを、パスは強弱、角度、回転を意識した。これだけではなく、フットボールを始めてから今日まで、たくさんの『意識』をしたものだと、このnoteを書きながら思い出している。そして今はそのほとんどが、無意識でできるようになっている。

しかし、できているそれらは、完璧でも完成でもないということは確かだ。僕は今でも最高のパス・最悪のパスを追求し続けているし、そこに終わりがあるとはまったく思っていない。だとすると、無意識の上に、新しい意識を積み上げる必要があるのではないだろうか?

それは、指導者のアドバイスなのか、チームメイトの何気ない一言なのか、遠藤選手への観察なのか、YouTubeの何ちゃら講座なのかはわからないが、いずれにせよインプットは必要だろう。そしてこれだと思ったものを、意識してまた鍛練する。それがまた、無意識にできるようになる。その繰り返しが、自分のできることを増やしていくのではないだろうか?少なくともその繰り返しが、今の自分をつくったことは紛れもない事実だ。

『意識から始まりそれが無意識にできるようになる』ということは、言葉の聞こえも良く、何か大きなスキルを習得したかのようにも思えてくる。しかし、実際はあくまでも『そのごく一部が身に付いた』くらいのものなのではないだろうか?僕にはそんな気がしてならない(こうして考えてみると自分のしてきたことって・・・。と少し悲しくなる気もする(笑))。だが、それを放棄してしまったら、その先はないのだ。

だから僕は この先も学ぶ姿勢を貫き、意識を上積みすることでフットボールをアップデートしていきたいと思います。

ここまできて、ごく一部?と思うと、俺、伸びしろしかなくね?(笑)って思えてきた(笑)。

がんばろっと

岩尾 憲


本日 20:00〜

画像1



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?