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コレクション番号① 天秤座蝶々の標本レプリカとマノン・マルタンの肖像

〝天秤座蝶々〟という言葉を初めて耳にしたのは、もうずいぶんと昔のことである。心理学者のL・クリェイエフ博士が偶然その蝶を発見した。野や森に棲息している蝶ではない。彼らは少女の体内に棲んでいる。少女の唇から憂鬱なため息と一緒に飛びでてくる、謎の蝶なのだ。

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一部では天秤蝶ともよばれ、こちらのほうがむしろ耳馴染みがよいというひともいる。ただし、この呼び名は誤称である。クリェイエフ博士の死後に、なぜか急速に世間に広まった。正しい名称は、天秤座蝶々(Libran's butterfly)である。一番最初にため息とともにこの蝶を吐き出した少女が10月22日生まれであったことがその命名の由来だと、博士が自身の回顧録『菫色のため息』に記していた。稀に、蝶と一緒にほかのものが出てくることもあり、こちらは単に〝オブジェクト〟と呼ばれる。
誤った呼称の原因には諸説あるが、もっとも有名なものとしては『ため息というものは心のバランスを失した時に出がちなもの。ゆえに、蝶は心の均衡をつかさどる天秤がわけあって傾いた時、その重いほうの皿から飛び立った少女の苦悩なのである』という説。うつろいやすい少女の精神と天秤というモチーフに共通するイメージが混同され、現代まで根強く残ったものと思われる。

回顧録によると、蝶々を研究材料として保存することは容易ではなかったようだ。それらは外の世界に出るとものの数分で明瞭な形をうしなってしまうし、半分実体がないようなものらしく、既出の方法ではその姿を留めることができない。
博士が出会ったある少女は、悩みごとが人一倍多かったようだ。博士の目の前で彼女はたくさんの蝶を生み、おかげで彼は少女の話を聞きながら、さまざまな方法を試してみることができた。はじめは、ただ壜にとじこめてみた。けれど、翌日になると壜の中身は空だった。次は昆虫用の木箱。硝子ケース、水の中……。数えきれないほどの失敗の末、彼はついに蝶々をはじめとするさまざまな少女の吐出物を標本とすることに成功した。その手法はキャンディシラップ法と名づけられた。
手順としてはまず、澱粉由来の粘液状甘味料(いわゆる水あめ)を少量、標本箱の中に塗布しておく。蝶があめに引きつけられ、あっというまに箱の中に入る。そうしたところですかさず残りの水あめを蝶の周囲に流し込み閉じ込める、という単純な方法だ。ほかの本でも少し調べてみたが、蝶の保管法はこの方法以外にはあまり確立されていないらしい。もともと天秤座蝶々を採取すること自体が非常に難しいため、それも致し方ないといえよう。ちなみに水あめは博士の好物で、研究室にはモズリー&スペンサーの小壜(当時の定番だったようだ)がいつも欠かさず備えてあった。

さて、今回ご紹介するコレクションは、天秤座蝶々の発見のきっかけとなった16歳の少女、マノン・V・マルタンの肖像画と、彼女のため息蝶々の標本──どちらもそのミニチュアレプリカ、要はおもちゃだ。流行りに乗ったどこかの会社が当時作ったのだろう。日曜の蚤の市で、それは古い紙箱に入って売られており、買い求めた時はこれがいったいどういう物語をもった品であるのか、すぐに思い出すことができなかった。その懐古趣味的な雰囲気と、出来の良さ、手の中に収まるサイズなどに惹かれただけだ。

自分の本棚に、以前買い求めた『菫色のため息』があることを思い出したのは、それからしばらく経ってのことだった。読み返してから、あらためてこのささやかな品物をみる。蝶の下に敷かれた用紙が博士の書きかけの手紙であるところといい、マノン・V嬢の緑がかった薄青い瞳といい、回顧録の記述に非常に忠実な出来栄えだ。手紙の派手なコーヒーの染みは、すばしこい蝶を捕らえるのに夢中でテーブルの上にあったカップをうっかり倒してしまった、と本にはあった。

水あめのなかに閉じ込められた天秤座蝶々たちは、長くても半年ほどで消えてしまったらしい。この特殊な蝶を少女たちから引き出せる人間もまた稀で、博士の引退後、天秤座蝶々の研究は徐々に廃れていった。

ほんもののため息蝶々は、遠い昔に失われてしまっている。そのことに想いを馳せると、このたあいない小さな代物にも、なにがしかの価値があるような気がしてくる。蝶の横に並んでいる三色菫はオブジェクトである。キャプションには、「誰かに貰った菫の押し花」とある。マノン・V嬢は当時、みずからの内面から生まれたばかりのこの花を見て、「とても大切だったのに思い出せない」とつぶやき、またあらたな美しいため息をついたそうだ。

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