語尾問題

 語尾は、大切だ。

 例え、どんな感動的な言葉を発しても、語尾が適切でなければすべてが台無しになる。

「彼が亡くなった今、私は、会社にとって彼の存在がどれほど大きかったのか……そして、私の人生において彼の存在がどれほど重要であったのかを噛みしめているんだよ~ん」

 追悼の場で「だよ~ん」という語尾はダメである。この場合は「噛みしめているのです」という語尾が正しい。ご注意いただきたい。

 そう言えば、ある人がTwitterのプロフィール欄にこんなことを書いていた。語尾に特徴があって、非常に興味深い文章である。

「パリの西端に住む朝日新聞の編集委員です。ヨーロッパ暮らしは5回計12年。欧州の世情や外から見た日本を書いております。ツイートのキホンは『くだらなくてもオリジナル』。写真がたくさん。気が緩むとクルマやグルメなどの趣味に走るよん。あれこれ含め個人の責任で本音をつぶやきますので、ヨロシクでごんす」

 いろいろ自慢が多い自己紹介文なのだが、さすがに「ちょっとイヤミかな」と思ったのだろう。「走るよん」や「ヨロシクでごんす」などの語尾で、自慢をごまかそうとしている。

「僕って、こう見えて結構お茶目なんですよ。頭も確かにあなた方よりはいいですけど、まあ、せいぜい東大と近大程度の差しかありませんよ(笑)」と言っているのだ。

 このように語尾は、照れ隠しや本音をかくす煙幕にも使える。いろいろ使い道のある高等技術だから、皆さんも習得しておくように。意外とおすすめなのは、「だっちゅ~の」である。どこかで使っていただきたい。

 ちなみに私の場合は、断言する語尾しか使わない。これは職業上の癖というやつだ。プレゼンテーションをこなす上で身についたノウハウである。自信のある語尾こそが、人を動かすのだ。

「以上、このプロジェクトにより御社の新型ゾウキン『どこでもキレイに拭ける君』は、売上倍増間違いなし……かもしれません」

 これでは、仕事がなくなるのである。

 だから私は、「かな?」とか「かも」とか「だったような」は決して使わない。私の辞書に「かもしれない」は存在しないのだ。

 今日も私は、まるでバカボンのパパのように、「なのだ」と断言し続けている。今日もすでに162回断言した。これでいいのだ。

 



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