静かに狂う

 時々バイトを雇うことがある。

 その一人に山根君という青年がいる。そこそこ偏差値の高い大学を出た、そこそこ優秀な青年だ。うちで二級建築士として実務経験を積みながら、一級建築士の合格を目指している。

 来てもらっている時は、いつも私が食事代を出している。昼は、近所のラーメン屋か定食屋。夜は、ちょっと高級なステーキ屋か寿司屋である。私が若い頃、建築事務所でバイトをしていた時、社長が飯を食わせてくれた。それを踏襲しているというわけだ。

 ある日、彼が「今夜はぼくがメシをおごりますよ」と言ってくれたことがあった。礼を言うと、「拾ったようなお金ですから」と言う。私は、彼がパチンコをやることを知っていたので、「ああ、大勝ちしたんだな」と思った。

 彼は、一番上等のステーキをおごってくれた。運ばれた食前酒を傾けながら、雑談をする。

「パチンコ、好調なのかね?」

「ええ、そこそこには。最近は、パチンコメーカーも容易に解析できないようにしていて、ちょっと苦戦していますが。社長も今度いっしょに行ってみませんか。今だったら社長の好きなエヴァンゲリオンもありますよ」

「う~ん」と私は首を横に振る。「パチンコという名前が気に入らないんだ。この私が、『チンコ』という名前の入った球技をやるというのは、美意識に反するのでね。せめてパティンコと改名してくれたらいいんだが」

「相変わらずですねぇ」

「ところで昨日は、10万くらい勝ったのかね? 美意識には反するが、それだけ勝てるならやってみたい気がするよ」

「えっ、いやあ、昨日は負けました」

「何だ、勝ったからおごってくれたんじゃないのか?」

「いや、言ったじゃないですか。拾ったようなお金だって。昨日家に帰る途中で、折りたたんだ札が落ちてましてね。拾ってみると3万円で。今日のおごりは、そのお金ですよ」

 私は、驚いた。

 いやいやいや、山根君。それは、言葉の使い方を間違っている。それは「拾ったようなお金」ではなく、「拾ったお金」ではないか。

 さらに私がショックを受けたのは、彼が拾ったお金を平気で使える人間であったこと、そして、それを他人に知られても平気なタイプの人間であったことだ。猫ばばするにしても、普通は秘密にするものではないのか。

 そう言えば、以前、チカンが趣味の連中がオフ会をやっているのをドキュメンタリーで見たことがある。自分がチカンだと他人に知られることに平気であるとは、なんというメンタリティーだと驚いたのを覚えている。

 目の前の山根君は、ごく普通の青年だ。だが、その内面には私には理解できない精神が宿っている。彼は、静かに狂っているのだ。

「山根君。おごってもらって苦情を言うのは心苦しいのだが、君のやった行為は、遺失物等横領罪になるのではないかね。100円くらいならまだわかるが、3万円はまずいのではないだろうか」

「まずいですかね」と山根君は、きょとんとした表情で言った。「子供の頃から、拾ったお金は使っていいんだと思ってました。『拾ったもの勝ち』っていうことわざ、なかったでしたっけ」

「ないな」

 注文していたステーキが運ばれてきた。自称松阪牛のステーキディナーである。音を立てて肉汁がはぜていた。ステーキソースは付いているが、塩とこしょうだけで十分にうまいステーキだ。

「社長、食べるのやめましょうか」と不安げな顔をして山根君が言った。一応、そうした感覚はあるらしい。

 私は、しばらく迷った末、首を横に振った。

「いや、食べよう。私は、今、猛烈に腹が減っている。腹が減っている時は、多少の違法は許されるんだ。食ってしまえば、遺失物等横領罪もなかったことになる。君も心配せずに食べたまえ」

「あ、そうなんですか。知りませんでした」

「昔から『食ったもの勝ち』と言うだろ。覚えておきたまえ。さあ、食べようか。3万円を落とした人に感謝するのを忘れるんじゃないぞ」

 私は、自称松阪牛のステーキの肉片を口に入れた。非常にうまかった。

「どこのどなたか存じませんが、とても美味しゅうございます。ありがとうございました」と私は心の中で礼を言った。





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