随筆4 雨の道程② 高速バスとカミュ

 さらにしばらくたって、ようやくバスが来た。時間は気にしないと決めていたから、時計はあえて見ない。昔は車酔いしやすかったから座る位置をいちいち気にかけていたが、最近では特に気にしていない。それよりも、三点式のシートベルトが今は気がかりだ。腰の一本のベルトだけでは、なんだか不安がある。それもあって、近頃は一番前の座席に座ることが多い。一番前で三点式のベルトを締めるのと後ろの席に座ることのどちらがより安全なのだろうか。文脈を考えれば、後ろの席に座ったほうが良いのだろうけれども。僕は車窓の眺めが好きなので、眺めの良い一番前の席に座る。大体、物事はこんな風に決めている。

 旅の道連れに持ってきたカミュの『異邦人』を開く。この前に僕は彼の『シーシュポスの神話』を少しばかり読んでいた。読んだ感触としては僕にはこちらのほうが合っている。あれは頭を休めたいときに読むべきものではなかった。物思いに耽る車窓には、短めの小説がよく似合う。

 アルジェリアの暑さは日本のそれとどう違うのだろう。『異邦人』の中には日の光の熱さに関わる記述が多い。明るさ、照り返し、人の額の汗。明白な記述ではないが、あちらこちらにちりばめられたこれらの描写が、否応なく暑さというものを連想させる。この小説のキーワードは太陽だ。キーワードといっても、深く考え込むような深みがあるわけではない。ただ重要な場面に於て、常に太陽の描写があるという程度だ。が、ある意味でこれは伏線でもある。

 バスから覗く車窓はどんよりとした曇り空で、アルジェの陽光を連想させるようなものはない。が、僕は同じ内容が、曇天でもかけるのではないかと思ってしまう。そんなことはないのに。ムルソーはバスでマランゴへ行った。それが全ての始まりである。いやその前から既にこの物語は始まっていたのかもしれないけれども。僕はバスに乗っている。これから先、どんな不条理が僕の目の前に現れるのだろうか。もう何かが始まっているのかもしれない。

 カミュが言う不条理というものを僕は完全に理解したわけではないけれども、『異邦人』と『シーシュポスの神話』双方を読んで、カミュが結局何を言いたかったのかは何となく感じ取れた。どちらでも、やはり同じことを問題にしているのだ。理性で割り切れない、けれどもどうにもその明晰な解決を求めるその狭間にあることをカミュは不条理と言ったようだ。その「不条理な」人生は、果たして生きるに値するか、これを問えと。

 大きすぎるのだ、この問題は、僕にとって。僕にはまだこれを考えるに足る足場がない。何者でもないからだ。何者でもない僕が何かを言ったところで、それは無名の誰かの結論でしかない。結局行きつく先は自分自身ということなのか。

 急に今の状況をノートに取りたくなってペンを取り出すが、書くことをやめる。それよりもなんだか酔いたい気分になっていた。移り気なことであるが、僕はこの先の道程を思い浮かべる。バスは東京駅行きだが、途中の浅草で降りれば、神谷バーがある。電気ブランを一杯ひっかけたい気分だった。

『異邦人』は第一部を読み終えたところでいったん閉じる。続きはバーで酒を飲みながら読もう。そう思い、僕は暫しのまどろみに身を投じた。バスはちょうど三郷を過ぎたあたりだった。

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貝音 尚

人類学専攻の大学生。身辺雑記を中心に随筆を主に書いています。
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