それはミシシッピアカミミガメである


 髪の毛は少ないが欲も少ない。

 こう書くと、ハゲのくせに善人ぶっていると思われるかもしれないが、欲が少ないのは善人でも何でもない。単に生命力が弱いだけだ。欲が少ないというのは、生物学的には欠点と言える。人生においても不利である。

 金が欲しいとなりふり構わず努力できる人が金持ちになれる。金メダルが欲しいと常識を越えた練習に耐えられる人が金メダリストになれる。金玉をでかくするために日々鍛錬できる人がタヌキになれる。

 まあ、こういう文章を書いていることから考えれば、少なくとも自己顕示欲はあるのだと思う。かろうじて自己顕示欲で生き延びているのが私だ。

 あと、人並みにあるのは、知識欲くらいだ。これは、最近身についてきた欲である。

 皆さんも同じだと思うのだが、これはパソコンによる検索の力が大きい。かつては、図書館に行って何時間もかけて調べていたものが、簡単にネットで調べられるのだ。知識欲を満足させるハードルが下がった、というか、なくなったのである。

 例えば、散歩をする。川に亀がいる。頭の横に赤い模様が付いている。

「ほお、頭の横が赤いなあ」と思うだけでは、物足りない。私はスマホを持っていないので、じっと見て対象物を記憶し、帰ってからGoogleで検索するのだ。たいていすぐに結果がでる。

「なるほど、ミシシッピアカミミガメと言うのか。遠くからご苦労様です。なにっ、1年中求愛や交尾を行うだと!? カメのくせになんというスケベエか。ミシシッピアカミミスケベエガメと改名した方がいいのではないか」

 そして、翌日の散歩では、「右前方45度俯角7度、ミシシッピアカミミガメ発見」と指差し確認するのである。「現在、交尾は行っておりません」

 名前を知り生態を知ることで、単なる風景の一部ではなくなるのだ。

 鳥やら花やら木の実やら、調べても調べても知らないものが現れる。さらに立ち寄った神社に興味がわき、今度は、地元の歴史を検索する。パソコンで調べられる大まかな歴史では満足できず、そのうち、年寄りに話を聞きに行ったりするようになる。

 フィールドワークが手近で手軽にできるという点で、自然科学と地元の歴史は、年寄りに適した学問である。

 子供の頃からこの知識欲があれば、成績優秀、今頃、高級官僚となり「ああ、山辺君、首相にお渡しするゴジラの資料は大丈夫かね」などと言いながら、メガネをクイッと持ち上げているはずなのだが。

 そのあたり、少し心残りである。



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