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薔薇とエメラルド

※以前なにかの折にInstagramに書いた文章です。保存を兼ねてお引越し。最後の方にあった電話の件はおかげさまでいまは解決してます。

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わたしは、自分が薔薇とエメラルドの季節に生まれたことを気に入っています。
冬の景色に色がつきはじめ、枯れた野山に若葉が芽吹いて野の花が咲くことに感動しているあいだに、気づけばこの季節はやってきます。

生まれたことの意味を、とくに重要に捉えたことはありません。わたしはおそらく、なにかの偶然でここにいるのだと思っています。

ですが、死ぬことの意味を考えたことは何度かあります。
生まれることは選べないけれど、死ぬことは選べると思っていたからです。
一番最初にそのことを考えたのは11の時でした。
毎日が苦しくて、どうやったら生きていかなくて済むだろうと考えましたが、子どもの想像の範囲では、なんだか痛そうな方法しか思い浮かびませんでした。
そこで、その選択肢はなしだなと思いました。
いまがこんなに理不尽で苦しいのに、人生の最後までなぜ苦しい思いをしなくてはいけないのか、納得がいきませんでした。
それなら楽になる方法のほうを考えるべきだと思い、今日までなんとかやっています。
この時の思考の転換は、われながらでかしたと思っています。
大変に理性的です。

そこからは、さまざまな本を読みました。
さまざまなことを思考しました。
人とたくさん話しました。
なぜ自分の世界は「こう」なのか。その答えをひたすら求めて、周囲が呆れられるくらい考えました。

喉から手が出るほど、という言い方がありますが、わたしがそのくらい心底欲しかったのは、「わたしの世界の秘密」です。

秘密はジグソーパズルのようでした。
無限に思える数のピースが欠けた、巨大なパズルです。
考えれば考えるほど、読めば読むほど、話せば話すほど、ピースは埋まってゆきました。興奮しました。
実際、わたしはジグソーパズルが好きで、子供の頃は5000ピースの星空のパズルを夢中になって遊んでいましたから。

やがて、わたしの世界という名の歯抜けのパズルは、そのあまりの大きさに、一生のうちに完成しない可能性がある、ということを悟りました。
このことに気づいた時は絶望しました。

わたしはなんの根拠もなく、死ぬまでにはわたしの世界の秘密が、一つのピースの欠けなくすべて見渡せる、と思い込んでいたからです。

絶望は長くは続きませんでした。
その頃には、わたしはそのパズルのピースを嵌めることに夢中になっていて、もはや生き甲斐のようでした。
やめることは出来ませんでしたので、せめて一つでも多く嵌められるところを嵌めようと思い直しました。
パズルのピースは、一つ嵌めるごとにわたしの心が癒されます。
そのことは、わたしが生きていく上で決して無駄にはならないと信じていました。

今夜、一本の電話が来ました。
電話を切ったあと、わたしはひさびさに自分の人生をかえりみました。
徒労だな、と思いました。
これまでに嵌めたピースの場所が全部間違っていたかのような居心地の悪さです。
ひさびさに泣きました。
ひとつひとつコツコツと大切に進めていたはずのパズルが、急に価値のないもののように思えました。

いまは気持ちを取り直して、あせらずなんとかやっていくしかないと思っています。
生きるのって大変です。
やっと少し苦しいことから逃れられたと思った頃にはまた、その原因が追いついてくるという感じです。

それでも5月の薔薇は美しいし、エメラルドの緑は神秘です。
曇り空の遠く向こう側には銀河があるし、すべての生き物はやがて、星の最期に巻き込まれ塵になるのでしょう。
その巨きな営みのことを思えば、明日もまた世界の秘密を最期まで少しでも多く知ろうと、パズルのピースを嵌めることを続ける気持ちになれます。

まあまあ、明日もやってゆきましょ。
苦しいけど、わたしはもうひとりではないですから。

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