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素顔を見るということ

きっかけは先日、自宅にて素顔で過ごしていたときに、言われた一言でした。

「クマがひどいね」

1年のうち360日以上はメイクをします。家から一歩も出ない日もそうです。それは、鏡に映る自分の顔がきれいである方が気分がいいから。

ただその日は繁忙期のさなかの1日だけの休日。ひどく疲労が溜まっていて、起き上がることもつらく、夜になってようやく活動を始められたような有様でした。

クマがひどいと言われたことが印象深かったのは、その日はそう言われるまで、自分がひどい顔をしていると気付いていなかったからでした。
言われてみて、改めてしげしげと鏡を覗いてみれば、くすみきった肌の色に、目の下の澱んだクマが一層の影を落としています。

こんな疲れ切って衰えた顔色をしていることに、自分で気が付かなかったなんて……。
そう思ったとき、私が普段、いかに自分の素顔を見ていないか、気付くことになりました。

肌の色は? きめの印象は? なめらかさは? 血色はあるか? むくみは? 目はよく開くか? しみの濃さは? 毛穴の状態は? ………………

観察してみることが、自分の身体のコンディションを認識する手段の一つになるはずです。現状を認識できれば、改善の手を打つことにも繋がります。
そうした情報、身体が発するシグナルを全く無視して過ごしていました。

仕事の日は何とか起き上がって、その日の顔の状態を意識して確認する間もなく、すぐにお化粧で覆い隠していました。コンディションについて感じることがあるとすれば、「今日は下地ののりが悪い」くらい……。
そのこと自体もまずいと思いましたが、メイクをせずに過ごした日さえ、自分の状態が見えていなかった自分に驚きました。

これはだめだな、と思いました。忙しいとはいえ、あまりにも自己の状態に目を向けていなかったことを反省しました。
メイクで隠して「きれいに見せる」前に、ベースの素肌、そしてそれを作る身体全体の状態を良くすることを、もっと考えるべきなのでは、という当たり前のことを痛感しました。

このことに気付いてから、ひとつ考え方が変わった部分があります。
疲れてひどい顔色をした自分を見るとき、心底嫌な気持ちになったものでした。そんな自分を見たくないから、リップやチークで赤みを足してみたり、クマを隠してみたりしていたわけです。
自分の、自身への観察不足を認識してからは、「無茶をする自分に頑張ってついてこようとしてくれている体への感謝」をおぼえるようになりました。

自分自身と肉体は別個のものではないという思いもありつつ、一方で精神が身体を動かしていると考えると、「無理を強いても文句ひとつ言わずに働こうとしてくれる」という肉体への認識が生まれてきます。

そうなると、鏡の中のくすんだ肌を見ても、「こんなふうになってまで一生懸命ついてきてくれてありがとう」と感じられます。

これは些細なことに見えて、私には大きな変化でした。
メイクをする時の、「こんな顔を視界に入れたくない。だから隠す」という動機が少し薄れて、「疲労でどうしようもない顔になってはいるけど、まあそれはそれ」と思えるようになったことで、なぜかお化粧をして仕上がった顔を見たときの晴れやかな気持ちが強くなったのです。

この心境の変化はうまく説明できません。
ただ、「ひどい顔を隠したいからメイクする」のではなく、「もっときれいになりたいからメイクする」ことの楽しさを少し思い出せたような感覚があります。

トーンアップさせてくれる下地、色むらをぼかしてくれる下地を塗り、目の下のクマを光で飛ばしてくれるコンシーラーと、しみをよく隠してくれるコンシーラーを塗って、アイメイク、シェーディングとハイライトを施し、それからくすみ知らずの大好きなパウダーをはたいて、チークとリップを載せて……

出来上がった「幸せそう」で「元気そう」な顏を見て、いつもよりずっと嬉しく感じています。

この感覚を忘れたくないと思って、文章に残してみました。

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