石曽根記事_オンラインvsオフライン

抽象思考の本質

目的と動機

この記事では「具体と抽象を、対立概念としてではなく、階層が異なるだけで共存しているものとして認識し、両者の良さを認識した上で、多くの人が苦手とする抽象思考の基本を理解する。」というテーマを扱っている。

記事を作成した目的は以下の通り。
1. 自分自身の思考整理のため(今の自分のため)
2. 自身の成長過程を説明可能にする(未来の自分のため)
3. 他者の思考力強化にも使える(今・未来の他者のため)

この文章を書こうと思ったきっかけは、このところ粒度を上げて考えることや、業務全体を俯瞰する必要に迫られる機会が多いことに加えて、上長との振り返りの際に、抽象的な思考能力の向上を課題として上げられることが多くなったためである。


具体思考と抽象思考のイメージを掴む

まず最初に、具体思考と抽象思考に対する認識をそろえることにする。私自身、具体と抽象を完全に理解しているわけではないため、厳密な定義はできない。けれども、具体と抽象について
の話をしていく上で、私と読者の方々が似たようなイメージを共有できていることは重要であるため、少し時間をかけてイメージを共有していく。

実は2019年3月末くらいから2か月弱にわたり、SNSを中心に情報を発信を行ってきたが、その際にコンテンツを意図的に具体的なものと抽象的なものの両極端に分けていた。その振り返りをもとに「具体は善で、抽象は悪というステレオタイプを認識する」ところから始めていく。

SNSでの発信を振り返ってみると、具体的で分かりやすい内容の記事(要点を「5選」などのように明快な数にまとめる、体験談をありありと紹介する…etc)はウケが良い一方で、抽象的で分かりにくい内容の記事(複数の概念同士の共通項を見つけることでさらに抽象的な概念へと思考を深める、数学の概念などを用いた内容で簡単に現実世界へ応用できない)はウケないことがよく分かった。
かつて『具体と抽象』という本を読んだ際にも「現代ではわかりやすいコンテンツが人気になりがち」という内容を目にしたことがある。自ら情報発信を行うという実験をもとに、生きた感覚としてそのことを理解した。

ほとんどの人は具体例を使ってものごとを理解するため、最初から具体的な話を持ち出された方が理解しやすいというのは容易に想像できる。
確かに、コンテンツのわかりやすさ(=具体性)とコンテンツの人気とは、切っても切り離せない存在になっている。最近の例だと西野亮廣さんの発信するコンテンツはわかりやすく、大衆をターゲットにしていることがよく分かる。

その一方で、抽象的なコンテンツを発信している人は好き嫌いが大きく分かれるという印象がある。抽象的な概念を発信している人の例としてはメタップスの佐藤航陽さんが挙げられる。西野さんの発信するコンテンツと比較して、決して万人ウケする内容ではないと感じるが、個人的に楽しんでいる。

お二人の発信するコンテンツの違いは、ご覧いただければ明らかだろう。一般的には、佐藤さんの概念的なお話を読むだけの思考力ないしは粘り強さを持ち合わせている人は少ないだろう。その結果として、抽象的な思考に対して一般的には「何を言っているのかよくわからないから敬遠する」「どうせかっこつけてそれっぽい話をしているだけで大した内容ではないのだろう」などといった印象を抱く人が多い。これが先程述べた「具体は善で、抽象は悪というステレオタイプ」である。

これに対しては、「目的と動機」の部分で述べた通り、本質的には具体と抽象は、どちらが良いという概念ではなく、あくまで階層的なものであるため、単純な善悪に分類できるものではないことを認識していただきたい。
私見を述べると、具体的な話から抽象概念を発見すること、もしくは抽象的な話から具体例を考えてみることが肝要であると感じる機会は非常に多い。特に、社会に対して大きなインパクトを与えたいと思うのであれば、抽象思考は必須の能力といえるだろう。その理由についてはこの記事を最後まで読んでいただければご理解いただけるはずである。

とはいえ、一般人には抽象思考は受け入れがたいのも事実である。
実際に、そこらの人間が大きなビジョンを示したところで「どうせお前にはできない」だとか「そんなものは理想論だろう」と言われるのは目に見えている。
偉大なる芸術家・思想家・学者に、生前は一般的な理解を得られずに不業の死を遂げた人物が多いのはそのような理由だ。現代でこそ、彼らは教科書などで取り上げられて偉大な人物として認識されているものの、当時の一般の人々からすれば彼らは「いかがわしい奴」にしか見えなかっただろう。
この記事を読んでくださった方が、そういった「いかがわしい奴」に対する見方を少しでも改めてくれれば幸いである。

具体的なものごとは多くの人が理解できるということは、抽象思考を使いこなすことで「一を聞いて十を知る」人物として、多くの人との差がつく。頭の回転が速い人は、先天的なものか後天的なものかはさておき、このような具体化と抽象化を高速で行える。

ここまでの内容を噛み砕いていただければ、具体と抽象についてフェアな見方ができるはずである。この先では具体思考と抽象思考について個別に考えを深めていく。(最初から2つを分けて説明すると対立概念として捉えられる恐れがあったため、最初は一緒に説明した。)
この先、思考という抽象的なものを説明するにあたって、可能な限り内容を具体的にしている。これは私自身の思考を記録するにあたり、可能な限り後から振り返った際・他人が見た際の解釈を一意に揃えたいからである。

では、まず具体思考について深く考えていく。


具体思考を深掘りする

結論から言うと、具体思考は以下の2つで説明がつく。

1. HOWを考える
2. 細分化する・細部まで把握する

具体的な思考は、例えば業務においては下流工程に位置するものに必要で、アウトプットに直結するものである。下流工程の「下」という文字そのものが悪いイメージに繋がるかもしれないので、再度注意喚起をしておく。下流工程はあくまで最終的なアウトプットに直結するというだけで、重要な仕事であることは間違いない。ただ、下流工程の仕事をできる人は市場に多い(具体的な思考は現実に存在するものに即しているため、理解しやすい。)ので、そこで差別化を図るのは難しいのは事実である。
具体的な思考や業務に対するイメージを持っていただくために以下の記事を参考にすると良いと思う。

こちらの記事では、「問い合わせを削減する」という目的の達成のための手段、つまりHOWについて考えたということを述べている。その際に、問い合わせの種類を細分化するなどの取り組みが行われており、具体思考のプロセスがよく分かる内容になっている。

また、別の言い方をすると、具体思考とは「AまたはBの思考」といえる。これは、ものごとの細部まで完全に把握するということである。個々のものについて細部まで考えることによって「個別最適な発想」が可能になる。

画像1


抽象思考を深掘りする

結論から言うと、抽象思考は以下の2つで説明がつく。

1. WHYを考える
2. 集約する・特徴を捉える

抽象的な思考は、例えば業務においては上流工程に位置するものに必要で、事業全体に共通する根幹となる部分を抽出することである。これは、下流工程とは異なり、最終的なアウトプットに直結するわけではないが、萬に通ずる共通項について指針を定めて、アウトプットの方向性を統一するという役割をもっている。下流工程は、製品のアウトプットに関わる人は全員が関わるため下限が存在する。一方で、上流工程はどこまでも抽象化を行えるため際限がなく、上流に行けば行くほどその思考に耐えうる人材は僅かになり、それだけ貴重な存在になる。差別化を図るためにはもってこいの思考である。
トヨタの「WHYを5回」というのもまさにこの思考のことである。以下の記事では「トラブル原因を因数分解」というわかりやすい言葉を用いているが、「トラブルの最大公約数を見つける」という方が適切な表現である。

具体的思考が「AまたはBの思考」であったのに対して、抽象的思考は「AかつBの思考」ということができる。実際に、AかつBのベン図をご覧いただければ、最大公約数の特徴を備えていることがお分かりいただけるだろう。

画像2

つまり、抽象的な思考とは、様々なものごとの共通事項に対する思考ということである。
業務でいえば、抽象思考の具体例として「社訓を定める」「事業計画を練る」といったことが当てはまる。実際に会社の社長や役員の様子を見ていると、何度も使い回しの効く、つまりレバレッジの効く業務を行っていることが実体験としてわかる。彼らの業務の特徴は「全体最適を考える」ということである。細かい部分についてはメンバーにまかせて、事業全体に共通する本質的な部分についてのレールを敷くことで、会社の進路を示す舵取り役の業務を行っているのだ。

起業家・経営者の仕事には抽象思考が求められる。
例えば、世の中の人が共通して抱えている課題に対する深い理解は、人々の感情を理解することから生まれる。人々から求められる事業を作り上げるためには、彼らの個別のニーズから本質のみを抽出して把握する必要がある。
他にも、事業同士のシナジーについて考える際にも、事業の共通項を抜き出して考察する必要がある。
以下の記事からは、複数の事業を持つスタートアップ起業家の思考を読み取ることができる。

以下、上記記事より抜粋。

hokanでは複数の事業を展開しながらも、少数精鋭で一丸となって進めていくようにしています。事業が発散しすぎてしまうと、チームがバラバラになって連携が取りづらくなるリスクがあります。

そのため既存の事業と何かしら連続性がある事業を展開するようにしています。特にメインのサービスであるhokan®の売上増加やオプションメニューの拡張に広がりうるような事業を優先して進めています。

少しでも上流工程の仕事に携わりたいのであれば、

ーーー抽象思考からスタートーーー
1. 自分の周辺の環境全体を俯瞰的に捉える
ーーーここで具体思考にスイッチーーー
2. 環境を構成するものを要素に分解する
ーーーここで抽象思考にスイッチーーー
3. 要素間の共通点・相違点を明確にする
4. 共通点のうち、課題となる項目を見つける
ーーーここで具体思考にスイッチーーー
5. 課題となる項目への対処方法を深く考察する
6. 最適解を実践する

という思考が求められる。逆に言うと、これができる人はかなり貴重な存在である。
まずは意識することからスタートすれば、徐々にこのセンスは磨かれていくはずである。


具体思考と抽象思考を同時に使いこなす

ここまでわかったところで、具体思考と抽象思考の両方を使いこなす重要性について述べていく。

例えば、上司から仕事を任された際にまず最初に仕事の目的(WHYの部分)を確認する必要がある。目的をどこまで深く理解しているのかによって、優先度・粒度はもちろん、アウトプットの内容自体がまったく変わる可能性もある。これによって、ゴールやマイルストーンの設定を正確に行える。

次に、仕事を進めていく途中で進捗報告をしてアウトプットイメージ(HOWの部分)がずれていないか確認を行う必要がある。目的を把握することでズレを防止することはできるものの、どうしても細かい部分についてはイメージのズレが生じてしまうのは仕方がない。

虫の目・鳥の目・魚の目とよく言うが、以下の記事をご覧いただくと、視点を使い分けられる人の価値がいかに高いかおわかりいただけるだろう。


たとえ理解できなくても抽象思考を受け入れる

抽象思考に優れた人物は、何を考えているのか分からないから怖いという理由で排斥されることがあるというのは、ここまでにも述べてきた通りである。
最近、話題の本『天才を殺す凡人』では、まさにそのような内容が取り上げられている。

以下、上記記事より抜粋。

たとえば歴史上で一番わかりやすい例は、イエス・キリストというある種の“天才”が登場したとき、「怖い」と反応してそれを“叩く”勢力がいたとか。

この話は、先程述べた「不業の死を遂げた天才たち」の話と同様の内容である。抽象思考の持ち主は、実績を出すまでは理想論を語るだけの夢想家として排斥されるのと同じ現象である。
『天才を殺す凡人』著者の北野唯我さんは記事の中でこう語っている。

北野さんつまり、天才は「(世界をよりよくするという意味で)創造的かどうか」で、秀才は「理にかなっているかどうか」で、そして凡人は「相手や考えに共感できるか」で物事を判断しているわけです。

サノさん(インタビュアー・ライター)
なるほど…!
つい「天才に比べて頭脳が劣るから理解できない」とイメージしちゃいがちですけど、よしあしを決める軸が根本的に違うなら、そりゃどこまで話し合っても平行線で理解のしようがないですよね…

北野さん
この「コミュニケーションの断絶」があるからこそ、凡人はいつまでも天才の考えを理解できないし、理解できないものを近くに置いておきたくないから、排斥することにつながってしまうんです。

このように、価値観の違いによって互いに理解し合えない人々がいるのは事実である。
北野さんは、相互理解を推進するために、以下のように述べている。

この本が目指しているのは、自分が「天才」「秀才」「凡人」のどれに当てはまるかカテゴライズさせることなんかじゃなくて、“3つの才能を自覚して、自分の中にも「天才」や「秀才」がいると気づいてもらうこと”なんです。

そうやって自分にも天才と同じ要素があるとわかって、考え方や気持ちを想像できるようになったら、きっと理解してあげることができる。やさしくなれる。

それがこの本を書いた目的であり、僕が思う「天才を殺さないために、凡人にできること」です。

たとえ、理解しがたい思想を持った人であっても、自分の中にも同様の価値観が存在していることに気づけば、彼らに対して歩み寄ることはできる。
理解できないことを、理解できないまま、価値を認めることで、抽象的な思想を持つ人々が救われることがある。このことは、ぜひ事実として知っておくべきである。


最後に

抽象思考は、当たり前のようで見過ごしているものに対して「なぜ」を突き詰めるところから始まり、それが本質を捉える力へと繋がる。理由を考えることによって、要点以外を捨象する能力と、枝葉末節にとらわれないクリティカルな成果を出す能力が磨かれるはずだ。
1日の振り返りなどのタイミングで「なぜ?」を考える時間を取ってみるだけでもだいぶものごとの見え方が変わるという、経験を通じた実感がある。

私自身、今の目標に到達するためには抽象思考が全然足りていないので、今後も継続的にWHYの方向の思考を鍛えていく。まずは会社のプロダクト・身近な人の行動に対して「なぜ?」を考えることから始めていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?